つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

訃報が届きました

2017年12月22日 | 子育て

長男が北大で行われる学会に出席するためにやってきました

この年の瀬に、まあ学者さんたちも大変です!忘年会がわりなんでしょうかねえ?

年越しで東京で顔を見るつもりでいたのですが、回るお寿司にでも行こうかいなとのんきに迎えたら、

ぽろっと哀しい知らせを口にしました

 

「高校の時の 〇〇先生が亡くなった」

 

耳を疑った…〇〇先生は私よりもはるかに若いはず、

熱意をもって子どもたちと向き合ってくれた先生で、息子が大変世話になった

 

 

話せば長くなる…

この息子、中学校の時の英語担当教員がちょっといただけなかった

いやあの先生でもきちんと英語の力を付けたお子さんがいるから

一概に先生のせいだあと言うわけではない

長男はどういうわけか英語に興味を示していなくて、

初めてふれた授業がさっぱりわからなかったようで、

成績は今一つ、というか今二つ、今三つくらいまでいくかもしれなくて、

どうにかならないものかと親はぎりぎりしていた

今子どものことを抜きにして思うと、

多分あの先生はやりたいことがあって、

そのためにしている仕事で、くくられた授業以上のことには気が回らなかったのだろう…

ですが力の劣った子どもからしたら、教科書をなぞるだけでは理解はできない…

もう少し踏み込んだ指導をしてくれでもいいのじゃないか…と考えるわけです(もちろん親が強く)

その教員は一切そういうことはせず、CDを使っての授業も多く理解力不足に拍車がかかるような感じを

持っていました

長期休暇には必ず海外旅行にでかけ、平常の居残りの指導もしてもらえず、

まあ、そこまでなら根に持つこともなかったのだろうが、

最後のやめ方がいただけなかった

北海道では中学3年生の夏休み明け 9月 10月 11月 と三回、学力テストを受ける

このテストの成績が内申に影響するのと、これをもとに志望校を決めるので、

3年生にとってはとても大事なもので

だから夏休み明け、子どもたちは「いよいよ始まるぞ」みたいな感じで学校に向かう

その日に、その英語の教師が “やめた” と知らされ、

しかも急なことで代わりの教員を補充することができず、次の先生が赴任するまでひと月ほど、

校内の“お手すきの先生”が対応するという事態を招いた…

そのお手すきの先生すら手配できないことも多くあったようで

当然その時は自習を余儀なくされた

やめた理由は、急にどこだかに留学が決まったからと覚えています

もうあきれ返るにもほどがあるというか無責任極まれりという感じで、

わかりますよ、一度しかない人生二度とないチャンスかもしれない…

でも、あまりに教師という仕事に無責任すぎると感じた出来事でした

 

長くなりました、話を先に進まなければ、

もともと英語に興味がなく3年間そういう教師についていた長男は英語が好きでなくなっていて、

この先どうなるのだろうと考えていましたが、

高校に入って出会ったのが〇〇先生でした

颯爽とした女の先生で、結婚はしていませんでしたが、

生意気盛りの高校生に対しても臆することなく向き合ってくれ、

何よりも英語の教え方がとても上手だったのです

中学ではさっぱりわからなかった英語が、息子の中で嫌いな科目ではなくなりました

成績はそれほど良くなりはしませんでしたが、学ぶことは平気になりました

「英語って面白いんだね」と高校に入ってしばらくして言いました

 

一度 面白い単語のテストがありました

問題は100問、100点取るまで帰ったらいけないというルールで、

当然ですが我が長男、そんなにとんとんと抜けれるはずがない!

すこしずつ人数が減り、最後三人になったときに〇〇先生が言ったそうです

「最後一人になったら寂しいから、三人揃って100点採るまで付き合おう!」

これが大変だったらしい

単語は最初から変わらず順番だけが替えられた100問だったようだが、

これが三人そろってがなかなかできなかったらしい

誰か一人がどこか1か所ミスをする…そんな繰り返しで、何度も何度も繰り返して受けていたらしい

あの時は、随分遅くなるまで帰ってこなくて、帰ってきて顛末を聞いてびっくり!

もう嫌になったが先生が許してくれず、三人で頭突き合せて話し合ったらしい…

「今度こそ頑張ろう!」 と、肩組んで気合い入れて受けたらしい

それすらも大分にリピートしてしまったようだが、それでも何とか頑張り切り、

「そうしたらね、〇〇先生がアイスおごってくれた!」と嬉しそうに言った顔が忘れられない

 

私より10も若い先生だと思っている

どうしたんだろう?何が起こったのだろう?

長男が大学に進学したころ先生も転職して東京に移られ、

どこかで海外青年協力隊にも出かけられたとはずで、

息子が二十歳を過ぎたころから、折を見ては飲みに誘ってくれていたようだ

英語を教えることが好きで、あの年ごろの子どもが好きで、

とても生き生きとしていた…息子の恩人だと思ってきた

あああ、本当に何があったのですか? 私はとてもびっくりして、とてもがっかりしています

 

 

長男、このたび札幌に向かう飛行機で 「ブロッケン現象が見えた」 と

写真を送ってきました

ああ、綺麗だなあと思った

でももしかしたらこれって、〇〇先生から息子に向けてのメッセージかもしれない…

 

先生、先生、本当にお世話になりました

どうか、どうか、安らかにお休み下さい 

本当に本当にありがとうございました

貴女に出会えて、あの子は本当に幸運でした

 

 

合掌

 

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2 コメント

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Unknown (もも吉)
2017-12-23 15:09:47
思い出深いお世話になった先生の訃報は悲しく残念でしかも若い先生となれば悔しいですね
ご本人もきっと無念だったことでしょう
ブロッケン現象はきっと先生からの最期のお別れの挨拶だったに違いない
長男さんがブロッケン現象に気付いたのも必然だったのでしょうね
返信する
もも吉さんへ (大家)
2017-12-25 10:53:36
ありがとうございます。

ええとね、この先生息子いわく「生き急いでいたからなあ」というくらい活発に行動されていた方で、
印象は実はもも吉さんあなたにちょっと似ています。
どうか、もも吉さんは生き急がないようにしてください。
返信する

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