Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

舞台 ハムレット 感想

2015-08-25 22:17:00 | ベネディクト・カンバーバッチ


私が観たのは8/8と11、脚本はシーン順にオリジナルからの変更のある「To be, or not to be?」から始まるプレヴューでした。(この公演のプレビュー期間中にフライング記事が出て問題になったため、プレヴュー=本公演前の公演とは、プレスナイト=マスコミ招待のある日=この日以降にジャーナリストは一斉に記事を書く、という劇場公演の仕組みを学習しました)

TVや映画と違ってアップ画面のない舞台、果たしてちゃんと見えるのか(私の席は8列目)豆粒くらいにしか見えないのか?不安をかかえて行ってみたバービカンの舞台は、客席の面積と比較すると左右に広く奥行きもあるのでステージの存在感が大きい劇場でした。ただ顔の表情もしっかり見るにはオペラグラスを使いました。それでもセットのバルコニーが私の席の側、左だったので、ここで演技がある時は役者さんに近く少しお得。いやそれは実は右側でもそちらにも役者さんは移動するのですが、高いと目の位置が同じくらいになる嬉しさが(笑)。

ところで8/8は、前半で2度の中断があるという珍しい公演に当たりました。

まず幕が開きハムレットの姿が見え既に演技が始まっていたところで・・・また幕が閉じてしまったのです。劇場担当者が閉まった幕の前に出て来て、謝罪と技術上の問題が発生、やり直すのでそのまま席で待つとの指示をアナウンスしました。5分後くらいに、再び幕が開くと、今度は音楽が流れてハムレットの台詞が始まりましたので、問題とは音楽が出なかったのだなとわかりました。

子供のハムレットを使ったポスターから期待していた通り、そのイメージを発展して立体にした美しいセットは、まるで高級ファッション雑誌のモデルの背景のような豪華さで、そこがデンマークの王宮だという説得力に溢れていました。時代はシェイクスピアの原作と現代の間の近い過去あたりの設定のようでしたが、特にひとつの時代と特定していないのは衣装が現代、しかし音楽をレコードで聞く時代表現から推察できます。美術セットも動物の剥製や木の枝など自然のものや、劇中劇を強調する舞台上の劇場がノスタルジックで、ファンタジー世界のハムレットの物語でした。

その映画的な美しさの中で悩む王子ハムレット。ベネディクトさんの動きや表現はどこからどこまでが彼のアイディアなのか演出なのかはわかりませんが、とてもわかりやすく王子なのに身近に感じられるハムレットでした。と言っても英語の台詞はわからないところがとても多かったので台詞の内容についての難易度は不明ですけれども、例えば10歳を過ぎたくらいの子供にもぜひ見せたらシェイクスピアに興味を持って教育上よろしいのではないか、と思わせるような親しみやすさです。

私が意外に感じたのは、悩めるシリアス劇だからもっと重たく冷たく頭のいい、ベネディクトの役歴で言えばチョコレート王とかシャーロックみたいな雰囲気かと漠然と予想していたのに、幕が開いてみたら反対に、素直で必死なフランケンシュタインのクリーチャーとかワッツ先輩のような天然王子に見えたことです。それは多分、時代設定を考えていた時に感じた「ファンタジー物語ハムレット」の主人公だから、純真無垢な精神を表現していて、実際の俳優を使わずに全員子供モデルで表現した1年前に制作されたポスターから一貫している世界ではないでしょうか。

そうそう、8日の2度目の中断は、ハムレットの父王の幽霊が奈落に消えた後、舞台に残って演技を続けていたハムレットに、謎の人物が静々と近づいて何かを告げた後、その人物が客席に向かって再び「技術上の問題により演技を続けると危険なので中断します」と告げたのでした。幕が閉まり、「また?!こんなことってあるのか?今日の舞台は最後まで見られるのか?」と騒然となる客席。席を立って外へ出ようとする人も現れた時、幕の前、1列目の客席の前にヒョコっと姿を現し話し始めた人は、なんとさっきまで王子だった人ではないですか?!

主演役者自ら謝罪と忍耐への御礼を客席に向かって生声で叫ぶ・・・・フレンドリーにもほどがある・・・・
2度目の中断で、同じ劇場担当者に鎮静を任せるのは忍びないと思った責任感の強いベネディクトさん、彼のおかげで客席もほっこりしました。中断にはびっくりだけど、舞台よりもっと客席に近いところで、演技以外の姿を見られたことで、アクシデントだけれどこんな事態に遭遇できるのもプレヴューの楽しみのひとつでもあるか・・・と思わせて、そして今度の中断は少し最初より長かったけれど、無事にまた幕は開きました。

私は実は、シェイクスピアのハムレットは母と恋人に怒り責め続けるのが苦手だったのですが、ベネディクトが提示した「人を信じては傷つく幼い心が叫んでいる未熟な魂」にそれも少し納得できるようになってきました。

それとこれも原作ではあまり自己を感じられず存在感がなかったオフィーリアの描き方が生き生きとしていて好きでした。父や兄に身持ちを良くしろと諭される若い娘でも、思春期以降ならば人格もきちっとあったはずなのに、シェイクスピアの時代にはそれが軽んじられていたのが、肉付けされていながらもハムレットの母に対応する処女性も保っていたと思います。


昨日がプレスナイトだったため今は公式記事が出始め、最初のシーン原作どおりに変更になったとチラリ目にしました。本公演は10/15のナショナル・シアター・ライブで、英国その他の国では劇場と同時に各地の映画館で見られるのですよね。日本も時差はあるけど翌日くらいには映画館で見たいですね!!



同じ会場バービカンでの映画特集のポスター


8/27追記書き忘れてこれはどうしても言っておきたい不思議なこと

ファンになって以来3年以上見続けていたせいなのか?この舞台で実は私「デンマーク王子を見た」気がしなくて、ずっと「演技するベネディクトさん」を見ているという認識の仕方でした。それは映像と違って生身の人間を見るからなのか?例えばシャーロックを見る時の私の脳は、「俳優ベネディクトさん」よりも「高機能ええかっこしいシャーロック」として見ています。同じハムレットでも、ローリー・キニア、デヴィッド・テナント、ベン・ウィショーのをナショナル・シアター・ライヴやDVDで見ましたが彼らはデンマークの貴公子に見えたんです。映像で時折アップもあったから感情移入しやすかった?舞台だと生身に注目してしまって物語に入っていってないからでしょうか?

追記の追記プレスの信憑性を疑う

2度の中断があった日、終了後のステージドアにてベネディクトによるファンの皆へ「演技に集中できないので動画や写真をとらないで」というアナウンスがあり、その中でもそのメッセージをさらに皆に伝えて欲しいという彼の願いに応え、その様子を撮影した動画がネットに拡散されました。同時にそれを記事にした媒体もあり、「客席に録画していることを表す赤いライトが見えて集中できず舞台が中断された」と書かれていました。
事実は「音楽が出なかった」と「奈落がステージに再び上がらなかった」ために中断されたのであり、録画ボタンで集中力を削がれたためではありません。
この件で、プレスというものは事実のウラをとらないで記事を書いているんだな、と改めて実感したのでありました。