2019年・平成31年・令和元年も今日は大晦日です。
今年は私にとって”主人が亡くなる”という大変な年でした。
去年の今頃の日記を読むと主人は段々元気がなくなり食事もあまり食べられなくなってきています。
それでも家の中では杖を突いて歩いていましたし、美術番組を見てはブログにも書いていました。
今年のお正月早々にまた入院。点滴で少しは良くなったものの、あまり芳しくなく「家に帰りたい」と言い始め退院。
息子夫婦にお風呂に入れてもらったり、孫たちも頻繁に来てくれました。介護も初めて申請、訪問看護や医師の往診もしていただけました。
亡くなる前の日には見舞いに来てくれた孫たちに「もう帰りなさい」とベットから手を振って別れました。
次の日に死を迎えようとは皆思いもよらないことでした。
その後はいろいろと・・・・人間が亡くなるということは大変なことです。
主人は茶道の社中の皆様とも顔なじみになっていたので皆様にも会葬していただき恐縮しました。
大学病院の皆様からも盛大に偲ぶ会をしていただき有難いことでした。
もう10ケ月過ぎましたが、いろいろなことを思い出すたびまだ悲しさが・・・。
しかし主人は十分素晴らしい立派な82年の人生を送り、私もしっかりと連れ添い金婚式まで出来とても幸せだったと思い始めました。
主人は何時も私の心に棲みついていると信じ、前向きに生きる構えが出来てきました。
今年は私にとって”主人が亡くなる”という大変な年でした。
去年の今頃の日記を読むと主人は段々元気がなくなり食事もあまり食べられなくなってきています。
それでも家の中では杖を突いて歩いていましたし、美術番組を見てはブログにも書いていました。
今年のお正月早々にまた入院。点滴で少しは良くなったものの、あまり芳しくなく「家に帰りたい」と言い始め退院。
息子夫婦にお風呂に入れてもらったり、孫たちも頻繁に来てくれました。介護も初めて申請、訪問看護や医師の往診もしていただけました。
亡くなる前の日には見舞いに来てくれた孫たちに「もう帰りなさい」とベットから手を振って別れました。
次の日に死を迎えようとは皆思いもよらないことでした。
その後はいろいろと・・・・人間が亡くなるということは大変なことです。
主人は茶道の社中の皆様とも顔なじみになっていたので皆様にも会葬していただき恐縮しました。
大学病院の皆様からも盛大に偲ぶ会をしていただき有難いことでした。
もう10ケ月過ぎましたが、いろいろなことを思い出すたびまだ悲しさが・・・。
しかし主人は十分素晴らしい立派な82年の人生を送り、私もしっかりと連れ添い金婚式まで出来とても幸せだったと思い始めました。
主人は何時も私の心に棲みついていると信じ、前向きに生きる構えが出来てきました。