いまは、とりあえず不謹慎とか言って、自粛しておけばいいみたいな風潮がありますね。
とりあえず「不謹慎」を指摘することで正義ぶったり、自粛することで配慮が行き届きまくってる風に演じてるかもしれない。
でもそうだとしても、こういう気配りや遠慮のある日本の文化は、良いことだとは思いますけどね。
そういう自粛ムードに対して、「そろそろ自粛ばっかりもやめようぜ」「経済まわしていかないと!」っていう
動きが出始めてるのは、健康的で良い流れだと思います。
「とりあえず言っておけ」という流れは、べつに震災に限ったことではなくて、
つい最近でいうと、「とりあえずエコって言っておけ」という流れがありました。
いや、今もあると思う。
まぁ、原子力と電気の神話が崩壊しつつあるので、今後はどうなるか分からないけど。
あとは、「禁煙って言っておけ」というのもある。
とりあえず「当店では全面禁煙(分煙)してます」は、絶対的な正論になった。
エコや禁煙に取り組めば、それは社会的に貢献している企業として立派に存在しているのだ、と言わんばかりに。
それに変わるものとして、震災以降の絶対的正論となったのが「自粛」と「節電」
それはそれで良いのだけど、そのことで「やったつもり」になるのはなんだか滑稽だし、危険だ。
選挙活動が始まったらしいけど、候補者の主張みたいのを見ていると、皆が
「災害対策」とか、「防災都市・システムの構築」とか、そんなのばかり。
これこそ最悪の「とりあえず言っておけ」
たしかに災害対策は大事だ。
だけど、それは今度の地震がなかったら、絶対いちばんには言わなかったでしょ。
そりゃ、地震があったから有権者の関心は高い。だから、それについて説明することは必要かも知れない。
だけど、たくさん語るほど準備する時間なんて絶対無かったはずでしょ。
地震が起きてからまだ2週間。
本当に語るに値する、明確な防災対策のビジョンはあるのか。
どうもそうは思えない。
南三陸町の防災放送で、自らが津波にのまれる瞬間まで、放送で避難指示を叫びつづけた若い女性職員。
彼女は、そのとき本当に必要な言葉を、命をかけて、命を捨てて、町民に伝え続けた。
なにも、そこまでする必要はなかった。
途中で投げ出して、役場の上の階へ逃げたって、十分役割を果たしていたはずだ。
でも、そういう理屈ではなくて、自分の役割を最後まで果たすために伝え続けた。
津波から逃げるよう指示する放送は、言葉としては単純な言葉で、何度も連呼しただけかも知れない。
だけど、そこには強い責任感と信念があった。
こういう責任感や信念が、選挙の立候補者にはあるだろうか。
政治家や東京電力の社長や、原子力保安院だかの役人には、あるのだろうか。
言葉巧みに飾りをつけて、それっぽく聞こえるようにまとめあげる話術の披露会のような会見は、全く意味をもたない。
シンプルで良いから、国民が、避難生活の人々が、信じて良いと思える説明とメッセージが欲しい。んじゃないか
命がけの防災放送、命がけの放水活動、44歳のゴール
言葉ではない、その行動で、みんな心を動かされているのではないだろうかね
とりあえず「不謹慎」を指摘することで正義ぶったり、自粛することで配慮が行き届きまくってる風に演じてるかもしれない。
でもそうだとしても、こういう気配りや遠慮のある日本の文化は、良いことだとは思いますけどね。
そういう自粛ムードに対して、「そろそろ自粛ばっかりもやめようぜ」「経済まわしていかないと!」っていう
動きが出始めてるのは、健康的で良い流れだと思います。
「とりあえず言っておけ」という流れは、べつに震災に限ったことではなくて、
つい最近でいうと、「とりあえずエコって言っておけ」という流れがありました。
いや、今もあると思う。
まぁ、原子力と電気の神話が崩壊しつつあるので、今後はどうなるか分からないけど。
あとは、「禁煙って言っておけ」というのもある。
とりあえず「当店では全面禁煙(分煙)してます」は、絶対的な正論になった。
エコや禁煙に取り組めば、それは社会的に貢献している企業として立派に存在しているのだ、と言わんばかりに。
それに変わるものとして、震災以降の絶対的正論となったのが「自粛」と「節電」
それはそれで良いのだけど、そのことで「やったつもり」になるのはなんだか滑稽だし、危険だ。
選挙活動が始まったらしいけど、候補者の主張みたいのを見ていると、皆が
「災害対策」とか、「防災都市・システムの構築」とか、そんなのばかり。
これこそ最悪の「とりあえず言っておけ」
たしかに災害対策は大事だ。
だけど、それは今度の地震がなかったら、絶対いちばんには言わなかったでしょ。
そりゃ、地震があったから有権者の関心は高い。だから、それについて説明することは必要かも知れない。
だけど、たくさん語るほど準備する時間なんて絶対無かったはずでしょ。
地震が起きてからまだ2週間。
本当に語るに値する、明確な防災対策のビジョンはあるのか。
どうもそうは思えない。
南三陸町の防災放送で、自らが津波にのまれる瞬間まで、放送で避難指示を叫びつづけた若い女性職員。
彼女は、そのとき本当に必要な言葉を、命をかけて、命を捨てて、町民に伝え続けた。
なにも、そこまでする必要はなかった。
途中で投げ出して、役場の上の階へ逃げたって、十分役割を果たしていたはずだ。
でも、そういう理屈ではなくて、自分の役割を最後まで果たすために伝え続けた。
津波から逃げるよう指示する放送は、言葉としては単純な言葉で、何度も連呼しただけかも知れない。
だけど、そこには強い責任感と信念があった。
こういう責任感や信念が、選挙の立候補者にはあるだろうか。
政治家や東京電力の社長や、原子力保安院だかの役人には、あるのだろうか。
言葉巧みに飾りをつけて、それっぽく聞こえるようにまとめあげる話術の披露会のような会見は、全く意味をもたない。
シンプルで良いから、国民が、避難生活の人々が、信じて良いと思える説明とメッセージが欲しい。んじゃないか
命がけの防災放送、命がけの放水活動、44歳のゴール
言葉ではない、その行動で、みんな心を動かされているのではないだろうかね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます