ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

重松清「熱球」

2019-11-28 19:52:40 | Weblog
主人公の清水洋司は出版社を退職し、一人娘の美奈子を連れて、東京から故郷の山口県周防氏に帰ってきました。妻の和美は大学の助教授でアメリカ移民史を研究するため、ボストンに旅立ちました。

地元に残った人に対しては温かいが、よそ者やで戻りに対しては冷たい町という言葉を重松さんは何度となく使います。それでも20年前、周防高校、通称シュウコウで遠い甲子園に憧れていた洋司と憧れていた仲間たちは強い絆で結ばれています。シュウコウの教師となり、野球部監督の神野や洋食屋「カメさん」を経営する亀山。

しかし、いつまでも青春ごっこは許されない現実の厳しさ。亀山は洋司に何度も厳しい言葉を投げかけます。洋司の母は亡くなり、残された老いた父。東京に帰るのか、ここに骨を埋めるのか。洋司は結論を出せません。

そんな中、美奈子が学校でいじめられていることが発覚。洋司が授業参観に行った日も彼女はいじめにあっていました。制止するか戸惑う洋司。その時、一人の母親がいじめを止めに入ります。藤井恭子。20年前のシュウコウの女子マネージャーでした。彼女はトラック運転手をしながら、息子の甲太を育てていました。

洋司たちが3年生の夏、運に恵まれて決勝まで進み、甲子園にあと1勝まで迫ります。その矢先、レギュラーのオサムと密かに付き合っていた恭子が妊娠し、中絶したことが発覚し、シュウコウは決勝を辞退しました。オサムは野球部の仲間と疎遠になり、バイク事故で亡くなりました。恭子も卒業後は周防から離れましたが、離婚後に戻ってきました。

洋司は野球に関しては熱血です。忙しい神野に代わって野球部の手伝いをするのですが、昭和そのものの指導法で部員たちに疎まれてしまいます。洋司、いや重松さんの考え方がはっきり表現された一文があります。恭子の息子、甲太は野球が得意でした。ヨージは「甲太くんには野球選手じゃなくて、高校球児になってほしい」と。重松さんの気持ちは分かるけれど、大切なのは選手の意思でやっているかだと思います。

故郷も時は等しく流れます。応援団長のザワ爺は亡くなり、亀山は「カメさん」を閉店しました。そして洋司は出版社の先輩の誘いを受け、東京に戻る決断をしました。
夏の県予選。神野の指揮の下、シュウコウは初戦を迎えました。洋司は東京に戻るため、スタジアムに背を向けます。流れるコンバットマーチ。まだ彼らは人生という試合の只中にいます。

僕はこの小説を読んで太田裕美の「君と歩いた青春」という曲を思い出しました。重松さんの優しい文章に包まれた熱球は紛れもなく名作でした。

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