「うちのとらまる」さんや「猫撮る」さんや
そのほかたくさんの犬猫の殺処分を憂い活動している方のブログをよく拝見している。
手間と時間とお金がかかり、個人のとめどない無償の行為に成り立っているあの活動は、
人の暮らしがときにぎすぎすしがちの今の時代に、ご苦労が多く頭が下がるといつも感じている。
東京の実家があるのは昔はなあんにもなかった場所。今は世代が代わり住む人が代わり、
相続税対策もあるのだろう、古い家が取り壊されて新しい家が次々と建てられていっている。
庭のついたゆったりとしたつくりの家が無くなり、そのあとに3軒4軒建てられることも珍しくない。
その新しい家がまるで要塞のようなつくりなのだ。
人の住む気配が外に漏れていないというのだろうか・・・とりつく島がないって感じの家。
そういう家がどんどん増えていっている。
そんな中実家は古い造りの家なので庭があり、前はいろいろな猫がそこを通り道にしていたものだが、去年あたりから見かけなくなった。
不思議に思い友人にそのことを話したら、
実家のある区は、野良猫対策に熱心でTNRが進んでいるそうだ。
捕まえて不妊手術をして元の場所に離すのだが、
これをすると、今いる猫が死んだらもうをれでおしまいということになるから、
それでいなくなったのではないかと言われた。
仕方がないことなのだが、野良猫が暮らしちゃいけないなんて少し心のゆとりにかけるように感じる。
要塞のような家に住み、野良猫が歩くことも許さず、
なんか とってもさびしいし、味気ない。
そんな話を向かいの奥さんに立ち話をしたら、
行き過ぎたTNRの話を聞いた。
同じ町内にお住いのお年寄りが3匹の猫と暮らしていたそうだ。
どの子も可愛がっていらっしゃり、ちゃんと首輪もしていた。
今では犬も猫も室内飼いが当たり前になっているが、少し前まで猫は自由に家の中と外を行き来して暮らしていたものだ。
そのかたもそんな飼い方をしていらしたらしい。だが、近所付き合いはきちんとされていて、
みんなあそこんちの猫ということを知っていた。
ある日、そのお宅に三人の熱心な女性が来られたそうだ。
いわく 「飼い猫も不妊手術をすべきで、それは飼い主の義務だ」
飼い主さんは断ったそうだ。
それでも熱心なその三人の女性たちはあきらめず、何度も家にやってきては説いたらしい。
そして、ある日黙ってその飼い猫を連れていき、勝手に不妊手術を受けさせてしまった。
正義感に燃えたその三人の女性たちは「お礼を言われても非難される覚えはない」と言い切ったそうだ。
うーん、そうなのかな・・・?
怒った飼い主さんは、いつもは穏やかな方らしいのだが、
「あんたの娘が黙ってこんなことされたらどう思うね」といったそうだ。
その猫ちゃん達は、突然のことで体調を崩しがちになり、病気や事故で次々と死んでいったそうだ。
世の中に、飼われている犬や猫しかいなくなったら、動物はペットショップか動物園にしかいなくなったら、
切り身になってラップにくるまれて売られている魚のように、
そのうち子どもたちは犬猫の本来の姿を見失ってしまうのだろうなあ・・・。
何が正義で、何が真実で、何がいいのかは、わからない。
決断とはとても難しいことで、猫が歩き回ることを苦痛に思う人がいることも確かだったのだから
もっとゆったりとした解決方法が無かったのかと考えてしまう。
家の内と外が少し曖昧な生活を私はすこうしいいなあと思っているから、
こんなことに引っかかってしまうのだろう。
私が家を建てるなら、防犯も大事だが要塞のような家はほしくない・・・
それが今のところこの問題で私が手に入れている答えだ。