昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

Cuando Caliente SHIZUOKA#3

2005年11月24日 | Weblog
 最初にお断りすべきであったが、本来エスパニョールの文法で表現すれば、Cuando SHIZUOKA esta caliente(caliendo)とか表現すべきなのであろうが、Suda Americaの有名な歌に「燃える太陽」というのがあって、その歌は原語で確か「Cuando Caliente el Sol」と歌われていたと思う。実は、それにあやかったのである。日本人のいささかの「ハイカラ志向」に免じてお許し願いたい。

 男女参画社会を夢見る「お嬢ちゃん」、「おばちゃん」、「お婆ちゃん」に至るまで、その自己の教養を磨かずしてかような自己主張をすべきでない。性差を越えた女権らしきものがはじめて日本史に登場したのは「鎌倉時代」であったと認識すべきである。

 初代「男女参画社会人」とは畏れ多くもかの有名な「尼将軍北条政子」氏にあらせられる。男女同権を声高に叫ぶ女性軍よ、先ず「政子女史」の伝記でも読んでから物申されるが宜しかろう。質実剛健をもって胸といたせ!。

 今日は「静岡新聞」より『富士川の合戦』の史跡めぐりを紹介する。

 「富士川の合戦古戦場と町の駅を訪ねる秋のウォーキング」が二十三日、富士市内でで行われた。市内外から参加した三十人が、富士川の合戦にちなんだ史跡七ヶ所と、まちの駅六ヶ所を巡り、約7.5キロの散策を楽しんだ。
 富士川の合戦は1180年、平家軍と源頼朝軍が戦い、水鳥の羽音に驚いて平家軍が敗走したと伝えられる戦い。市内には各武将が陣所に使った神社や戦跡などが数多く残っているが、あまり知られていないという。
 観光情報の発信拠点や観光客の休息所として、市内二十二ヶ所で開設された「まちの駅」の駅長有志が、同駅とこれらの史跡を結びつけて双方の認知度向上を図ろうと企画した。
 参加者は秋晴れの下、頼朝が戦勝祈願した滝川神社や主戦場とされる平家越などを、観光ボランティアガイドの説明を受けながら回った。(全文記載)

 このような企画を前もって知っていれば、私もふるって参加したのにと悔やまれる。