宗恒の茶庭

「茶道 思いつくまま」や「和の美術」など

ホトトギスが咲きました

2017-09-29 12:24:12 | 茶道

庭の花がこのところ絶えて、水引や薮ミョウガばかり入れていて、あまりにも寂しいので花屋さんで竜胆を買ったりしていました。

昨日あたりからようやくホトトギスが咲き始めました。
そして今頃ヤマブキやシモツケが返り咲きしています。

そこで今日の稽古は紅白水引にシモツケ・ホトトギスを巾着型の掛け籠に入れました。
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運慶展 東博平成館

2017-09-27 07:09:52 | 美術

史上最大の「運慶展」との触れ込み。
現存する31体の作品が22体も展示されるのであるからすごいです。
日本各地に点在しているものを一堂に会し、またその仏像もひどく大きいものもあり、それらをまとめて展示されているのですから大したものです。

運慶は平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した仏師です。父の康慶が慶派の源流を築きました。
康慶・運慶・湛慶・・と続きます。
快慶という仏師は血は繋がっていず、運慶とは康慶の兄弟弟子という関係です。

興福寺から来た康慶の「四天王立像」はすごい迫力です。何しろ丈が2mを超すほどで力強く邪鬼を踏みつぶして、守護を任せて安心といった感じです。

「八大童子立像」は顔が赤いの(制多伽童子)や青いのや肌色の童子(矜羯羅童子)で、眼を釣りあげて多彩な表情をしています。

「無着菩薩立像」「世親菩薩立像」は前に興福寺展で見たことがありますが、なんとも優しい表情で、実際にインドから来た高僧がモデル。

湛慶作と見られる「子犬」は木彫りでこれだけリアルに彫れるなんて驚きです。可愛いです!あと「神鹿・牡鹿と雌鹿》も湛慶作。


最後に「十二神将立像」・・つまり十二支の神様が展示されていました。私はサル年なのでサルを見ましたら笑みを浮かべている神様でした。主人が「神様の頭の上を見た?」というので「何で?」と言うと「頭の上に動物が載っているんだよ」と。改めて見にいくとありました!頭のてっぺんに小さな猿が・・各神様も頭に干支の小さな動物が載っていました。何でもよく知ってる主人です。何でも無知な私です。

初日でしたがゆっくり拝む気持ちで拝見出来ました。
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うそこ

2017-09-25 16:11:10 | 茶道

子どもの頃おままごとで【うそこ】に料理したりしたものです。【うそこ】という言葉は私の育った地方の言葉かもしれませんが、しょっちゅう使っていました。本当じゃないけれど本当の事・物として扱う時に言います。

先日の稽古の時、初心者の方がたまたま四ケ伝「唐物」のお客になる事になりました。

唐物の点前が進んでいって拝見の時、その初心者の方に私は《「唐物の拝見を」とおっしゃって》と言いました。するとその方は《カラモノって何ですか?》と聞かれました。誠に素直な質問です。

《唐物とは昔、中国から来た茶入れのことよ》と私。その方は「?」の表情だったので、平安時代後期から鎌倉時代、室町時代に中国から輸入された茶入・茶碗などの総称で、大変貴重なもので珍重されたものだったの。茶入れ一つが一国分の価値になったこともあるのよ。今はその写しを使って稽古をしているの》と付け加えました。

確かに拝見の時、写しにもかかわらず「高木家伝来の文琳です」とか、「本多家伝来の丸壺です」等まことしやかに答えます。【うそこ】です。そうやって名物茶入の名前・伝来を覚えるのです。

また稽古用の茶杓でも「お作は?」との問いに「当代お家元です」など【うそこ】で答えます。
茶杓もまた削った方・銘を大切にすることを学びます。

大津袋に入れて濃茶扱いする黒い棗なども「お塗は?」との問いに【うそこ】で「8代宗哲です」とか答えます。濃茶扱いにするほどの大層な棗ということを学びます。

本歌の茶入や古い茶杓などは今や美術館入りですから、稽古時は写しを本歌と思って稽古するのです。

茶道は【うそこ】が多いです。【うそこ】で答える時はちょっと胸が痛みます。




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江戸の琳派芸術展 出光美術館

2017-09-22 15:48:07 | 美術

俵屋宗達の「風神雷神」から100年後に、尾形光琳が「風神雷神」を、そのまた100年後に酒井抱一が「風神雷神」を。
抱一は王朝的な華やかな尾形光琳の琳派に傾倒し、それを江戸にもたらし、江戸琳派を成り立たせました。
抱一は光琳の「燕子花」屏風を倣って「燕子花図屏風」を描いています。

抱一の花鳥画は本当に美しく華やかでそれでいて品があり、私は大好きです。思わず絵葉書を↑買ってしまいました。
「青楓朱楓図屏風」は金地に左隻は真っ赤な楓の木を、右隻には青々とした楓の木を力強く描いています。赤と青を大胆に対比した屏風。紅葉も青葉も葉っぱ一枚一枚しっかり描かれています。太い幹にはたらし込みがあります。

抱一の一番弟子の鈴木其一の作品も出ています。其一も植物・虫の表現が素晴らしいです。草花の中に探すと色々な虫があり楽しいです。
其一の「三十六歌仙図》は36人の歌人ががひしめき合って語らっている賑やかなうえに、表装もまた其一が描いた流水扇面の模様が華やかで印象深い作品です。

出光美術館は6階にあり、休憩室には無料でほうじ茶や煎茶が飲め、皇居を望む景色は素晴らしいです。夕日の差す椅子に坐って、主人はほうじ茶を私はウーロン茶を飲みながらしばらく休憩しました。

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心の塵

2017-09-20 16:28:36 | 茶道

おとといのブログで「心の塵」を払うという意味で、帛紗の清めの捌きは左側ですることが納得できたと書きました。
果たして「心の塵」を払うとはどういうことだろう?とふと思いました。
理屈を実践することは大変です。

ちょっと一人点前をしてみました。茶入れを清める前に左側の方で四方捌き、清め捌きをしました。
心の塵を払う…雑念を払う?…難しいです。いろいろ現実のことが頭いっぱいにあれこれ出てきて雑念を払うどころか湧いてきます。理屈と現実に大きなへだたりが…。

再び やってみます。

今度は「美味しい濃茶が練られますように」と念じながら濃茶を練るイメージを頑張って作って、四方捌き、東・西・南・北と帛紗を緩めたり張ったりしてみました。
今度は少し近づいた気がしました。

つまり濃茶を上手に練ることができるよう気持ちを集中させる。お茶のことだけ考える事が「心の塵」を払う一つの事象なのかと思います。


「心の塵」を払うとは、お茶を練ることに気持ちを集中させること!!!
私なりの結論です。
しかし難しいです。
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