Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

トム・ヒューズ&トビー・ウィザウス インタ

2015-05-14 23:22:00 | トム・ヒューズ
2014/11/9付けColliderにて、The Gameについて主役俳優と脚本家のインタビューが掲載されていたので、和訳してみました。原文はこちら→


トム・ヒューズと製作者トビー・ウィザウス、THE GAMEと70年代スパイについての研究、ストーリー構成、シーズン2の行方などを語る


ドラマシリーズThe Gameは、闇の活動というリスクの高い世界で訓練を受けた、スキルのあるスパイによって闘われる複雑な目に見えない戦争ものだ。1972年のロンドン、英国を屈服させる致命的に危険なソビエトの陰謀が計画され、MI5諜報員でプロのスパイであるジョー・ラム(トム・ヒューズ)は潜伏するソビエトの諜報員を1人1人、彼らが計画を実行する前に見つけ出さねばならない。ドビー・ウィザウス(Beng Human)製作による、6話からなるスリラーで、共演はBrian Cox、Paul Ritter、Victoria Hamilton、Jonathan Aris、Shaun Dooley、Chloe Pirrie、Marcel Iuers、 Jevgenij Sitochin、 Zana Marjanovic。

Collider独占インタビューにて、エグゼクティブプロデューサーのトビー・ウィザウスは、この番組のアイディアの由来や、正確さを得るためにどれほどのリサーチが必要だったか、明言せずに暗示したりほのめかすことによるキャラクター描写がこのストーリーには要求されたこと、キャストが登場人物に命を吹き込むのを見るのがいかにすばらしいか、シーズン2について知っていること、一方、俳優トム・ヒューズは、このプロジェクトの何が一番魅力だったか、なぜこのような役を待っていたか、ストーリー構成の好きなところ、Brian Coxとの仕事が楽しかったことを語ってくれた。

Collider:トビー、最近は特に、あなたはBeing Humanやドクター・フーなど独自のジャンル作品で知られて来ています。この番組はどうやって生まれたのでしょう?

トビー・ウィザウス:自我自賛したり直感的になりすぎなければ、自分のアイディアに固まらないと思う。1番好きなのはSFやホラーものだと思うけど、この番組のアイディアはこう、ただ出て来た。アイディアというものは浮かんでは消える。それが根をはるかどうかの問題で、これはよく根をはった。Being HumanからThe Gameには、一貫したトーンがあると思う。奇妙な事に、力強さも似ている。どちらの番組でも、結束の強い小さな集団が、世界の秩序を守るために影で働いている。僕は匿名で働くという概念が大好きだ。だが、このアイディアは、弟(兄かも)から勧められた「寒い国から帰って来たスパイ」を読んで出て来た。まったく素晴らしいと思った。あれは調度「裏切りのサーカス」が公開された頃だった。まさしく僕が「誰かがこれを番組にしないと」と思ってたあの時代の冷戦ものだった。それで、純粋に「僕にもできる」と思った。丁度その時、BBCのシリーズのアイディアを出すように言われていて、この話を始めた。なぜかこのアイディアは根をはり続け、そこから僕は発展させた。

Collider:このような仕事をする時、できるだけ正確性を持たせるため念入りなリサーチをする必要があると感じますか?

ウィザウス:はい。僕は70年代にそれを設定したかった。第1に、とてもローファイな時代だったから。今のスパイ番組を見れば、顔認識とかGPS追跡とかがある。ライターにしてみれば、そういうのは実際に近道をたどったドラマだ。それでは話が簡単に運びすぎることにもなる。僕はローファイの世界の困難さとか制限のあるところが好きだ。それ故に、シークレットサービスについて調べた。元MI6役員でとても興味深い話の数々をしてくれる専門的なアドバイザーもいた。あの時は政治犯についてのリサーチもたくさんした。現代、2014年の見方だと、1970年代にはソビエトの侵略はまったく本物の恐怖であったことを忘れるのは容易く、ある意味、今それを理解するのは難しい。とても不安定で被害妄想的な時代で、あの番組に完全に適しているようだったので、たくさんリサーチしたんだ。シークレットサービスに関しては、彼らはその技術や目的をオープンにはしていないので、大幅に創作に頼らずをえなかった。僕が正しく把握していたかを確認してくれるでもなく否定もしない状況ではね。

Collider:トム、このプロジェクトの何に1番ひかれましたか?

トム・ヒューズ:1番ひかれたのは、ジョーのキャラクター。僕はまだ20代だけど、20代前半の時というのは、キャラクターの多くが1次元や2次元になってしまう。ドラマを体現する役をやりたい、ひとりの人間の心理を分析するだけじゃなくて。それが僕を演技にひきつけた。特に人間のかかえる矛盾が。そしてジョーとはそういう矛盾の存在だ。言葉に出されないことがたくさんある。彼にはずっと警戒し続け、しまい込んで、隠しているものがたくさんある。彼は内面の弱みを露にせず、その謎が人を引きつける。それは彼がこれまでの生涯ずっとかかえて来た何かなんだと思う。何も表に出さないようなキャラクターを作ることはやりがいがあった。流れる深い感情を持ちながら、冷酷でストイック、分析的な顔を持つという。それは素晴らしい挑戦だと思った。こういう役を本当にずっと辛抱強く待っていた。不良少年役でそれを得ることもよくある。20代半ばの頃は僕には、それがそういう矛盾をかかえた役だった。僕はそれを掘り下げて、それでもなお複雑さを持つことのできる役を見つけたかった。だから、これは僕にとってどうしてもやりたい夢の役だった。それから、あの政治状況は誰にとってもどの階級にも危険が大きかった。複雑さをかかえるキャラクターのことを発掘したり見つけたりすることは興味深かった。時代も複雑で僕がまったく知らない世界でのことだったし。複雑なんだ。現実がとても秘密主義だったから。全ての要素が重なって僕が演じたくて仕方なかった何かになったんだ。

Collider:「Dancing on the Edge」でした仕事に匹敵しうるキャラクターを見つけることはハードでしたか?

ヒューズ:あの2人は似ている。子供の頃の体験ででできあがった自分自身から逃げようとしている。どんな精神分析医と話しても、まず彼らが聞く事は「子供のころ何がありましたか?」だし。Dancing on the Edgeの美しさは、僕にとっては、Stephen Poliakoffの脚本だ。あの役は、表面上は、ただ若くて、愛想のいい貴族だけれど、心の底には彼を蝕むすごい暗さがある。ジョーにとても似ている。彼らは表れ方は対極に異なるのだけれど、彼らの矛盾は似ている。それは実際には普遍的なことだから。誰でも裏に抱えていることや、自分自身について受け入れられないことがある。僕はいつもそういう役に心を捉えられる。日常で僕が捉えられるのは、人は実際に感じることを言わないことだ。ドラマでは、物事は強調されているから、僕達が普段怖くて直面できない核心に実際に目を向けることができる。

Collider:アメリカのドラマは、何でも説明しすぎる傾向がありますが、イギリスのドラマにはありません。

ウィザウス:それがイギリス的な特徴だと思う。僕たちが無口だとは言わないけれど、たぶん抑制されているのかな。それに、あの時代は分析が一般化する前だったから、何でも自分でどうにかするものだった。満を持して始動した戦後世代だ。それは確かに僕がキャラクターに求めたものだった。脚本家にしてみれば、発言しないで暗示したり、明言しないでほのめかしたりするキャラクターを書く事は、やりがいもあるが、それ以上に楽しいことだ。

ヒューズ:役者としても楽しい。もし全てがページに書かれていて、それを観客にスプーンで食べさせるとしたら、自分の仕事は単に台詞をはっきりと発音することだと感じるだろう。物語の構造が自己完結してるわけだから。トビーの脚本で僕が大好きなのは、構成がそこで、しっかりとしていて、それが物語を進めて行く点だ。キャラクターが抱える秘密は観客には見せられないで、それを握っているというのは楽しい。各シーンを演じている時、その役者として自分自身に没頭させてくれる自分との対話が生まれて来るんだ。演じているすべてのシーンで。説明的だと感じるものはない。物語を進めるためにやっていると役者が感じるようなことはない。キャラクター達が何か喋っているのには喋る理由があるんだ。それはひとつの才能だ。まさに。

Collider:物語にどっぷりと浸った観客が、次に何が起きるかさらにじっくりと見たくなる手法をとりたいですか?

ウィザウス:The Gameはじっくり見るものであって欲しい。信じられないほど入り組んだ筋立てだ、僕や他のエグゼブティブプロデューサー達も「そうか、彼はあれは知っている、でもこれは疑ってるな」となってしまうほどに。だから、3次元の数独みたいなものだった。そこにこの情報を出したらダメだな、ここにあるこっちの情報と相反するからなという具合に。自分自身とこの物語の6つのエピソードの脚本を制御しなくてはならなかった。脚本会議は長くなって、終わると脳は完全にフリーズ、だけど、それが僕のやりたいことだった。入り組んで複雑で、観客に要求するような何かを。よく、観客の知性というのは過小評価されている。その結果、よくできた番組を見ると、例えば「True Detective」など、観客に要求して、観客はそれを喜んでいる。彼らはそのような番組に出て来る多義性のあるシーンが好きなんだ。

Collider:トム、ブライアン・コックスと一緒に仕事するのはどうでした?特に、ふたりの役はダイナミックでしたが。

ヒューズ: 信じられないくらい楽しかった。ブライアンはすごい人。キャスト全員、実はすごかった。ひとりひとりがすごくて、信じられないほど集中して、これは余計に大変な仕事だと思わずに、いい仕事ができた。みんなでひとつという感じを共有していた。全員同じように力のあるキャスティング。あるキャラクターとはより長い時間を一緒に過ごすけれど、機械の歯車には歯ひとつひとつがなくてはならない。全体の物語にも、そこで起こる捜査にも。共同作業のような感覚だった。ブライアンは驚異的な俳優で、親切で度量の広い人。だから彼のような人のすぐ近くで働くことはとにかく勉強になった。僕は彼に比べたらこの世界のことにはまだ新人だから、自分がちょっとスポンジになったように吸収していると思う。どんなことでも有り難いサポートだ。彼のすぐ近くで働くことそのものが素晴らしいことだった。本当に楽しめた。

Collider:ブライアン・コックスを「Daddy」と呼ぶのは、キャラクター名だとしてもちょっと奇妙では?

ウィザウス:あのキャラクターについては、完全に仕事で消耗してしまった、言わば仕事に食われた人間にしたかった。人格すべてを食われ、名前さえも。僕のバージョンのMI5は、「Daddy」とは総裁に与えられる名前なんだ。MI6のトップが「C」と、ボンド映画では「M」と呼ばれるのと同じだ。それらの名前は本質的には地位だ。彼らの役職であり、仕事であって、人そのものではない。

Collider:トビー、このような興味深いキャラクター達の集合体に、俳優達が命をふきこむのを見るのはどうでしたか?

ウィザウス:ああ、素晴らしいよ!トムやブライアンのようなキャストを得て、ラッシュ(取り終えたばかりの未編集のフィルム)を見る時の喜びは言葉にできない。あれはいつも1日のご褒美だった。午前中ずっと働き、そしてランチの時に前日撮影したラッシュを見た。形あるものとなり、それが並外れたやり方でもって、熟練業と洗練さのある仕上がりで、細部やニュアンスまで見る事は、まさにこの世で最大のスリルだ。驚異的だ。この仕事で好きなことに、スクリーンに突然現れたものを見るというのがある。そして、それを会議に送って、彼らが各シーンを大体の順番につなぐのはスリルそのもの。Being Humanでは、僕が最後の2エピソードを書いていた時に、最初の2エピソードが放送されていて、それが自分のやっていることに情報を与えるんだ。すぐに、僕はトムの声やブライアンの声で書く事になるだろう。それはそれ自身で継続できるものになる。それが起こるプロセスはわからないけれど、気がついたらそういうやり方で進んでいるんだ。すごいよ。どんどん有機的でオーダーメイドなプロセスになっていく。

Collider:私達は、最後にストーリーが完結した感覚を味わうのでしょうか、それとも、疑問を残すことになりますか?

ウィザウス:他の戦争と同様、冷戦も数10年続いた。これはその戦争のほんの一瞬のことだ。そして、シーズン2とそれ以降に、シーズン1から派生していく。次の冒険や次の章があるだろう。とは言え、6話の最後には完結したという感覚があると良いよね。僕はシーズン2のあらすじと、最初のエピソードはもう書いてある。あれは夢じゃなかった。物語は続いて行く。




Dancing on the Edge Chester Chronicleより

チュイテル・イジオフォーやマシュー・グードがもっとメインの役で出ていますが、トムが地元出身の俳優ということで紹介されています。地元の華なのね・・・()