★ラヴェル:夜のガスパール
(演奏:ホアキン・アチューカロ)
1.前奏曲
2.ソナチネ
3.なき王女のためのパヴァーヌ
4.水の戯れ
5.高雅で感傷的なワルツ
6.夜のガスパール
(1999年録音)
私の音楽遍歴で“えもいわれぬ感銘”を与えてくれたアーティストやトピックを、気が向いたときに“私の音楽殿堂”と銘打って紹介していきたいと思います。
「このブログに出る事柄すべてがそうじゃないか?」と言われれば確かにそのとおりなのですが、原則的に1回完結の特集だと思ってもらえると嬉しいです。
イメージとしては、これまでのさだまさしさんとかジェフ・ベックとかの特集をやったのと同じように捉えていただければよろしいかと思います。
殿堂入り第1号はホアキン・アチューカロというスペインのベテランピアニストです。
このラヴェルのディスクは本当に上品です。
先般のケヴィン・ケナーのラヴェルを鮮烈なセンスの良さとすると、ずっと昔からそんなセンスのいい体裁でそこにいるよといわんばかりのお洒落さ。
垢抜けているさまを一言で洒脱というだけでは足りない・・・という感じなのです。
そして変幻自在!!
ラヴェルの作品はもともと精巧に組み立てられている曲が多いと思うのですが、例えば擬古典主義の曲などとも評される“ソナチネ”をこんなに柔らかな音色で演奏された例を知りません。
きっちり惹かれているのだけれど、ピアニストのほんの少しの魔法で伸縮自在になっているように聴こえるのです。
特に第3曲などオイルに波紋が広がるようなノーブルな感触を聴き取ることができます。
“亡き王女のためのパヴァーヌ”もペダルを節約して訥々と始まるのですが、決して暗くならない音色(これがまたお洒落な音色!)のお陰もあって温かい感動を与えてくれます。
“高雅にして感傷的なワルツ”では、時としてリズムをわざと付点のところをあまり跳ねないようにするとか逆に“ふっ”と抜くとか、そこここに独特の隠し味を施してあります。
しんがりの“夜のガスパール”も落ち着いた素晴らしい演奏ですねぇ。
オンディーヌでは和音の漣がトリルのように繋がるピアニストが多い中、敢えてレガートながらそれぞれをハッキリ聞かせる感覚で色彩感が豊かです。ここでも音色のお洒落さに元の詩のグロテスクさはあまり感じさせませんが、一遍の起伏に富んだ音による詩を堪能することが出来ます。
またスカルボもテンポはむしろ遅い演奏だと思いますが、情景の変化を克明に描くので飽きさせることはありません。
こまのように回転するお化けを表現しているということですが、部屋の中あるいは外で着地したところで跳ねているのか滑っているのか、手わざで微妙な間を取っているためにそんなことまで弾き表せてしまっているかのようです。
もちろんピアニストが意図的にそう解釈して表現しておられるのに相違ありません。
ラヴェルのディスクとしては、もっとも安心して楽しく聴くことができると思っている一枚です。
★シューマン:幻想曲・クライスレリアーナ
(演奏:ホアキン・アチューカロ)
1.幻想曲 ハ長調 作品17
2.クライスレリアーナ 作品16
(2003年録音)
ここでもお洒落の決め手は、まずもってその音色の端正さにあります。
きめが細かいようでいて、息苦しいところがまったくない。肩の力が抜けたといったらよいのでしょうか、非常にストレスフリーな音色なのです。それでいて存在感がある・・・。
思うにスペインのというかほの温かい温度感というべきものがあるからなのでしょう。
してみるとこの音色のエキスは技術云々で取り出したという以上に、今までにアチューカロが生きてきた生き様そのものから滲み出たものという気がします。
もちろん解釈した音楽を楽器から取り出すのは、間違いなく技術(スキル)であるのに相違ないのですが、それだけでは説明できない何かを内包しているはずでもあると。。。
幻想曲の第1楽章は、文字通りファンタジー膨らむ微温的世界。したがって第2楽章の輝かしさがフツーくらいであってもそんなに際立ったコントラストは感じなかったりして・・・。
そして第3楽章。
この夢心地の音楽は、シューマンの書いた曲の中で白眉に違いありません。そこを、この微温的ほの温かさで包まれると“えもいわれぬ”幸せな気分で心を遊ばせることが出来ます。
シューマンの音楽ってくどいというか、暑苦しいというか、押し付けがましいところがあって、思わず“ざくね!?”と叫ぶこともあるのですが、アチューカロの演奏はそこを絶妙にかわしていくんですよね。
あたかも淡色のシューベルトに色を付けただけですって感じで・・・。
もちろんシューマンのそのような音楽性を、憑依されるほどに愛するあまり、もだえにもだえてよがっちゃってる人がいるのも知ってるし、そのような要素を内に秘めた曲であることは私も感じ取っていますよ。
でも、良くも悪くもアチューカロはそれを強調する方向での解釈は取っていない。。。
クライスレリアーナも落ち着いた足取りで、洒脱に歌い綴っていきます。
まぁ私がシューマンを苦手なこともあってか、ラヴェルほどに手放しで絶賛というわけには行きませんが、この演奏ならば抵抗なく聴けるかな。
あ、幻想曲は好きな曲だし、アチューカロの演奏は大絶賛ですよ~。(^^)v
★la nuit
(演奏:ホアキン・アチューカロ)
1.スクリャービン:左手のための前奏曲と夜想曲 作品9
2.ドビュッシー:グラナダの夕べ (版画より)
3.リリンスキー:子守唄
4.ショパン:夜想曲 変ホ長調 作品9-2
5.ボロディン:セレナード (小組曲より)
6.ボロディン:ノクターン (小組曲より)
7.ドビュッシー:花火 (前奏曲集第2巻より)
8.ショパン:夜想曲 ヘ長調 作品15-1
9.シューマン:トロイメライ (子供の情景より)
10.ドビュッシー:とだえたセレナード (前奏曲集第一巻より)
11.ショパン:夜想曲 嬰ハ短調 遺作
12.ファリャ:火祭りの踊り (恋は魔術師より)
13.ガーシュゥイン:前奏曲第2番
14.リスト:愛の夢第3番
15.プーランク:幻の舞踏会 (8つの夜想曲より)
16.グリーグ:夜想曲 作品54-4
17.ドビュッシー:月の光 (ベルガマスク組曲より)
(1998年録音)
これは以前にリストの“愛の夢第3番”で取り上げたディスクですが、再度ご紹介です。
愛の夢もそうですがすべての曲が自家薬籠中で、曲のうまみを巧まず表現しているように見せて、実は楽譜にない音をさりげなく足して色合いを整えたりしている・・・。
ニクい技じゃあありませんか。
ここでもご自身の特質を踏まえ、微温的な音色を最高に生かした奏楽を展開しておられます。
グリーグのノクターンなんてのもあって、例の特集に組み込んでしまおうかとも思ったのですがやめました。
それは、いずれの曲に対しても十分固有の言葉で語らせていながらも、実はアチューカロの口(指)からこぼれる音の言の葉であることの方が如実に浮き彫りにされるといった演奏だから・・・。
グリーグの特集というより、アチューカロの特集を組むべきだということを思い立って、こうして“私の音楽殿堂”が建設されるにいたりました。
この盤のレパートリーにあっては、心無い、あるいは奏者として未成熟なピアニストの手にかかるとうまく弾けてるんだけど、ディスクとしての一貫性がない・・・なんてことになりがちなんじゃあないでしょうか?
一貫した雰囲気を維持しながらそれぞれの特徴を描き出すなど、たやすく出来る芸当じゃござんせん。
粋なオジサマに脱帽であります。
おっと、最もお勧めと思われる曲はスクリャービンの左手のための前奏曲かな。
この曲もウゴルスキ、ポゴレリチ、メジューエワなどさまざまな奏者の手によるものを聴いて来ましたが、その微温的な明るさが最も特徴的な演奏です。
何度も恐縮ですが、とても優劣を云々できるシロモノではない・・・。
このアルバムの雰囲気を作るのに、最高の演出を施された曲たちです。
それが奏者の思惑とも心憎いほどにマッチしているというのは、選曲は奏者がしているにせよ、奏者にとっても聴き手にとってもまこと幸せなことと言わねばなりません。
こうして3枚のディスクの軌跡からは、こんな年の重ね方が出来たらいいなと本当に思わされます。
ここまでくるとピアニストの全存在そのものが個性となっている。
ずっと自身の信じる道を貫いてきたステキな“ひとりの人間”の生きた声を感じます。
私にとってホアキン・アチューカロは、スペインの風土を感じさせながらも普遍的な魅力に溢れたピアニストの代表です。
(演奏:ホアキン・アチューカロ)
1.前奏曲
2.ソナチネ
3.なき王女のためのパヴァーヌ
4.水の戯れ
5.高雅で感傷的なワルツ
6.夜のガスパール
(1999年録音)
私の音楽遍歴で“えもいわれぬ感銘”を与えてくれたアーティストやトピックを、気が向いたときに“私の音楽殿堂”と銘打って紹介していきたいと思います。
「このブログに出る事柄すべてがそうじゃないか?」と言われれば確かにそのとおりなのですが、原則的に1回完結の特集だと思ってもらえると嬉しいです。
イメージとしては、これまでのさだまさしさんとかジェフ・ベックとかの特集をやったのと同じように捉えていただければよろしいかと思います。
殿堂入り第1号はホアキン・アチューカロというスペインのベテランピアニストです。
このラヴェルのディスクは本当に上品です。
先般のケヴィン・ケナーのラヴェルを鮮烈なセンスの良さとすると、ずっと昔からそんなセンスのいい体裁でそこにいるよといわんばかりのお洒落さ。
垢抜けているさまを一言で洒脱というだけでは足りない・・・という感じなのです。
そして変幻自在!!
ラヴェルの作品はもともと精巧に組み立てられている曲が多いと思うのですが、例えば擬古典主義の曲などとも評される“ソナチネ”をこんなに柔らかな音色で演奏された例を知りません。
きっちり惹かれているのだけれど、ピアニストのほんの少しの魔法で伸縮自在になっているように聴こえるのです。
特に第3曲などオイルに波紋が広がるようなノーブルな感触を聴き取ることができます。
“亡き王女のためのパヴァーヌ”もペダルを節約して訥々と始まるのですが、決して暗くならない音色(これがまたお洒落な音色!)のお陰もあって温かい感動を与えてくれます。
“高雅にして感傷的なワルツ”では、時としてリズムをわざと付点のところをあまり跳ねないようにするとか逆に“ふっ”と抜くとか、そこここに独特の隠し味を施してあります。
しんがりの“夜のガスパール”も落ち着いた素晴らしい演奏ですねぇ。
オンディーヌでは和音の漣がトリルのように繋がるピアニストが多い中、敢えてレガートながらそれぞれをハッキリ聞かせる感覚で色彩感が豊かです。ここでも音色のお洒落さに元の詩のグロテスクさはあまり感じさせませんが、一遍の起伏に富んだ音による詩を堪能することが出来ます。
またスカルボもテンポはむしろ遅い演奏だと思いますが、情景の変化を克明に描くので飽きさせることはありません。
こまのように回転するお化けを表現しているということですが、部屋の中あるいは外で着地したところで跳ねているのか滑っているのか、手わざで微妙な間を取っているためにそんなことまで弾き表せてしまっているかのようです。
もちろんピアニストが意図的にそう解釈して表現しておられるのに相違ありません。
ラヴェルのディスクとしては、もっとも安心して楽しく聴くことができると思っている一枚です。
★シューマン:幻想曲・クライスレリアーナ
(演奏:ホアキン・アチューカロ)
1.幻想曲 ハ長調 作品17
2.クライスレリアーナ 作品16
(2003年録音)
ここでもお洒落の決め手は、まずもってその音色の端正さにあります。
きめが細かいようでいて、息苦しいところがまったくない。肩の力が抜けたといったらよいのでしょうか、非常にストレスフリーな音色なのです。それでいて存在感がある・・・。
思うにスペインのというかほの温かい温度感というべきものがあるからなのでしょう。
してみるとこの音色のエキスは技術云々で取り出したという以上に、今までにアチューカロが生きてきた生き様そのものから滲み出たものという気がします。
もちろん解釈した音楽を楽器から取り出すのは、間違いなく技術(スキル)であるのに相違ないのですが、それだけでは説明できない何かを内包しているはずでもあると。。。
幻想曲の第1楽章は、文字通りファンタジー膨らむ微温的世界。したがって第2楽章の輝かしさがフツーくらいであってもそんなに際立ったコントラストは感じなかったりして・・・。
そして第3楽章。
この夢心地の音楽は、シューマンの書いた曲の中で白眉に違いありません。そこを、この微温的ほの温かさで包まれると“えもいわれぬ”幸せな気分で心を遊ばせることが出来ます。
シューマンの音楽ってくどいというか、暑苦しいというか、押し付けがましいところがあって、思わず“ざくね!?”と叫ぶこともあるのですが、アチューカロの演奏はそこを絶妙にかわしていくんですよね。
あたかも淡色のシューベルトに色を付けただけですって感じで・・・。
もちろんシューマンのそのような音楽性を、憑依されるほどに愛するあまり、もだえにもだえてよがっちゃってる人がいるのも知ってるし、そのような要素を内に秘めた曲であることは私も感じ取っていますよ。
でも、良くも悪くもアチューカロはそれを強調する方向での解釈は取っていない。。。
クライスレリアーナも落ち着いた足取りで、洒脱に歌い綴っていきます。
まぁ私がシューマンを苦手なこともあってか、ラヴェルほどに手放しで絶賛というわけには行きませんが、この演奏ならば抵抗なく聴けるかな。
あ、幻想曲は好きな曲だし、アチューカロの演奏は大絶賛ですよ~。(^^)v
★la nuit
(演奏:ホアキン・アチューカロ)
1.スクリャービン:左手のための前奏曲と夜想曲 作品9
2.ドビュッシー:グラナダの夕べ (版画より)
3.リリンスキー:子守唄
4.ショパン:夜想曲 変ホ長調 作品9-2
5.ボロディン:セレナード (小組曲より)
6.ボロディン:ノクターン (小組曲より)
7.ドビュッシー:花火 (前奏曲集第2巻より)
8.ショパン:夜想曲 ヘ長調 作品15-1
9.シューマン:トロイメライ (子供の情景より)
10.ドビュッシー:とだえたセレナード (前奏曲集第一巻より)
11.ショパン:夜想曲 嬰ハ短調 遺作
12.ファリャ:火祭りの踊り (恋は魔術師より)
13.ガーシュゥイン:前奏曲第2番
14.リスト:愛の夢第3番
15.プーランク:幻の舞踏会 (8つの夜想曲より)
16.グリーグ:夜想曲 作品54-4
17.ドビュッシー:月の光 (ベルガマスク組曲より)
(1998年録音)
これは以前にリストの“愛の夢第3番”で取り上げたディスクですが、再度ご紹介です。
愛の夢もそうですがすべての曲が自家薬籠中で、曲のうまみを巧まず表現しているように見せて、実は楽譜にない音をさりげなく足して色合いを整えたりしている・・・。
ニクい技じゃあありませんか。
ここでもご自身の特質を踏まえ、微温的な音色を最高に生かした奏楽を展開しておられます。
グリーグのノクターンなんてのもあって、例の特集に組み込んでしまおうかとも思ったのですがやめました。
それは、いずれの曲に対しても十分固有の言葉で語らせていながらも、実はアチューカロの口(指)からこぼれる音の言の葉であることの方が如実に浮き彫りにされるといった演奏だから・・・。
グリーグの特集というより、アチューカロの特集を組むべきだということを思い立って、こうして“私の音楽殿堂”が建設されるにいたりました。
この盤のレパートリーにあっては、心無い、あるいは奏者として未成熟なピアニストの手にかかるとうまく弾けてるんだけど、ディスクとしての一貫性がない・・・なんてことになりがちなんじゃあないでしょうか?
一貫した雰囲気を維持しながらそれぞれの特徴を描き出すなど、たやすく出来る芸当じゃござんせん。
粋なオジサマに脱帽であります。
おっと、最もお勧めと思われる曲はスクリャービンの左手のための前奏曲かな。
この曲もウゴルスキ、ポゴレリチ、メジューエワなどさまざまな奏者の手によるものを聴いて来ましたが、その微温的な明るさが最も特徴的な演奏です。
何度も恐縮ですが、とても優劣を云々できるシロモノではない・・・。
このアルバムの雰囲気を作るのに、最高の演出を施された曲たちです。
それが奏者の思惑とも心憎いほどにマッチしているというのは、選曲は奏者がしているにせよ、奏者にとっても聴き手にとってもまこと幸せなことと言わねばなりません。
こうして3枚のディスクの軌跡からは、こんな年の重ね方が出来たらいいなと本当に思わされます。
ここまでくるとピアニストの全存在そのものが個性となっている。
ずっと自身の信じる道を貫いてきたステキな“ひとりの人間”の生きた声を感じます。
私にとってホアキン・アチューカロは、スペインの風土を感じさせながらも普遍的な魅力に溢れたピアニストの代表です。