昨日の北海道新聞の1面の下の方。
朝日新聞で言えば「天声人語」にあたる、帯のコラムのところを、ふだん読まないのに読んだ。
「最近の若者言葉」に触れて、それを「KY語」と称し、
「空気」「読める」でもKYなのか
「読まない」「読む」では大きな違いではないのか、それも全てYではないか、
とまくしたてていた。
読んで抱いたのは、嫌悪感だった。
誰が書いてるのか知らないけど、北海道最大手の新聞の、それなりにエライ人が、新聞一面で書くことなのだろうか。
まず話題のテーマが、無意味だし、考察が稚拙。
「空気読めるでもKYか。」
だなんて、ローマ字習いたての小5のガキか、って。
「空気よめない」=「KY」
で、由来は「空気」(K)「読めない」(Y)
ただそれだけではないか。
そんなの「CD」は、コンパクトディスクなのか、中日ドラゴンズなのか、オリックスに居たC・Dなのか分からない!
って言うのと同じ。
仕舞いには、このように頭文字で略すのは、ネットの氾濫した現代社会における問題だ、くらいの勢いで締めていた。
もうビックリ。
こういうのをKYって言うのかな、と思った。
どの時代にも、その時代ごとに若者が流行らす言葉は存在して、
それこそ10年前には「MK5」なんて言葉が流行ったし、20年前は「朝シャン」で「ポケベル」だ。
30年前は「NOWい」で、60年前は「サボる」だ。
どんな時代にだって、その時代その時代に、下らない言葉が生まれては消えていって、便利なものは残る。
古代からそれが繰り返されてきて、言葉は時代ごとに少しずつ変化してきたんだって、金田一先生が言ってた。
そういう観点をもたないで、ただ「最近のわかものときたら」という話をするんなら、自身でブログでも立ち上げてやってほしい。
こういう人が、いろいろな会社、社会で「それなりにエラい立場」に居るから、今の日本はこんなんなんじゃないか、って、北海道新聞とそれが伝える国会の問題と、うちの社内を見ていると、そんな気がしてならない。
朝日新聞で言えば「天声人語」にあたる、帯のコラムのところを、ふだん読まないのに読んだ。
「最近の若者言葉」に触れて、それを「KY語」と称し、
「空気」「読める」でもKYなのか
「読まない」「読む」では大きな違いではないのか、それも全てYではないか、
とまくしたてていた。
読んで抱いたのは、嫌悪感だった。
誰が書いてるのか知らないけど、北海道最大手の新聞の、それなりにエライ人が、新聞一面で書くことなのだろうか。
まず話題のテーマが、無意味だし、考察が稚拙。
「空気読めるでもKYか。」
だなんて、ローマ字習いたての小5のガキか、って。
「空気よめない」=「KY」
で、由来は「空気」(K)「読めない」(Y)
ただそれだけではないか。
そんなの「CD」は、コンパクトディスクなのか、中日ドラゴンズなのか、オリックスに居たC・Dなのか分からない!
って言うのと同じ。
仕舞いには、このように頭文字で略すのは、ネットの氾濫した現代社会における問題だ、くらいの勢いで締めていた。
もうビックリ。
こういうのをKYって言うのかな、と思った。
どの時代にも、その時代ごとに若者が流行らす言葉は存在して、
それこそ10年前には「MK5」なんて言葉が流行ったし、20年前は「朝シャン」で「ポケベル」だ。
30年前は「NOWい」で、60年前は「サボる」だ。
どんな時代にだって、その時代その時代に、下らない言葉が生まれては消えていって、便利なものは残る。
古代からそれが繰り返されてきて、言葉は時代ごとに少しずつ変化してきたんだって、金田一先生が言ってた。
そういう観点をもたないで、ただ「最近のわかものときたら」という話をするんなら、自身でブログでも立ち上げてやってほしい。
こういう人が、いろいろな会社、社会で「それなりにエラい立場」に居るから、今の日本はこんなんなんじゃないか、って、北海道新聞とそれが伝える国会の問題と、うちの社内を見ていると、そんな気がしてならない。