カズのゴール、感動した。
あんな44歳、めちゃくちゃカッコイイな。
ここをいつも読んでくれている人は(そう多くはいないと思うけど)、俺がひねくれモノだということは知っているだろうけど、
最近、思うのです。
芸能人とかスポーツ選手とか、皆テレビで「頑張ろう」とか言うメッセージを贈ってるじゃないですか。
「頑張って」とか「お見舞い申し上げます」はわかるとして、
「乗り越えられない困難はない」とか
「絶対に明るい未来がある。一緒に頑張ろう」
みたいなメッセージが出てくるときがあるじゃないですか。
わからないんですよね、こういうメッセージの意味が。
「乗り越えられない困難はない」というのは、これまでの人生の困難を乗り越えてきた人が言ってるだけでしょ。
これと似てることで、アイドルとか歌手が「夢は信じてれば絶対叶うよ」的なことを言うけど、夢が叶った人が言ってるだけでしょ、って、考えちゃうんですよね。
「夢は叶えられなかったけど、でも、夢に向かって頑張ったから今の自分がある」みたいな話なら、素敵だと思うんですよ。
そういうわけで、被災地の人たちに、「乗り越えられない困難はない」とか言うのは、
「なにをのん気な・・・」って、
思ってしまうんです。
だって、自分以外の家族全員が死んだ人も居るんだよ。
死んだ人は、もう帰ってこないんだよ。どんなに頑張ったって、蘇ってはくれない。
家族の平和な暮らしを取り戻したいという夢は、もう絶対に叶わないのだ。
そういう絶望の中にいる。
町が壊滅したところでは、今後どこに町を作るのか、という自治体としての根本的な難題が立ちはだかる。
同じ土地に町を再建するべきだろうか。
でも、自分が先祖代々引き継いだ土地に拘る人だって、絶対いるはずだ。
内陸に住めば、津波の恐れは減るかもしれないけど、町全体が漁業で成り立っていた地区は、そんなこと不可能だ。
どうすればいいのか。
こういうところに、阪神大震災とは違う絶望さがある。
耐震性を上げた建物を作り直せばよいわけではない。
だから、避難所の人々は、今後どうなっていくことで町は復興し、少しでも元の生活に戻っていけるのか、というビジョンが、
まったく立たない。
誰が悪いんでもない。
ただ、現実に立ち向かわなくてはならない。
「地震でたくさんの人が亡くなりました」→「一緒にがんばろう。かならず良くなるよ」
そんなの全然、お見舞いにならない。
そう思えて仕方ない。
もっと言えば、浅はかな「心配してますよアピール」にさえ聞こえてしまうのだ。
もちろん、俺だって、
かけられる適切な言葉もわからないし、
もしマイクを向けられれば、「一緒に頑張りましょう」みたいなことしか言えないんだろうと思う。
だから、これも、誰が悪いっていうわけじゃないのだろう。
ということも、分かっている。
さて、そんななか行われた今日のサッカー。
カズのゴールには本当に感動したし、全体を通しても良いプレーがたくさんあって、
日本全体を勇気付けてくれたと思う。
サッカー選手は、サッカーをすることで人々に勇気とか元気を与えられるのかもしれない。
野球選手は野球をすることで。
そんな風にスポーツ選手ほどの影響力は当然持ってないけど、
人々は、自分がいま与えられている仕事を、全うすることで日本全体を元気付けていくことしか、出来ないのだろうと思う。
コンビニのアルバイトの人は、それを頑張る。
車を売る仕事の人は、車を売ることを頑張る。
道路工事の人は、道路工事を頑張る。
結局、そうやっていくしかないんだろうね。
日本はかならず復興する、という言葉をテレビでよく聞く。
わざわざテレビで言うってことは、「もしかしたら復興しない」ケースも含んだ言葉なのか。
意味がわからない。
復興するしないに言及することが無意味。
それこそ、多くの芸能人が「必ず明るい未来がまっている」みたいなこと言ってるじゃん。
どっちよ!?
そして、どっちの言葉にも違和感を持つ俺も、どうなってんだろ;
日本は、戦後の復興について、いかにすごいことだったかというのを、
テレビでも社会の授業でも、さんざん聞かされて来た。
1945年には、東京も広島も長崎も焼け野原。
そこから頑張って、
10年後には「もはや戦後ではない」
20年後には新幹線も高速道路も出来ていて東京オリンピックも終わっていた。
30年後には世界2位の経済大国になっていた。
この復興はすごい。たしかに。
でも、もっと言えば、
日本は明治維新の後、わずか38年で、中国とロシアと戦争をして、勝った。
このことも、かなり凄いことだと思う。
当時世界最強だったかも知れないロシアのバルチック艦隊を撃退して、且つ日本軍はほぼ無傷だったというのだから、
ヨーロッパの列強がどれほど驚いたことか。
もちろん戦争はよくない。
人間同士の争いなのに、天災以上の死者が簡単に出てしまう。自国にも相手国にも、たくさんの犠牲を生むことになる。
絶対によくない。
けれども、20世紀前半の世界では、軍事力はとても重要な意味を持っていて、その点で戦争に連勝して列強入りした日本の、
技術力とかは、日本人として誇りに思って良いのではないだろうか。
その意味では、日本の第二次大戦後の復興は、奇跡的なことではなく、
日本人はいつだってそうやってきたのだろう。
戦争は良くないことだから、その点で歴史の授業では、この頃の日本がすごいとは教えてくれない。
そして、第二次大戦後のすごさだけを強調する。
それはそれで、確かに平和が大事だから、教育として必要なのかも知れないけど。
なんかよくわからなくなってしまったけど、
結局は
みんなで一緒にがんばろう。
ぜったいに乗り越えられる。
こうなってしまう罠。。。
あんな44歳、めちゃくちゃカッコイイな。
ここをいつも読んでくれている人は(そう多くはいないと思うけど)、俺がひねくれモノだということは知っているだろうけど、
最近、思うのです。
芸能人とかスポーツ選手とか、皆テレビで「頑張ろう」とか言うメッセージを贈ってるじゃないですか。
「頑張って」とか「お見舞い申し上げます」はわかるとして、
「乗り越えられない困難はない」とか
「絶対に明るい未来がある。一緒に頑張ろう」
みたいなメッセージが出てくるときがあるじゃないですか。
わからないんですよね、こういうメッセージの意味が。
「乗り越えられない困難はない」というのは、これまでの人生の困難を乗り越えてきた人が言ってるだけでしょ。
これと似てることで、アイドルとか歌手が「夢は信じてれば絶対叶うよ」的なことを言うけど、夢が叶った人が言ってるだけでしょ、って、考えちゃうんですよね。
「夢は叶えられなかったけど、でも、夢に向かって頑張ったから今の自分がある」みたいな話なら、素敵だと思うんですよ。
そういうわけで、被災地の人たちに、「乗り越えられない困難はない」とか言うのは、
「なにをのん気な・・・」って、
思ってしまうんです。
だって、自分以外の家族全員が死んだ人も居るんだよ。
死んだ人は、もう帰ってこないんだよ。どんなに頑張ったって、蘇ってはくれない。
家族の平和な暮らしを取り戻したいという夢は、もう絶対に叶わないのだ。
そういう絶望の中にいる。
町が壊滅したところでは、今後どこに町を作るのか、という自治体としての根本的な難題が立ちはだかる。
同じ土地に町を再建するべきだろうか。
でも、自分が先祖代々引き継いだ土地に拘る人だって、絶対いるはずだ。
内陸に住めば、津波の恐れは減るかもしれないけど、町全体が漁業で成り立っていた地区は、そんなこと不可能だ。
どうすればいいのか。
こういうところに、阪神大震災とは違う絶望さがある。
耐震性を上げた建物を作り直せばよいわけではない。
だから、避難所の人々は、今後どうなっていくことで町は復興し、少しでも元の生活に戻っていけるのか、というビジョンが、
まったく立たない。
誰が悪いんでもない。
ただ、現実に立ち向かわなくてはならない。
「地震でたくさんの人が亡くなりました」→「一緒にがんばろう。かならず良くなるよ」
そんなの全然、お見舞いにならない。
そう思えて仕方ない。
もっと言えば、浅はかな「心配してますよアピール」にさえ聞こえてしまうのだ。
もちろん、俺だって、
かけられる適切な言葉もわからないし、
もしマイクを向けられれば、「一緒に頑張りましょう」みたいなことしか言えないんだろうと思う。
だから、これも、誰が悪いっていうわけじゃないのだろう。
ということも、分かっている。
さて、そんななか行われた今日のサッカー。
カズのゴールには本当に感動したし、全体を通しても良いプレーがたくさんあって、
日本全体を勇気付けてくれたと思う。
サッカー選手は、サッカーをすることで人々に勇気とか元気を与えられるのかもしれない。
野球選手は野球をすることで。
そんな風にスポーツ選手ほどの影響力は当然持ってないけど、
人々は、自分がいま与えられている仕事を、全うすることで日本全体を元気付けていくことしか、出来ないのだろうと思う。
コンビニのアルバイトの人は、それを頑張る。
車を売る仕事の人は、車を売ることを頑張る。
道路工事の人は、道路工事を頑張る。
結局、そうやっていくしかないんだろうね。
日本はかならず復興する、という言葉をテレビでよく聞く。
わざわざテレビで言うってことは、「もしかしたら復興しない」ケースも含んだ言葉なのか。
意味がわからない。
復興するしないに言及することが無意味。
それこそ、多くの芸能人が「必ず明るい未来がまっている」みたいなこと言ってるじゃん。
どっちよ!?
そして、どっちの言葉にも違和感を持つ俺も、どうなってんだろ;
日本は、戦後の復興について、いかにすごいことだったかというのを、
テレビでも社会の授業でも、さんざん聞かされて来た。
1945年には、東京も広島も長崎も焼け野原。
そこから頑張って、
10年後には「もはや戦後ではない」
20年後には新幹線も高速道路も出来ていて東京オリンピックも終わっていた。
30年後には世界2位の経済大国になっていた。
この復興はすごい。たしかに。
でも、もっと言えば、
日本は明治維新の後、わずか38年で、中国とロシアと戦争をして、勝った。
このことも、かなり凄いことだと思う。
当時世界最強だったかも知れないロシアのバルチック艦隊を撃退して、且つ日本軍はほぼ無傷だったというのだから、
ヨーロッパの列強がどれほど驚いたことか。
もちろん戦争はよくない。
人間同士の争いなのに、天災以上の死者が簡単に出てしまう。自国にも相手国にも、たくさんの犠牲を生むことになる。
絶対によくない。
けれども、20世紀前半の世界では、軍事力はとても重要な意味を持っていて、その点で戦争に連勝して列強入りした日本の、
技術力とかは、日本人として誇りに思って良いのではないだろうか。
その意味では、日本の第二次大戦後の復興は、奇跡的なことではなく、
日本人はいつだってそうやってきたのだろう。
戦争は良くないことだから、その点で歴史の授業では、この頃の日本がすごいとは教えてくれない。
そして、第二次大戦後のすごさだけを強調する。
それはそれで、確かに平和が大事だから、教育として必要なのかも知れないけど。
なんかよくわからなくなってしまったけど、
結局は
みんなで一緒にがんばろう。
ぜったいに乗り越えられる。
こうなってしまう罠。。。
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