Skb-RS ~ロードスターはじめました~

北海道でロードスター(NB8C)と
デミオ・スポルト(DE5FS)を放し飼いする日記。

異常に反発し、異常に締め付ける。そして、だれも「愛国心」の意味さえ分からない。大人も子供も。

2012-03-20 01:29:49 | Weblog
斉藤佑ちゃんが開幕投手に決まった。

栗山監督の話し方を見ていると、どこか本意ではないような気がした。
外的要因?働きかけがあったか?

変にプライドの高い選手とかは、開幕投手に拘ったりしてモメるだろうけど、武田勝あたりなら、
まぁそのあたりも、監督が説明したら素直に受け入れてくれそうだし。


「佑ちゃんの人気とマスコミの煽りが凄くて、球団上層部からも言われてるから、今回は彼に開幕投手を譲ってあげてくれないかい?勝君」


みたいなことがあったんじゃないか。


と、妄想する。





さて、先日は地元で飲んで実家に泊まって、翌日夕方、札幌の部屋に戻るとストーブが付いていて萎えた。
タイマーしているのを忘れて、そのまま飲みにいってしまったからだ。

温度計は45℃を指していて、
部屋中の、壁、机、テレビ、全てが効率の悪い家電製品みたいに表面が熱々になって熱を帯びていた。


こういうのって、ひとり暮らしあるある、なのだろうか。


1日放置していただけの、ハンバーグの食べ残しがネチョネチョになっていて、
捨てようとして、流し台の蛇口をひねったら、蛇口も熱くなってて、出てきた水まで熱かった。
そうだよな、45℃に暖められた水なら、熱く感じるのも無理はない。

蛇口の中にあった水まで45℃くらいになっていたとは・・・
温度が上昇しまくってずいぶん長い時間を経過していたのだろう。
(ストーブがついてから推定20時間以上)


あー、地球温暖化さらに進行させちゃったな。



国家・君が代の問題は、大変難しいものだ。
基本的には、今更、国家を変えることは無いと思うし、無理なことだと思う。
仮に、反対派の立場になって考えたとしても、
「原則的には間違えているものでも、慣習上定着してしまっているもの」というのは、世の中には他にもたくさんあって、
それを頑なに拒み続けるのは、非効率な動きだと思う。
要するに、無駄なことでしょう。

一方で、取り締まるほうも取り締まるほうで、躍起になりすぎている点で、異常さを感じる。
元来「愛国心を高める」というのを目的に義務化させた国家斉唱だが、
その目的を忘れ、束縛しチェックすることが目的になってしまっている。

子供みたいなことを言うようだけど、束縛されるほど反発したくなるものだし、
上から束縛する行為そのものが愛国心を減退させるように思えてならない。


国歌を変えることはない(そこまでは必要ない)と考える俺だけど、
「君が代は本来、平和を願う歌で、詞の意味も素晴らしい」という賛成派の意見は、
説得力が著しく欠けていると思う。

そのものの起源がどうであったか、よりもどのように使われたか、が重要であるはずだ。
「ダイナマイトは本来、平和利用のために開発された」
「モルヒネは医療用に開発された」
「だから2つとも規制などせず、誰もが自由に使うべき」
という理論と変わらない。

でも、当たり前だけど上記の理論は間違っている。
その起源に関わらず、実態としてどのように使われているか、が重要だ。

君が代が、戦時中の軍国主義の中で、統制のために使われたことは、
どうしようもない事実だ。
そして、この時代にこそ、君が代はもっともその存在意義を持った。


賛成派だとしても、この軍国主義のことを切り離して考えるのは、実態に沿っていないと思う。


「また、公務員である以上、ルールには従うべき。
国のルールに従えないなら公務員やめてしまえ」

という理論が、ネット上では大多数であるかのように語られている。

この理屈は無理がある。

たとえば、オリンパスの粉飾問題では、会社のやり方に反発してクビになった社員がいた。
彼らが今、クビにされたのは不当だとして会社に訴訟を起こす。
クビになった彼らは、会社の中では「不要」となってクビにされただろうが、
社会全体で見れば、彼らこそ正しい行動をし、会社側が処罰を受ける側に立たされるに至った。

それでも彼らは、会社に従っているべきだったのだろうか。


基本的にルールに従うことはとても重要なことだ。
が、この国旗・国歌の問題は、何十年も続いている問題で、思想とか自由とかっていうナーバスな領域の問題だ。
法制化さえたとはいえ、それを規制することは憲法違反にあたるという主張も多い。

考え方の違いによって憲法違反という主張さえされている時に、
一方的に強制化して処分を下すことは、どうしても乱暴だと思うのだ。

公務員は、国に遣われる労働者であると同時に、この国の国民だ。
職務命令には仕事として従うことは当然だが、それがコンプライアンスや憲法に触れると判断して背くことがあったとしても、

そのことで即やめてしまえ、は短絡的な考え方だと思う。


個人的に言えば、反発している教員達はやりすぎだと思う。
教員個人に対しては、「まぁ落ち着け」「必死乙」とでも言いたい。
今更、国歌を変えるほどのことでもないと思うし、卒業式にわざわざ事を大きくさせる必要性もわからない。

ただし、都道府県全体、国全体の単位で見たとき、このように反発する教員が現れるのは、当然のことだ。
起立まではして、口が動かなかったことくらいでは、卒業式の進行を妨げてもいない。



いずれにしても、どちらも必死になりすぎて、意地の張り合いみたいになっていて、
イクナイ。
現実的な主張のなされ方ではない。

ただし、今回の問題は、「君が代は国歌にふさわしいか」と言う古典的な問題について、
「ルールを守らない公務員は処分」という別の問題をわざわざ絡めてきて、話をややこしくしている。


ネット上では、右か左か、両極端な人たちばかりで、
もっと冷静な中立的な人々の気持ちがわかりずらい。

まぁ、中立的な人は、わざわざネット上に書き込まないのかな。














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