鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

宮田橋他

2008-02-06 | 石橋
前日に続いて、曽於市大隅町の前川にある石橋を紹介します。

飛佐橋から前川を上流に少し行くと、大路という地区があります。
そこにある宮田橋です。

上流から見た宮田橋。
 橋長:7.1m
 幅員:2.8m
 架設年代:明治30年
この橋は現道の下流にあり、樹木に覆われて目立たないところにあります。
写真のように、右岸側の壁石が崩落しています。
現在、使用されていません。

宮田橋の少し上流に大路橋があります。

下流から見た大路橋。
 橋長:11.1m
 幅員:2.8m
 架設年代:大正9年
現役で使用されています。


大路橋のたもとにある架橋記念碑。

今回紹介した大隅町の5つの石橋は、いずれも河床に溶結凝灰岩が露出しており、川を深く浸食しているところに架けられています。
河床に下りるのが大変な橋もあります。
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神掛橋他

2008-02-05 | 石橋
昨日紹介した水車(粉挽きの方)は、菱田川の支流である前川の右岸にあります。
この前川に石橋がいくつかあるので訪ねました。


下流にある現道の橋から見た神掛橋。
場所は曽於市大隅町の菅牟田小学校近くで、神掛というバス停の近くです。
水車のすぐ横にあります(水車は左)。
両岸が切り立っており、河床に下りることができませんでした。
 橋長:14m
 幅員:3.65m
 架設年代:大正7年
現在使用されていません。


下流から見た浅井橋。
場所は前川上流の浅井というバス停の近くです。
 橋長:10m
 幅員:2.7m
 架設年代:昭和9年
壁石は、コンクリートで覆われています。
現役で使用されています。


上流から見た飛佐橋。
さらに前川を上流に行くと、飛佐というバス停があり、その近くにあります。
 橋長:7m
 幅員:4m
 架設年代:大正12年
河床には溶結凝灰岩が露出しています。
現役で使用されています。


飛佐橋の近くに石碑がありました。
架橋記念碑かと思ったら違いました。
昭和30年、衆議院議員選挙の取り締まりに当たっていた巡査部長が、連夜の疲れで視界を見誤り、自転車ごと川に落ちて亡くなったという「殉難之碑」です。
石橋には手すりもなかったのでしょう。
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水車

2008-02-04 | 風景
森の水車という歌があります。
 ♪緑の森のかなたから
  陽気な歌が聞こえます
  あれは水車の回る音
  耳を澄ませてお聞きなさい
  コトコトコットン・・・
この水車は粉を挽いているものです。
なんとも牧歌的な歌です。

水車は、公園などで今でも見ることができます。
でも、展示用であって実用品ではありません。
いまどき、水車を実用に使っているところなどないと思うでしょう。
それがあるんです。
場所は曽於市大隅町で、岩川の県道志布志福山線から菅牟田小学校に行く道に入り、小学校に行く途中にあります。


道路脇に水路があり、そこに水車があります。
道路の上に田んぼがあり、水車で水を揚げているのです。
かんがい用の水車です。
近くに4基の水車があります。


水を揚げている様子。
非かんがい期の今は、揚げた水を再び水路に戻しています。


水車から小学校のほうに行くと、道路の右に小さな公園があり、ここにも水車があります。
これは、かんがい用ではなく粉挽き用です。
と言っても、実用ではなく展示用でしょう。


粉挽きの様子。
歌のコトコトは水車の回る音、コットンは杵が臼をつく音でしょう。
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カレンのこと

2008-02-03 | エッセイ

Hさんは、保健所の動物管理所に勤めている。
野良犬や、飼い主が飼えなくなった犬を保護し、もらい手がなければ処分する施設だ。
昨年末、我が家のチロ(メス、11歳)と同じキャバリアが保護されていると言った。
無駄吠えをするため近所迷惑になり、飼えなくなったとのことだった。
妻が、「飼ってみようかな」と言うと、「犬にも相性があるから一度合わせてみましょう」と言って、1月4日、我が家に連れてきてくれた。
それがカレン(メス、4歳)だった。

玄関に入ってくると、チロはカレンに吠えた。
カレンは、若いだけあって毛並みがよく、かわいい犬だった。
ただ、チロに比べて目が鋭かった。
2匹の犬は、仲良くなることもなく、お互い無視していた。
散歩に行って(この散歩も、2匹が行く方向が異なり大変だった)、家に入るとチロはカレンにまた吠えた。
(どうして私の家に入ってくるのよ)
カレンは1泊したが、あくる朝、チロが家中のゴミ箱をひっくり返し、ゴミをぶちまけていた。
愛情を独り占めしてきたチロは、突然現れた侵入者に対し、戸惑い、怒り、ストレスを増大させているのは明らかだった。

Hさんには丁寧に事情を話し、カレンを引き取ってもらった。
ペットを飼ったら、飼い主は最後を看取るまで飼う責任があると、改めて思った。
だが、4年も飼って愛情が湧かないはずはなく、処分されるのを覚悟で預けた飼い主の心情を思うと複雑だ。
その後のカレンがどうなったかは聞けずにいる・・・

(補足)カレンは、もらい手が現れて、引き取られていったそうです。

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五人番のアコウ

2008-02-02 | 巨樹・古木
指宿市の、指宿港の隣に太平次公園があり、ここに五人番のアコウがあります。


太平次公園。
この公園は濱崎太平次の名を冠した公園で、一角(椰子の木の右下)に太平次の像があります。


濱崎太平次の像。
濱崎太平次は、指宿が生んだ幕末の豪商で、貿易、海運、造船の分野で活躍しました。
このため「海の男太平次翁」と呼ばれます。
調所広郷(ずしょひろさと)が進めた、薩摩藩の財政改革にも貢献しました。
また、若いとき太平次の薫陶を受けた川崎正蔵が、神戸で鉄鋼船を造る川崎造船所を創業し、海運王国日本の先駆けとなりました。


公園の一角にある五人番のアコウ。
 幹周り:6.4m
 樹齢:300年以上

このアコウの木は、錦江湾の出入り口である、指宿と山川の境にある五人番と呼ばれる見張り所の崖に生えていたものです。
1837年、日本人漂流民7人を帰すため山川沖に停泊し、このアコウの近くの湧水を与えられた米国商船モリソン号など、多くの歴史を見つめてきたアコウです。
平成16年8月30日の台風で、波打ち際の岩上に倒れました。
縄文の森をつくろう会というグループが、海上を運搬してここに移植しました。

元の木は、枝が張って青々していましたが、移植後は枝が切られ、さすがに樹勢が衰えています。
再び大きく枝を張ることを願いましょう。
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小松帯刀の史跡

2008-02-01 | 史跡
NHK大河ドラマ「篤姫」に、瑛太さん演じる肝付尚五郎(後の小松帯刀(たてわき))が重要な役どころとして出てきます。
西郷隆盛や大久保利通に比べて知名度の低い小松帯刀ですが、どんな人物だったのでしょうか。

小松は、篤姫と同じ天保6(1835)年、喜入(現鹿児島市)領主 肝付兼善の三男として生まれました。
吉利(現日置市)の領主であった小松家の養子となり、文久2(1862)年から薩摩藩の家老になりました。

西郷や大久保を重用し、彼らが思う存分活躍できたのも、小松の働きがあったからです。
坂本竜馬を経済的に助け、海援隊の前身である亀山社中を設立しました。
薩長同盟に尽力し、京都の小松邸で調印が行われました。
大政奉還にも立ち会います。
明治維新の立役者として活躍した小松でしたが、明治3年、病気のため34歳という若さで亡くなりました。
幻の宰相(家老)と呼ばれています。

小松帯刀の史跡を訪ねました。


鹿児島市原良町にある小松帯刀の屋敷跡の石垣。
細い路地を入ったところにあります。


前の写真の石垣の上にある屋敷跡。
鹿児島に新婚旅行に来た坂本竜馬とお竜が、この屋敷に滞在したそうです。
鹿児島市の保存樹に指定されている臥竜梅があります。


県文化センター(宝山ホール)の庭にある小松帯刀の像。
この像は、京都二条場会議で筆を取り、将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告する姿を表しています。

外交官アーネスト・サトウは、小松の印象を
「小松は私の知っている日本人の中で、一番魅力のある人物で、家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的才能があり、態度が人にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた」
と言っていたそうです。
コメント (2)
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