怒涛の勢いで後半エピ03~05を見てしまいました。
頭の中真っ白。
頭の中It's A Sin が離れない。
が同時に起こって寝た後もなぜか私の実家がドラマのリハーサルに使われている夢を見ました(謎)。
主人公リッチーは、顔の第一印象と同じく行動もそのクセが嫌なのに目が惹きつけられてしまう人で、セリフがすごかった。
I'm gonna live. とか、
実家を出た後自分を解放したロンドンでゲイとしての生活が大好きだとキラキラした目で語る奴。
後半にはスティーヴン・フライ先生も登場。
あとリッチーの舞台にイアン・マッケラン先生もカメオしていたような
物語は1991年までなのだけど、クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなったのと同じ年。有名人だけでも大勢が亡くなってニュースに出たけど、有名でないゲイコミュニティの人達も知られてないだけでまた大勢が次々と亡くなった。それを一般の人、家族はゲイであることも含めて恥とし隠したので語られなかったことを、ラッセルは残したかったんだろう。
私も1990年から仕事がアパレル宣伝だったのでデザイナーやスタイリストのゲイ男性と知り合った。彼らもIt's A Sinのオープンゲイたちのように、話が正直で直球で盛り上がった。そして(私の場合は)女性の友達とはしない「好みの男性」とか「男性のどこに魅力を感じるか」の話は、リッチーが話していた男性を見る視線と同じで思い出してしまった。そう、好きなものを正直に話すのはアドレナリンが出て楽しかった。
その頃、仕事の後にはクラブやパーティーに出かけていて(出かけない日は家でビデオ見ていた)東京の外国人コミュニティーとも知り合ってそれも楽しかった。私にインターネットという概念を始めて教えてくれたのはアメリカ人の友達で、「映画が好きな時に家で見られる」と例えてくれてその時は「それがどうしたよ」と思ったものだが今はそのありがたみがわかります。
ロンドンに上京したリッチーと同じで、私も東京で水を得た魚のように外出先が楽しかった。その頃の写真を見ると、私も1番上のリッチー(右端)のような笑顔をしてる。だが一方で「気が強い女の周りにはゲイと外人しかいなくなる」と言われていたこと現実化してもいた(笑)。
90年代に薬が開発されてHIV陽性でもエイズを発症しなくなったので、「最近の若い人はエイズを知らない」とエルトン・ジョンがその啓蒙と援助に基金をつくっている。
タイトルのペット・ショップ・ボーイズの曲。PVはデレク・ジャーマン。
私も昨日最終回まで観て頭が真っ白になりました。実際に起こったことの聞き取り調査を参考に脚本を書いたらしいことをどこかのインタビュー記事で読みましたが、あの時代のAIDSの悲劇の本質を「治療できない病気にかかってかわいそう」にとどまないレベルで描いていて、すごかったですね。
>私も1990年から仕事がアパレル宣伝だったのでデザイナーやスタイリストのゲイ男性と知り合った。
私はゲイ男性の知り合いもいなければクラブやパーティにもとんと無縁だったため、自分の身に引き付けて見る要素はないと言えばないのですが、「田舎に馴染めず都会に出てきてようやく息がつけた」という点では、決して他人事ではありませんでした。
脚本を書いたラッセル・T・デイヴィスが、"#BeMoreJill"とツイートしてて、「ほんまそれ!」と思いました。人として、ジルのようでありたいとは思うけど、なかなかできることじゃないですよね。
>>頭が真っ白に
なんなんでしょうね、あの現象は。魂を抜かれたような。
>>あの時代のAIDSの悲劇の本質を
エンジェルス・イン・アメリカ も同時代を描いてましたけど
こっちのドラマはもっとシンプルで本質だけに絞ってましたね。
>>「田舎に馴染めず都会に出てきてようやく息がつけた」
同じことですね。好きなものに正直になれる=自分自身になれる。
オープンゲイのイケイケさはそれまで封じ込めてた反動でしょう。
>>"#BeMoreJill"とツイート
マットルーカスとのズームパネルでジル役の女優さんがエンジェルと
呼ばれてましたね。現実のジルさん的な人がいたそうですが、
すごいです、本当、彼女は自分の生活はどうしていたんだろうと
余計なことを考えてしまいました。(住宅ローンあったよねとか)
彼女の素晴らしさと、実親の本人にありがたくない愛が対照的でした。