西鉄バスにまつわる記憶の中で、幼い頃に見ただけのかなり曖昧なものを綴ってみようと思う。
何せ小学校低学年の頃の話で、特に資料がある訳でもなく、頭の中の情報のみに基づいているため、誤まりがある可能性はかなり高い…。
その1
【72番の終点「猪野」には、かつて「バスターミナル」が存在した。】
今から25年くらい前、久山町の猪野を訪れた際、バスターミナルと称する円形の建物が建っていた記憶がある。
ターミナルの中には、72番(多々良線)の乗り場と、74番(大川線)の乗り場、それに、国鉄バスの乗り場の跡や、シャッターの下りた切符売り場か売店のようなものの映像が頭の中にあるのだが…。
しかし、そもそも猪野のような小さな集落にバスターミナルがあったのだろうか?
それに、国鉄バスが乗り入れていたかどうかも定かではない。
なので、この記憶は、その後に見聞きしたいろんな情報が複合して造られたものなのかもしれない。
真相をご存知の方がいらっしゃればぜひ教えてください。
(つづく)
何せ小学校低学年の頃の話で、特に資料がある訳でもなく、頭の中の情報のみに基づいているため、誤まりがある可能性はかなり高い…。
その1
【72番の終点「猪野」には、かつて「バスターミナル」が存在した。】
今から25年くらい前、久山町の猪野を訪れた際、バスターミナルと称する円形の建物が建っていた記憶がある。
ターミナルの中には、72番(多々良線)の乗り場と、74番(大川線)の乗り場、それに、国鉄バスの乗り場の跡や、シャッターの下りた切符売り場か売店のようなものの映像が頭の中にあるのだが…。
しかし、そもそも猪野のような小さな集落にバスターミナルがあったのだろうか?
それに、国鉄バスが乗り入れていたかどうかも定かではない。
なので、この記憶は、その後に見聞きしたいろんな情報が複合して造られたものなのかもしれない。
真相をご存知の方がいらっしゃればぜひ教えてください。
(つづく)