前の記事に書いたように、モース原作本を読んだので原作者のコリン・デクスターについてちょっと調べました。
と言ってもWikiなどをウロウロしただけ。
それでも作者がモースという主人公に自分を重ねたことがわかり面白い(そして膨らむ妄想!)ので、日本語のデクスター資料は探しにくいことだし書いておきます。
まず、デクスターの父親は小さな自動車修理工場とタクシー会社を経営していたとのこと。モースの父親はタクシードライバーだったことにリンクします。
(そういえばモースのドラマにはよく自動車修理工場や中古車店が出てくるような)
英語ではsmall garage and taxi companyなんですが、garageは車庫の意味だけでなく修理工場やはたまたガソリンスタンドまでの意味があり、タクシー経営をしていたとなると少なくとも修理工場もやっていた、smallと言ってもある程度の規模が考えられます。
コリンにはお兄さんがいて、古典学者となりグラマースクール(進学中高)で先生をしていたので、教育熱心な家庭だったようですね。
当のコリンは中学で奨学生の資格を得、16世紀からの歴史のあるその地方で名門の私立校スタンフォード・スクールへ進学します。
こんな荘厳な校舎で絵に描いたような御坊ちゃまに囲まれて、ガレージ屋の息子デクスターは幸せだったのか。
きっとよく少女漫画に出てくるチビで赤ら顔で上の写真に出てくるようなブロンドの金持ち息子にいじめられてたんじゃ。。。(妄想)
それはともかく勉学には励み、ケンブリッジ大で古典学を専攻することになります。
そして彼は大学の前に、王立陸軍通信部隊で兵役(当時まだイギリスは徴兵制度)を務めます!これもモースと同じ!!
そういえば、若モースが射撃の腕をブライトさんに褒められて、モースは軍で経験したからと答えたらサーズデーが「おまえは通信だったよな」ってつぶやいてましたが、日本語字幕にはそれが出てませんでした。なんで?
下のマーキュリーがかわいい紋は、その通信部隊のもの。マーキュリーは神々のメッセンジャー。
ケンブリッジでマスターの学位を取りながらレスターのグラマースクールで古典教師アシスタントの職につきました。(1954年)
その後いくつかのグラマースクールで教職を続け、もうアシスタントではなく1959年にseniorの古典教師となります。seniorは長ではないけど平より上位。微妙(笑)1956年にはご結婚も。
ところが!順調に行けば古典教師長に・・・というコースを阻む事態が?!
1966年、難聴を患い教職を断念せねばならなくなりました。あああ、お勉強だけが取り柄だったのに・・・(いえ、クロスワードも得意だけど!)
しかし人生とは奇なるもの。これが原因で転職した先が、オックスフォード試験委員会の上級補佐秘書官/senior assistant secretary というわけのわからない地位の職!
この際役職はわからなくても、ここで彼はモースシリーズが売れて1988年に退職するまで勤務しオックスフォードに住み続けるのです。
ちなみに、その勤務先があったのはバンバリー・ロード沿いで1995年に廃止されましたが、「森を抜ける道」でモースがスナップ写真の背景から事件現場を割り出した先のパーク・タウンという道はその地区にあります。試験委員会22年間の勤務の間に、オックスフォードの街を、その郊外を、デクスターは歩きまわったのでしょうね。
彼が難聴にならなかったら、モースは生まれてなかった!
ところで、最初のモース小説は1975年に初出版されます。
1987年からドラマが始まった主任モースの物語が、話が何年から始まった設定かわからないんですけど、
若モースの物語では、シリーズ6は1969年。
・・・あとたったの6年でショーン・エヴァンズのエンデヴァーがジョン・ソーに生まれ変わるはずもなく、やっぱり主任モースは1987年からの姿、と考えるのが平和ですね。
と言ってもWikiなどをウロウロしただけ。
それでも作者がモースという主人公に自分を重ねたことがわかり面白い(そして膨らむ妄想!)ので、日本語のデクスター資料は探しにくいことだし書いておきます。
まず、デクスターの父親は小さな自動車修理工場とタクシー会社を経営していたとのこと。モースの父親はタクシードライバーだったことにリンクします。
(そういえばモースのドラマにはよく自動車修理工場や中古車店が出てくるような)
英語ではsmall garage and taxi companyなんですが、garageは車庫の意味だけでなく修理工場やはたまたガソリンスタンドまでの意味があり、タクシー経営をしていたとなると少なくとも修理工場もやっていた、smallと言ってもある程度の規模が考えられます。
コリンにはお兄さんがいて、古典学者となりグラマースクール(進学中高)で先生をしていたので、教育熱心な家庭だったようですね。
当のコリンは中学で奨学生の資格を得、16世紀からの歴史のあるその地方で名門の私立校スタンフォード・スクールへ進学します。
こんな荘厳な校舎で絵に描いたような御坊ちゃまに囲まれて、ガレージ屋の息子デクスターは幸せだったのか。
きっとよく少女漫画に出てくるチビで赤ら顔で上の写真に出てくるようなブロンドの金持ち息子にいじめられてたんじゃ。。。(妄想)
それはともかく勉学には励み、ケンブリッジ大で古典学を専攻することになります。
そして彼は大学の前に、王立陸軍通信部隊で兵役(当時まだイギリスは徴兵制度)を務めます!これもモースと同じ!!
そういえば、若モースが射撃の腕をブライトさんに褒められて、モースは軍で経験したからと答えたらサーズデーが「おまえは通信だったよな」ってつぶやいてましたが、日本語字幕にはそれが出てませんでした。なんで?
下のマーキュリーがかわいい紋は、その通信部隊のもの。マーキュリーは神々のメッセンジャー。
ケンブリッジでマスターの学位を取りながらレスターのグラマースクールで古典教師アシスタントの職につきました。(1954年)
その後いくつかのグラマースクールで教職を続け、もうアシスタントではなく1959年にseniorの古典教師となります。seniorは長ではないけど平より上位。微妙(笑)1956年にはご結婚も。
ところが!順調に行けば古典教師長に・・・というコースを阻む事態が?!
1966年、難聴を患い教職を断念せねばならなくなりました。あああ、お勉強だけが取り柄だったのに・・・(いえ、クロスワードも得意だけど!)
しかし人生とは奇なるもの。これが原因で転職した先が、オックスフォード試験委員会の上級補佐秘書官/senior assistant secretary というわけのわからない地位の職!
この際役職はわからなくても、ここで彼はモースシリーズが売れて1988年に退職するまで勤務しオックスフォードに住み続けるのです。
ちなみに、その勤務先があったのはバンバリー・ロード沿いで1995年に廃止されましたが、「森を抜ける道」でモースがスナップ写真の背景から事件現場を割り出した先のパーク・タウンという道はその地区にあります。試験委員会22年間の勤務の間に、オックスフォードの街を、その郊外を、デクスターは歩きまわったのでしょうね。
彼が難聴にならなかったら、モースは生まれてなかった!
ところで、最初のモース小説は1975年に初出版されます。
1987年からドラマが始まった主任モースの物語が、話が何年から始まった設定かわからないんですけど、
若モースの物語では、シリーズ6は1969年。
・・・あとたったの6年でショーン・エヴァンズのエンデヴァーがジョン・ソーに生まれ変わるはずもなく、やっぱり主任モースは1987年からの姿、と考えるのが平和ですね。
私もモースシリーズの最初はエンデバーです!
小説もドラマにはない面白さがありますよね!!!
3作目とは「クインの静かな世界」ですね、私はドラマは見ましたが
小説はまだでしたので、本も読みたいです。
「消えた装身具」にも難聴で補聴器を使う登場人物がいます。