SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
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ポケモンセンターで思ったこと

2007年01月05日 00時00分01秒 | 思い出
今朝帰省先というか私の親元を出発して現住所の東京を通り越し、先ほど新潟の留守宅に帰り着きました。

時間がかかったのは、途中、東京駅一旦途中下車して駅近郊のポケモンセンターなる場所に行ってきたからです。
なにしろ息子二人が初詣で「ポケモンセンターに行けますように!」という、言われた神様も困るのではないかと思われるお参りばかりしておりましたので・・・。

ウチの息子は賽銭を投げるときに「お達者でぇぇ」などと言って周りの失笑を買うのを楽しみにしているような輩ですが、さすがに二人がかりでこれをみんなに聞こえるような声で拝まれてしまうと、親としては早く神様にお楽になっていただかないとと考えざるをえなかった訳です。

実は12月の末、家族が帰省する途中にもポケモンセンターには行っているのです。
これはそのときの店舗のガラスに描かれていたキャラです。

本日行ったときはパルキアとディアルガという最新のゲームソフトのキャラクターの絵に変わっていましたから、前にもちゃんと訪れた証にそのときのを掲載します。
まぁ、今日のはキャラがデカ過ぎて画面にきれいに収まりきりませんでしたし、掲載したことでゲームの宣伝みたいに思われるのもナンですし・・・。
この後つらつら書くようなことをいろいろ考えちゃったもので。

話を戻して、昨年末には、せっかくそのために途中下車してポケモンセンターに出向いたのに、店舗を眺めただけで中には入らず、家族を愛知県に帰してしまいました。

なぜなら“1時間待ち”のプラカードをもったお兄さんが玄関前に立ちはだかっていて、店舗前の道路からみえないところに入場待ちのお客さんの長蛇の列が、それこそ見えないところまで連なっていたから。。。
新幹線の時間に制約があったがために(子供は)涙を飲んだわけであります。

そんなこんなで、最初に(子供のために)ポケモンセンターに行こうと言い出したのは私であるにもかかわらず、それ以来「もう行かない!」と居直っておりました。
が、結局、前述の通り神仏の力にも頼りだす始末の子供の熱意にほだされて、とうとう行く羽目になったという次第であります。
子供はご利益のある神様だと思ったに相違ありません!

一応かみさんには今朝ほども「俺は自宅に一旦戻って、あれやこれやと準備することがある・・・」とだだをこねて、並ぶのを忌避するための最後の抵抗を試みましたが、ケンモホロロに一蹴され玉砕の腹を決めました。

で、行ってみたらキモチよく“待ち時間1時間半(!!)の看板”。
店舗対面の小路から高島屋方向に連なり、さらに角を曲がって伸びるひとひとひと・・・(中略)・・・ひと!!
天皇家の系図よりも“ヒト”が並んでいるのではないかと思わせる長さ。

さて、いつも面倒なことを私以上に嫌がる子供はどうか・・・?
近来見たことのないご機嫌な表情(!)でした。
 私)ホントに並ぶの!? 待つのいやじゃない?
 子)待つのいやなの、お父さんでしょう?
 私)・・・。
 子)ホントに、来れてよかった!!
 私)・・・・・・。

というわけで並びましたよ・・・。1時間半!!
男の子2人はワイワイと大はしゃぎで、長女に向っていろいろ話している。かみさんと私は一言もありませんでした。

そして100坪もないような店舗内、小1時間にわたり子供は目を輝かせていろんなものを物色してました。

この写真で店内の混雑振りは伝わるでしょうか?

私はイモ洗いの只中で、なすがママ・きゅうりがパパ状態で陰惨な気分でおりました。
結局は長女に男の子2人を任せて、欲しいものがあったらかみさんに報告するように告げたのみで隅っこのほうにたたずんでいた。。。
かみさんも口には出しませんが人ごみの中を漂いながら、私と似たような気分でいるだろうことは一瞥しただけで認識できましたねぇ。
ちゃんと1時間後に、会計してあげているところなど私より数段エラいなぁと思ってみていたら・・・。なにやら私を呼んでいる。。。

「財布貸して!」だって・・・。「何をどれだけ買ったんじゃぁぁぁ!?」

というわけで、ホウホウの体で新潟に落ち延びたのでありました。

さて、私はポケットモンスターに10年位前でしょうか・・・当初は好感を持っておりました。
キャラクターもかわいいし、何より子供が喜ぶ。
サトシ君も旅をするにつけポケモン、人とのかかわりを通して成長していることが子供にもわかるように構成されていたように思います。

製作側へのインタビューでも「あと5年は市場に通用するキャラクターなので、大事に育てたい」ような発言が聞かれ、確かに子供の情操教育にも有用と思っていたものです。

しかし、最近は考え方が少し変わってきました。
というのは、なまじっか、ゲームソフトやショップでの物品販売が絡んでくるビジネスモデルを展開しているだけに、売り手の理論が勝ってしまっているように思われてならないのです。
確かに商売としては“5年”と言っていたのが10年を過ぎてもまだまだ規模を拡大できるほどの大成功を収めていますし、文句の付けようはないのですが・・・。

決定的に私が違和感を覚えるのは、ポケモン同士がバトルをするのであって、“トレーナー”と言われるポケモンの飼い主は、たとえポケモンに共感することはあっても、絶対服従の命令を出すばかりで一切戦わないし傷つかない・・・。
王様ゲームじゃないっちゅーの!!

ここにどうしてもなじめないところがあるのです。
なじめないどころか、子供の当事者意識の芽を摘んでしまうような悪影響があるのではと懸念したりもします。

コトが起こったときには、「行け!ピカチュウ!!」であって、自分自身は指令を出すだけ。劇中の登場人物はそれで成長するのかもしれませんが、現実社会では下積みを経て、自分で悩み挫折を重ねて強くもたくましくも、優しくもなれるのに・・・。
戦略・技能を競う物語を演出する場合に、将棋のように駒に対して指揮を執るとか、ルパンがワルサーP38を百発百中で命中させる腕前であるとかいう前提であるなら許せます。商業主義にのっとっている場合でも、ベイブレードの独楽とか、クラッシュギアの自動車を戦いの対象にしているのなら、いいと思うのです。

これを仮想のとはいえ、生き物・・・それも人と心を通わすことの出来る友達という設定のポケモン・・・を戦いの道具として利用しているところがイヤなのです。
闘牛・闘鶏など生き物を戦わせることは古今東西いろいろあるのですが、それは最初から戦わせる前提があるもの。心を通わせ本当にその痛みを分かち合うような付き合いをするポケモンなら、破壊光線や炎の渦やらという禍々しい技の使い手が跋扈するリーグ戦などというものに出場させようと思ったりしないのではないでしょうか?

昨今の問題と照らして考え合わせると、ちょっと力の強い子は、ポケモンのように自分の手足として思い通りに出来る“生きた”心の通う友達が欲しくなるのではないでしょうか。ポケモン扱いされる子は、きっとおもしろくない以上に居心地が悪いに違いありません。でも、自称サトシ君たちはピカチュウのキモチは全然わからないでいると思うのです。

「相手の立場になって考えろ」と子供にいくらサトシても、相手の立場になったことのない子供にわかるわけがありません。だって、子供なんですから・・・。

この番組を見てると戦国武将の戦のように思えてしまうのです。武田信玄なども若気の至りで無茶な作戦を遂行した挙句に重臣を戦場で失ったりしていますが、そんな帝王学的な付き合いが出来る立場の人間は現代ではあまりいないのではないでしょうか?
むしろ社会に出たとたんに「行け、○○」みたいに管理職から、へヴィーな指令をいただけてしまう・・・。そのときに「立場が違う!」と受け入れられなくなるのがオチです。

少なくとも心の通った友達に、めったやたらにバトルをさせて傷を負わせるのは教育上よろしくない!!

ついでにいえば、スーパー戦隊シリーズも今の時勢に照らしたらあまり芳しくない番組になってしまったと思います。

出てくる俳優さんはかっこいいし、内容もどんどん洗練されてきている(他の玩具会社が亜流の番組を制作していますが、できばえは天と地ほどに違うと思います。役者の差というより、脚本・演出の差だと思いますが・・・。)のは出色だと思いますし、既に水戸黄門にも似た万全なマンネリズムの域に達しているかもしれません。この点では、ウルトラマンより仮面ライダーより成功しているように思います。

それでもなぜ“芳しくない”かというと、5人が1人の怪人に対峙するからです。
この際、怪人の部下の雑魚はムシしていますが・・・。

スーパー戦隊のもともとのコンセプトは“5人が協力して巨悪を倒す”ということではないかと思います。
たとえその間におもしろおかしい演出が混じっても・・・です。

でも子供の世界に反映させると、もちろんうまくそのメッセージが伝わっている例もたくさんありますが、一部には協力して増幅されたエネルギーを向けるベクトルを誤る輩が出てしまっているのではないかと思わせる件が少なくないのです。

つまり“弱い”何人かが徒党を組んで、さらに弱い人(友達であれ、一般の人であれ)を責めることが昨今目立ってやしないでしょうかということが気になるわけです。

やはり戦いをテーマにした場合には、ウルトラマンのように自らが一対一で敵と対峙して、自力でこれを駆逐するというのが基本だと思います。
もしヒーローが困ったときはカプセル怪獣が助け舟を出すとか、防衛軍が援護するとかならいいですが、5人のウルトラマンが一匹の怪獣を袋叩きにする姿は見たくないですね。

もう一方の雄、仮面ライダーなんですが、ストーリーが最近意味不明なので論評の対象外です。
本郷猛と一文字隼人が懐かしい・・・という私はやはりどうしようもなくおじさんですな!

ちなみに帰省先では中日新聞を読んでいたのですが、正月から1面で特集が組まれている「ドラえもんのいない世界で」という記事は、出色の文章だと思います。
今の教育だけでなく、我が国の社会風土をかなり的確に抉ったものではないかと感じました。
もしご関心があり、手立てがあればご覧になってください。

何か今日はポケモンセンターで疲れた腹いせに、いろいろ書いてしまいました。