★WIRED
(演奏:ジェフ・ベック)
1.レッド・ブーツ
2.カム・ダンシング
3.グッドバイ・ポーク・パイ・ハット
4.ヘッド・フォー・バックステージ・パス
5.蒼き風
6.ソフィー
7.プレイ・ウィズ・ミー
8.ラヴ・イズ・グリーン
(1977年録音)
ジェフ・ベックはイギリスのギタリストで、非常に感覚的でスリリングな演奏スタイルを持つ人です。
ベック演奏を知る多くの人が同意してくださると思いますが、ジェフ・ベックのように弾ける人は他にいないと思います。
ベックの前にベックなし、ベックの後にもベックはいません。仮にフォロワーがいたとても決してベックにはなれない・・・。
クラシックのピアニストで言えば存在の仕方のイメージが似ているのはホロヴィッツでしょうか。グールドとも思ったのですがホロヴィッツですね、やっぱり。
作曲家ならショパン。さもなくばドビュッシーでしょうか。
ジェフ・ベックは、ひとりでR&Bとロックとジャズ・フュージョンを合体させ昇華させたひとつのジャンルを持っています。ジャンル=ジェフ・ベックといったほうがいいのかもしれません。
やはりこの手の音楽は、ライブで聴くのがもっともスリリングでいいとは思うのですが、スタジオ録音なら私はこの1枚です。
ヤン・ハマーとの競演・・・当時はギターとシンセの“バトル”と言われていましたけど、ポケモンとはエラい違いですな・・・は、当時本当にわくわくして聴いていました。
この後、ヤン・ハマー・グループにゲスト競演したスタジオライブ盤“ライブ・ワイアー”なども本当に凄くて魂を抜かれたようになって聴き入ったものです。
ロック・ポップスのアーティストにありがちな男女関係をめぐるゴタゴタでこの二人が袂を分かってしまったのは残念ですね。
もっともベックの繊細な神経にかかると、いかなるユニットも長続きしないようではありますが・・・。それがどんなに素晴らしいチームだったとしても。
さて、1977年というとディスコ流行の嚆矢といった時期でしょうか。
ストーンズが“ミス・ユー”を発表して、どこもかしこもディスコ色が一気に満開になりつつあることだったと思います。
その後、ビージーズの“サタデー・ナイト・フィーバー”でピークに達するわけですが、ここでのベックの2・7の曲などに聴かれるディスコティークな洗練は、私が知っている限り他のいかなる曲の追随をも許しません。
そのほかミンガス作曲の3をカヴァーして、冒頭のテーマのソロの演奏から誰にも出せない味わいを滲ませていたり、5でのヤン・ハマーとの掛け合いなどもすっきり爽快ですばらしい演奏。
しかし、このアルバム一番の聴きどころはなんといっても1の“レッド・ブーツ”ではないでしょうか。
冒頭、ファンクロック調の変拍子のリズムに乗ってディストーションのきいた不協和音のコードが3発繰り出されますが、私はそこですでにノックアウトであります。
リフが出てきたときには既に曲の中に引き込まれていて、ベックならではのサスティーンのサウンドでメロディーに、それから奔放というのはこういう展開を言うのだといわんばかりのインプロビゼーションが天空を切り裂きます。
このころのベックは、曲の進行はジャズ風にテーマを提示した後インプロビゼーションでとことん聴き手の心を打ち抜くようなフレーズを連発していました。
聴き手の衝撃は、クラシックで例えればアルゲリッチが霊感と閃きに満ちた演奏であたかも音楽が今そこで生まれ出でるような・・・などと形容されるような演奏を聴いたイメージでしょうか。
ベックの場合には、アドリブですから正に音楽がそこで生み出されているわけですけどね・・・。
この閃きかたがまた尋常でなく、当時の私には“天啓”とも感じられたものです。
“レッド・ブーツ”の場合には、誰にもまねできないだろう右手の親指によるピッキングの妙と絶妙なアーミングの離れ業を駆使して、ギターの最低音をブリブリさせてから高音域へ飛翔するさまは、竜が咆哮をあげ彼方へ飛び立つようなイメージを感じます。
タイトルは自在に進行方向へ進むことができるブーツというような意味なんでしょうから、私のインスピレーションもそんなに外れてはいないと思います。
これを弾きたくて何度も練習しましたが、最初の3和音すら同じように弦を押えているはずなのに、ピッキングやニュアンスの違いなのでしょうか、あの音にならない・・・。
ここはスゴスゴ諦めて、聴いて愛でるしかないのでしょうね。
特にこの曲でのベックは最高です!!
あとこの記事を書こうと思った元々の理由を・・・。
“SJesterのバックステージ”のバックステージという言葉は、このアルバムの4“ヘッド・フォー・バックステージ・パス”から採っています。
ブログタイトルは、実はアコースティック・ギターとクロスオーバーな音楽に捧げられているのです。
ほとんど記事として採り上げられてはいませんが・・・。
♪~なんでだろぉ~ ♬
★アームズ・コンサート DVD
ロニー・レインが提唱した難病の方の支援を目的としたチャリティーコンサートのライブ盤です。
前述の3大ギタリストの競演が最大の呼び物で、全員が一緒に演奏したのはわずかですが、それぞれがそれぞれのステージを持っていっぺんにそれが見られるという意味では、またクラプトンのリズムセクションはストーンズの面々が務めていたり、スティーヴ・ウインウッドなど英国R&B界ではピン芸人たるアーティストが全編活躍していたりして、同日にロイヤル・アルバート・ホールにいて同じ空気を吸うことができた人たちはホントにラッキーだったと思います。
コンサートが開催されたいきさつから分かるとおり志の高さも含めて、イヴェントとしては大いに評価できるものであったのではないでしょうか。
私は、このコンサートの模様はエアチェックしてそれこそカセットテープが擦り切れるまで聴きました。
LDが出ていたのは知っていましたが、DVDとはこれまた便利な世の中になったものです。画面はいささか暗いようですが、食い入るように見てしまいました。
ベックって音楽は凄く洗練されているけれども、ステージの動き、演奏しているときの格好のつけ方は垢抜けていませんね。
カセットテープを聴いていたときとは、その点においてちょっとギャップがありました。でも頭に刷り込まれている“レッド・ブーツ”の演奏が、視覚を伴って再現されたことで改めて如何にジェフ・ベックというアーティストの奏法が特殊であるかが分かりました。
「こんなにやりかたが違ってちゃぁ、同じ音を出したいと思ってもムリだよね」って感じると同時に、種明かししてもらえたことで積年のモヤットがスッキりしましたね。
ところで我が国を代表するギタリストのCharさんが、NHKの“英語でしゃべらナイト”にゲスト出演したときに、ジェフ・ベックに会ったときの印象を話されていたのが、いたく印象に残っています。
それによると、ベックはよく練習をしているということ・・・。そして、いつも新しい奏法を編み出そうとギターをおもちゃ代わりにしていろいろ試しているのですが、Charさんにも「聞いて聞いて」とせっついてきたようです。そのさまを“中坊(中学生)”みたいと表現されていて、「こんな人がいてくれて嬉しい」と仰ってました。
まさにジェフ・ベックの人となりを垣間見た気分で、私も嬉しくなりました。
ことこのコンサートにおいては、3人のうちでベックが最も素晴らしかったのではないかと思います。
演奏された曲の中では、ベックが商業主義に乗っかってリリースしたヴォーカル曲“ハイ・ホー・シルバー・ライニング”を「特別な機会だから・・・」ということで歌ったのですが、うまいヘタを超越して心に響くものがありました。
本人はそのような曲を自分名義で出したことは、自らのキャリアの汚点だと思っていたようですが、ここで会場全体で大合唱できたことで、ベックにとっても楽曲にとってもとても幸せな関係ができたのではないかと思います。
今こうしてそのシーンを思い起こすだけで、もろもろの事情を知っている私としては目頭が熱くなります。それほどに感動的な一幕でした。
ここでも特筆すべきは、スティーヴ・ウィンウッドのフォローですよねぇ。ベックの心情を察するように自分も盛り上がり、会場をも鼓舞する(サイド)ヴォーカルを披露しています。本当にいい漢(おとこ)です。ロックのこういったところに、若いころほれてたんだよなぁ・・・。
でもこの曲で最も明らかになったことは、やはりベックはギタリストだということ。間奏・後奏のソロなんて、この曲をどんなヴォーカリストが歌ってもベックに主役を食われてしまうこと間違いなし!! 誰がこんな風に弾けますか!?
なんだか今の私は、一人で興奮して盛り上がっておりますが・・・。見れば分かります。
それにしても、今ほどボランティアなどが、少なくとも我が国では一般的でなかったときに、超大物アーティストがチャリティーでとてつもないイヴェントを成し遂げるというのは、まだ一部にロックをやるのは不良という雰囲気があった時代でしたから、当時の私にはとっても胸のすく思いでした。
若かったなぁ、俺も!!
ちなみにレッド・ツェッペリン解散後、ステージに現れていなかったジミー・ペイジがこの催しに出演して演奏したことも、結構話題をさらいましたね。
ストリングベンダーつきのローズのテレキャスで、麻薬中毒丸出しのような足取りで、演奏もいつにもまして酔っ払い気味ではあっても、ツェッペリン・フリークの私には嬉しい出来事でした。
冷静になって聞きなおすと、クラプトンのレインボーホールコンサートのようにはいっていないようですが・・・。
ペイジが弾いた一曲目“プレリュード”は、ショパンの“作品28-4”をエレキギター用にトランスクリプトしたものですよ。
オトナになってから気づきましたが・・・。
むせび泣くようなトーンによるチョーキングがなんとも言えずカックイイ・・・!!
★ゼア・アンド・バック
(演奏;ジェフ・ベック)
1.スター・サイクル
2.トゥ・マッチ・トゥ・ルーズ
3.ユー・ネヴァー・ノウ
4.ザ・パンプ
5.エル・ベッコ
6.ザ・ゴールデン・ロード
7.スペース。ブギー
8.ザ・ファイナル・ピース
(1980年録音)
冒頭の“ワイアード”に続くアルバムです。
アームズ・コンサートでも1と4が演奏されています。
ヴィジュアルのパフォーマンスはやはり“中坊”的ですが、やってることはとんでもなく凄く、“ザ・パンプ”など悠久・永遠を感じさせるような音響効果です。
特にカセットで聞いていたころ、この曲だけを90分テープの裏表に何回も録音してループにして聞いていたことを思い出しました。
今考えると、ビョーキですね・・・。完全に。
スター・サイクルは長州力の入場のときの音楽と言ったほうがとおりがいいでしょうか?
このアルバムを聴いていて思うのは、ベックの曲への適応力の凄さです。
“エル・ベッコ”の冒頭のギターソロの咆哮なんて、誰がこんなにサマになるように演奏できるでしょうか?
先ほども言ったようなことを繰り返していてはいけないのですが、ジャンルは違えどアルゲリッチの何の思い入れもなく弾き出して、その曲の本質を余すところなく表現してくれるといった感覚に通じる質感があります。
そして現在も、ジェフ・ベックは新作を発表するなど、第一線で活躍しています。
その演奏は最早形而上学的なものにまで進化したと感じられます。
ハーモニクスさせた音をアーミングで自在に操作するなんてワザを、日常茶飯事のように駆使して、非常に手の込んだ作品となっています。
これにピアノで匹敵したワザを使おうと思えば、高橋多佳子さんの“展覧会の絵”の銅鑼の音のように内部奏法をしたうえで、ダンパーペダルの踏み方を調整することで、その音色を自在に変えるぐらいの工夫が必要ではないでしょうか?
誰にでもできるというわけではなく、分かっていても、ある種の感性がないとそうはいかない・・・。それこそがプロの芸というものではないかと思います。
誰にでも再現されてしまうものでは・・・ねぇ!!
そのヒミツは、手癖をベースにして比類ないスケーリングを極めているからこそのサウンド。
“スキャッターブレイン”を例に出すまでもなく、アドリブで最高潮に盛り上がったら高速で同じフレーズを繰り返すのが常套集団ですが、その音の選び方が絶対に他の人とは違うものがあります。仮に完全コピーしても、その雰囲気、ニュアンスを再現するのはきっと容易なことではないでしょう。
そんなベックのキャリアの進展は、私にはスクリャービンのそれにもなぞらえることができるように思われます。
まずベックのBBAぐらいまでのキャリアは今にして思えば、ピアノ・ソナタ第1番ぐらいかなと。
このころがいいんだと仰るかたにはちょいと異論がおありになるかもしれませんが。
そしてアルバム“ブロウ・バイ・ブロウ”を含めてここでご紹介した2枚が、ピアノ・ソナタ第2番、第3番ないしは“幻想曲”のころ。普通の人が最もとっつきやすく、私も最も好きなころであります。
現在のベックのキャリアは、先ほど述べたごとくずいぶんとイッちゃってますから、白ミサ・黒ミサとか言われるピアノ・ソナタの時分に匹敵するのかな?
まだ5番ということはないと思います。
いずれにせよ最期まで“中坊”の心意気で、ギター道を全うしてもらいたいものです。
がんばれ! ジェフ・ベック!!!
(演奏:ジェフ・ベック)
1.レッド・ブーツ
2.カム・ダンシング
3.グッドバイ・ポーク・パイ・ハット
4.ヘッド・フォー・バックステージ・パス
5.蒼き風
6.ソフィー
7.プレイ・ウィズ・ミー
8.ラヴ・イズ・グリーン
(1977年録音)
ジェフ・ベックはイギリスのギタリストで、非常に感覚的でスリリングな演奏スタイルを持つ人です。
ベック演奏を知る多くの人が同意してくださると思いますが、ジェフ・ベックのように弾ける人は他にいないと思います。
ベックの前にベックなし、ベックの後にもベックはいません。仮にフォロワーがいたとても決してベックにはなれない・・・。
クラシックのピアニストで言えば存在の仕方のイメージが似ているのはホロヴィッツでしょうか。グールドとも思ったのですがホロヴィッツですね、やっぱり。
作曲家ならショパン。さもなくばドビュッシーでしょうか。
ジェフ・ベックは、ひとりでR&Bとロックとジャズ・フュージョンを合体させ昇華させたひとつのジャンルを持っています。ジャンル=ジェフ・ベックといったほうがいいのかもしれません。
やはりこの手の音楽は、ライブで聴くのがもっともスリリングでいいとは思うのですが、スタジオ録音なら私はこの1枚です。
ヤン・ハマーとの競演・・・当時はギターとシンセの“バトル”と言われていましたけど、ポケモンとはエラい違いですな・・・は、当時本当にわくわくして聴いていました。
この後、ヤン・ハマー・グループにゲスト競演したスタジオライブ盤“ライブ・ワイアー”なども本当に凄くて魂を抜かれたようになって聴き入ったものです。
ロック・ポップスのアーティストにありがちな男女関係をめぐるゴタゴタでこの二人が袂を分かってしまったのは残念ですね。
もっともベックの繊細な神経にかかると、いかなるユニットも長続きしないようではありますが・・・。それがどんなに素晴らしいチームだったとしても。
さて、1977年というとディスコ流行の嚆矢といった時期でしょうか。
ストーンズが“ミス・ユー”を発表して、どこもかしこもディスコ色が一気に満開になりつつあることだったと思います。
その後、ビージーズの“サタデー・ナイト・フィーバー”でピークに達するわけですが、ここでのベックの2・7の曲などに聴かれるディスコティークな洗練は、私が知っている限り他のいかなる曲の追随をも許しません。
そのほかミンガス作曲の3をカヴァーして、冒頭のテーマのソロの演奏から誰にも出せない味わいを滲ませていたり、5でのヤン・ハマーとの掛け合いなどもすっきり爽快ですばらしい演奏。
しかし、このアルバム一番の聴きどころはなんといっても1の“レッド・ブーツ”ではないでしょうか。
冒頭、ファンクロック調の変拍子のリズムに乗ってディストーションのきいた不協和音のコードが3発繰り出されますが、私はそこですでにノックアウトであります。
リフが出てきたときには既に曲の中に引き込まれていて、ベックならではのサスティーンのサウンドでメロディーに、それから奔放というのはこういう展開を言うのだといわんばかりのインプロビゼーションが天空を切り裂きます。
このころのベックは、曲の進行はジャズ風にテーマを提示した後インプロビゼーションでとことん聴き手の心を打ち抜くようなフレーズを連発していました。
聴き手の衝撃は、クラシックで例えればアルゲリッチが霊感と閃きに満ちた演奏であたかも音楽が今そこで生まれ出でるような・・・などと形容されるような演奏を聴いたイメージでしょうか。
ベックの場合には、アドリブですから正に音楽がそこで生み出されているわけですけどね・・・。
この閃きかたがまた尋常でなく、当時の私には“天啓”とも感じられたものです。
“レッド・ブーツ”の場合には、誰にもまねできないだろう右手の親指によるピッキングの妙と絶妙なアーミングの離れ業を駆使して、ギターの最低音をブリブリさせてから高音域へ飛翔するさまは、竜が咆哮をあげ彼方へ飛び立つようなイメージを感じます。
タイトルは自在に進行方向へ進むことができるブーツというような意味なんでしょうから、私のインスピレーションもそんなに外れてはいないと思います。
これを弾きたくて何度も練習しましたが、最初の3和音すら同じように弦を押えているはずなのに、ピッキングやニュアンスの違いなのでしょうか、あの音にならない・・・。
ここはスゴスゴ諦めて、聴いて愛でるしかないのでしょうね。
特にこの曲でのベックは最高です!!
あとこの記事を書こうと思った元々の理由を・・・。
“SJesterのバックステージ”のバックステージという言葉は、このアルバムの4“ヘッド・フォー・バックステージ・パス”から採っています。
ブログタイトルは、実はアコースティック・ギターとクロスオーバーな音楽に捧げられているのです。
ほとんど記事として採り上げられてはいませんが・・・。
♪~なんでだろぉ~ ♬
★アームズ・コンサート DVD
ロニー・レインが提唱した難病の方の支援を目的としたチャリティーコンサートのライブ盤です。
前述の3大ギタリストの競演が最大の呼び物で、全員が一緒に演奏したのはわずかですが、それぞれがそれぞれのステージを持っていっぺんにそれが見られるという意味では、またクラプトンのリズムセクションはストーンズの面々が務めていたり、スティーヴ・ウインウッドなど英国R&B界ではピン芸人たるアーティストが全編活躍していたりして、同日にロイヤル・アルバート・ホールにいて同じ空気を吸うことができた人たちはホントにラッキーだったと思います。
コンサートが開催されたいきさつから分かるとおり志の高さも含めて、イヴェントとしては大いに評価できるものであったのではないでしょうか。
私は、このコンサートの模様はエアチェックしてそれこそカセットテープが擦り切れるまで聴きました。
LDが出ていたのは知っていましたが、DVDとはこれまた便利な世の中になったものです。画面はいささか暗いようですが、食い入るように見てしまいました。
ベックって音楽は凄く洗練されているけれども、ステージの動き、演奏しているときの格好のつけ方は垢抜けていませんね。
カセットテープを聴いていたときとは、その点においてちょっとギャップがありました。でも頭に刷り込まれている“レッド・ブーツ”の演奏が、視覚を伴って再現されたことで改めて如何にジェフ・ベックというアーティストの奏法が特殊であるかが分かりました。
「こんなにやりかたが違ってちゃぁ、同じ音を出したいと思ってもムリだよね」って感じると同時に、種明かししてもらえたことで積年のモヤットがスッキりしましたね。
ところで我が国を代表するギタリストのCharさんが、NHKの“英語でしゃべらナイト”にゲスト出演したときに、ジェフ・ベックに会ったときの印象を話されていたのが、いたく印象に残っています。
それによると、ベックはよく練習をしているということ・・・。そして、いつも新しい奏法を編み出そうとギターをおもちゃ代わりにしていろいろ試しているのですが、Charさんにも「聞いて聞いて」とせっついてきたようです。そのさまを“中坊(中学生)”みたいと表現されていて、「こんな人がいてくれて嬉しい」と仰ってました。
まさにジェフ・ベックの人となりを垣間見た気分で、私も嬉しくなりました。
ことこのコンサートにおいては、3人のうちでベックが最も素晴らしかったのではないかと思います。
演奏された曲の中では、ベックが商業主義に乗っかってリリースしたヴォーカル曲“ハイ・ホー・シルバー・ライニング”を「特別な機会だから・・・」ということで歌ったのですが、うまいヘタを超越して心に響くものがありました。
本人はそのような曲を自分名義で出したことは、自らのキャリアの汚点だと思っていたようですが、ここで会場全体で大合唱できたことで、ベックにとっても楽曲にとってもとても幸せな関係ができたのではないかと思います。
今こうしてそのシーンを思い起こすだけで、もろもろの事情を知っている私としては目頭が熱くなります。それほどに感動的な一幕でした。
ここでも特筆すべきは、スティーヴ・ウィンウッドのフォローですよねぇ。ベックの心情を察するように自分も盛り上がり、会場をも鼓舞する(サイド)ヴォーカルを披露しています。本当にいい漢(おとこ)です。ロックのこういったところに、若いころほれてたんだよなぁ・・・。
でもこの曲で最も明らかになったことは、やはりベックはギタリストだということ。間奏・後奏のソロなんて、この曲をどんなヴォーカリストが歌ってもベックに主役を食われてしまうこと間違いなし!! 誰がこんな風に弾けますか!?
なんだか今の私は、一人で興奮して盛り上がっておりますが・・・。見れば分かります。
それにしても、今ほどボランティアなどが、少なくとも我が国では一般的でなかったときに、超大物アーティストがチャリティーでとてつもないイヴェントを成し遂げるというのは、まだ一部にロックをやるのは不良という雰囲気があった時代でしたから、当時の私にはとっても胸のすく思いでした。
若かったなぁ、俺も!!
ちなみにレッド・ツェッペリン解散後、ステージに現れていなかったジミー・ペイジがこの催しに出演して演奏したことも、結構話題をさらいましたね。
ストリングベンダーつきのローズのテレキャスで、麻薬中毒丸出しのような足取りで、演奏もいつにもまして酔っ払い気味ではあっても、ツェッペリン・フリークの私には嬉しい出来事でした。
冷静になって聞きなおすと、クラプトンのレインボーホールコンサートのようにはいっていないようですが・・・。
ペイジが弾いた一曲目“プレリュード”は、ショパンの“作品28-4”をエレキギター用にトランスクリプトしたものですよ。
オトナになってから気づきましたが・・・。
むせび泣くようなトーンによるチョーキングがなんとも言えずカックイイ・・・!!
★ゼア・アンド・バック
(演奏;ジェフ・ベック)
1.スター・サイクル
2.トゥ・マッチ・トゥ・ルーズ
3.ユー・ネヴァー・ノウ
4.ザ・パンプ
5.エル・ベッコ
6.ザ・ゴールデン・ロード
7.スペース。ブギー
8.ザ・ファイナル・ピース
(1980年録音)
冒頭の“ワイアード”に続くアルバムです。
アームズ・コンサートでも1と4が演奏されています。
ヴィジュアルのパフォーマンスはやはり“中坊”的ですが、やってることはとんでもなく凄く、“ザ・パンプ”など悠久・永遠を感じさせるような音響効果です。
特にカセットで聞いていたころ、この曲だけを90分テープの裏表に何回も録音してループにして聞いていたことを思い出しました。
今考えると、ビョーキですね・・・。完全に。
スター・サイクルは長州力の入場のときの音楽と言ったほうがとおりがいいでしょうか?
このアルバムを聴いていて思うのは、ベックの曲への適応力の凄さです。
“エル・ベッコ”の冒頭のギターソロの咆哮なんて、誰がこんなにサマになるように演奏できるでしょうか?
先ほども言ったようなことを繰り返していてはいけないのですが、ジャンルは違えどアルゲリッチの何の思い入れもなく弾き出して、その曲の本質を余すところなく表現してくれるといった感覚に通じる質感があります。
そして現在も、ジェフ・ベックは新作を発表するなど、第一線で活躍しています。
その演奏は最早形而上学的なものにまで進化したと感じられます。
ハーモニクスさせた音をアーミングで自在に操作するなんてワザを、日常茶飯事のように駆使して、非常に手の込んだ作品となっています。
これにピアノで匹敵したワザを使おうと思えば、高橋多佳子さんの“展覧会の絵”の銅鑼の音のように内部奏法をしたうえで、ダンパーペダルの踏み方を調整することで、その音色を自在に変えるぐらいの工夫が必要ではないでしょうか?
誰にでもできるというわけではなく、分かっていても、ある種の感性がないとそうはいかない・・・。それこそがプロの芸というものではないかと思います。
誰にでも再現されてしまうものでは・・・ねぇ!!
そのヒミツは、手癖をベースにして比類ないスケーリングを極めているからこそのサウンド。
“スキャッターブレイン”を例に出すまでもなく、アドリブで最高潮に盛り上がったら高速で同じフレーズを繰り返すのが常套集団ですが、その音の選び方が絶対に他の人とは違うものがあります。仮に完全コピーしても、その雰囲気、ニュアンスを再現するのはきっと容易なことではないでしょう。
そんなベックのキャリアの進展は、私にはスクリャービンのそれにもなぞらえることができるように思われます。
まずベックのBBAぐらいまでのキャリアは今にして思えば、ピアノ・ソナタ第1番ぐらいかなと。
このころがいいんだと仰るかたにはちょいと異論がおありになるかもしれませんが。
そしてアルバム“ブロウ・バイ・ブロウ”を含めてここでご紹介した2枚が、ピアノ・ソナタ第2番、第3番ないしは“幻想曲”のころ。普通の人が最もとっつきやすく、私も最も好きなころであります。
現在のベックのキャリアは、先ほど述べたごとくずいぶんとイッちゃってますから、白ミサ・黒ミサとか言われるピアノ・ソナタの時分に匹敵するのかな?
まだ5番ということはないと思います。
いずれにせよ最期まで“中坊”の心意気で、ギター道を全うしてもらいたいものです。
がんばれ! ジェフ・ベック!!!