もういないですが、恵まれた待遇!
ロンドンで記者会見とかしていたんですね。
前座が大好きなゲーリー・ムーアなんて、なんて贅沢な。
曲があります。
Minako Honda (with Brian May) - Golden Days (Promo Video)
Minako Honda (with Brian May) - Crazy Nights (English Version)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00448449-nksports-ent
英ロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーの半生を映画化した「ボヘミアン・ラプソディ」が記録的大ヒットを続けている。革命的な音楽性と熱い友情をスクリーンで見ながら、彼らに愛され、楽曲を作ってもらい、ヨーロッパツアーの楽屋にも招待された歌手、本田美奈子.さん(05年死去、享年38)を思い出した。こんな日本人歌手はいないと思うので、所属事務所の高杉敬二社長に当時を聞いた。
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-美奈子さんがクイーンのメンバーと会ったのはいつですか。
高杉 クイーンが人気絶頂だった86年のヨーロッパツアーです。11月のフランクフルト公演に招待され、終演後の楽屋にもおじゃまさせてもらいました。ギターのブライアン・メイが美奈子に曲を作ってくれて、10月に一緒にレコーディングした縁で。用意してくれた飛行機はファースト、ホテルはスイート(笑い)。30万人規模のコンサートなんて初めて見たし、前座がゲイリー・ムーアとペットショップボーイズ。何もかもがケタ違いのスケールで、美奈子も僕も圧倒されっぱなしでした。
-楽屋で会ったフレディはどんな人でしたか。
高杉 とても優しい人。豪華な食事が用意された中でメンバーや関係者とワイワイやっていて、美奈子のことは誰かの子供と思ったみたい(笑い)。ブライアンが「先月一緒にレコーディングした子で、とても歌がうまいんだよ」と紹介したら「おいでおいで」って隣に座らせてくれて、写真も撮ってくれて。「年はいくつ?」とか「歌はいつから始めたの?」とか、いろいろ話し掛けてくれた。人に対して壁を作らない、本当に魅力的な人。
-美奈子さんは何を話したのですか。
高杉 珍しく緊張しまくって、何もしゃべれなかったんですよ(笑い)。美奈子はデビューした年(85年)の記念すべき武道館コンサートの1曲目に「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」を選んだほどのクイーンのファンだったから。ジョン・ディーコンもロジャー・テイラーもみんなフレンドリーでよくしてくれた。「ボヘミアン・ラプソディ」を見ましたけど、彼ら4人の魅力が懐かしかったです。
-ブライアン・メイに曲を作ってもらったのは、美奈子さんがクイーンのファンだったからですか。
高杉 そうですね。レーベルが同じEMIだったから、クイーンの担当だった宇都宮カズさんに冗談半分で仲介をお願いしたら、ビデオを添えて伝えてくれて、ブライアンからまさかのOKの返事が来た。「かわいくて歌がうまい」と。美奈子も本当に驚いて、みんなでワーッと大喜びしました。
-86年だと、「1986年のマリリン」のころですか。
高杉 そう。マリリンが大ヒットした後くらい。6~7月に「CRAZY NIGHTS」と「GOLDEN DAYS」の2曲を作ってくれて、10月にロンドンで2週間、一緒にレコーディングしました。日本語版の歌詞はマリリンの秋元康君にお願いして。当時の秋元君は、売れる前のスタートラインのところ。「この街のノイズは」とか、かっこいい詞なんだよね。日本の作詞家でクイーンとがっぷり組んだのは彼しかいないと思う。
-スタジオで、目の前にブライアン・メイがいるってすごいですね。
高杉 映画の通り、インテリで見た目もかっこよくて、人に優しい。美奈子を「ベイビー、ベイビー」ってかわいがってくれて。美奈子もなぜかブライアンには全然緊張していなくて(笑い)、一緒のディナーで料理を待つ間に居眠りしたこともあった。僕からブライアンに謝ったら「ベイビーだから寝かせておこう」って言ってくれたり。
-クイーン流のレコーディングはどうでしたか。
高杉 何もかもがケタ違い。ロンドンのブライアンのスタジオでしたが、2つのスタジオをつないで、(多重録音の)チャンネルが100以上ある(笑い)。音の厚みがすごいわけ。当時の日本は多くても48とか68とか。2つつないで百何十チャンネルなんて撮り方は考えつかないものでした。
-どちらも、クイーンサウンドを実感できる曲ですよね。
高杉 「GOLDEN DAYS」のオリエンタル風なイントロや、チクチクと刻むサウンドなどはまさにクイーン。ポップな曲調の「CRAZY NIGHTS」も、イントロの弾き方がいかにもブライアンのギターで。2曲完成した時は美奈子も「宝物だ」って飛び上がって喜んで。
-レコーディングは快調に進んだのですか。
高杉 歌唱にダメ出しはありませんでしたが、英語の発音はマンツーマンで指導してくれて、何テイクもやりました。音や完成度への徹底したこだわりは美奈子も大きな影響を受けたと思います。特に「GOLDEN DAYS」は、ブライアンが「この楽曲はUKでもやる」と急きょロンドンで記者会見まで開いて。現地の大勢のマスコミにプロデュースの理由を聞かれて「ベイビーがかわいいから。そして何より歌がうまい」と美奈子を絶賛してくれました。
-プロモーションのため、「GOLDEN DAYS」はミュージックビデオも撮っていますよね。映像の方でも名作ぞろいのクイーン流を体験しているのは貴重なことですね。
高杉 すっごいいい映像なんですよ。スタジオに広々と水を張って、真ん中に美奈子を置いて。つま先でポーンとやると、水に映った彼女の姿が揺れる、みたいな。11月で寒かったけど、理想の形になるまで足を温めながら20テイクくらいやって。美奈子も「メイクだけは自分でやる。そうでなければ自分が出ない」という信念だけは相手がブライアンでも譲らなかった。目尻を真っ黒にしたエキゾチックなメークをして出てきた時は、ブライアンも驚いて感動してくれて。
-映画でまたクイーンが脚光を浴びていますね。
高杉 僕のようなクイーンを知っている世代は納得だけど、知らない若い世代に響いているというのがすごいですよね。
-美奈子さんもフレディも、もういないのは残念です。
高杉 本当にね。美奈子はクイーンに出会ってから音楽へのこだわりが強くなって、バンドをやったり脱アイドルへの模索を始め、後にミュージカル、クラシックへと幅を広げていったのですから大きな存在です。05年に美奈子が亡くなった時も、ブライアンが追悼メッセージを寄せてくれて、美奈子の歌う「アメイジング・グレイス」にギターをつけてくれた。フレディはいないけど、ブライアンら3人はみんないますしね。美奈子とクイーンの交流は、当時も今も大きな財産です。