ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

漠たる不安(一話完結)

2017-09-10 22:02:44 | Weblog
現在、一ノ瀬哲也は4年前に定年を迎えた会社で、嘱託社員として働いている。契約が切れるまで、すでに1年を切った。埼玉から東京まで電車で1時間以上の往復。出勤時間も変わりなく、この日も7時にはリビングで新聞に目を通す。キッチンでは慌しく、妻が朝食を作っている。そしてテーブル越しに座っているのが、息子の正志だ。

哲也は朝食を終え、7時半前に自宅を出た。駅まで10分程度。少しくたびれた住宅街を縫うように歩く。年齢による衰えか、それとも数年前に胃がんの手術をしたからか、少し足腰が弱ったような気がする。息子のことが気掛かりだ。年齢は35歳。自分の後を追うように自宅を出る。しかし昼には自宅へ戻るのだ。週4日ほど、スーパーでパートをしている。いまだに哲也が扶養しているのだ。

子育ては順調に進んでいるつもりでいた。思春期にもこれといった反抗期はなく、真面目に受験勉強にも取り組み、一流に近い大学に進学した。しいて言えば、少し大人しいかなと思う程度だった。最初に変化を感じたのは、大学4年に進学した頃だった。就職活動をしないのだ。哲也が妻に尋ねると「専門学校に行きたい」との事だった。今にして思えば、この時、正志と話し合うべきだった。

正志は専門学校を中退。すでに大学卒業の賞味期限は切れている。ある意味、自然の流れで彼はフリーターになった。あれから12年ほどの歳月が流れてしまった。哲也が不思議に思うのは、正志が朝から夜までの長時間労働をしない事だ。少し痩せているが、特に体の悪いところはない。しかし、なぜか3、4時間の短時間のバイトを選ぶのだ。彼に直接聞いてはいないが、妻によると、「これくらいの時間が限界」と話しているようだ。今も昼に帰ってきて「疲れた」と漏らすらしい。

哲也は人を怒るのが苦手だ。それは自覚している。会社でも人との争いは出来るだけ避けてきた。母親は大概、息子に甘いものである。だから本来、父親である自分が、正志に強く言うべきなのかもしれなかった。しかし、摩擦を起こす勇気がなかった。哲也の会社の、正志と同世代の社員の働き振りを見ていると、到底、息子には無理だと感じる。しかし、今さらどうすれば良いというのだ。

あと少しで、会社を辞め、年金生活に入る。その収入が一ノ瀬家の柱となるのだ。10年後、哲也は75歳、妻も70を越え、息子は45歳。勇気を持てなかった罪なのか?何か、奥底から得体の知れない強い怒りが湧いてくる。正志に対してなのか、自分に対してか、社会に対してかよく分からない。動悸が速いのは、駅へ急いでいるばかりではなかった。
コメント
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