昨日は句会から帰った後歩数稼ぎのため少し歩いた。
最近はウオーキング等という看板を下ろしてのんびり散歩といった風情。
ただ帰りが夕方近くなると交通事故防止の為反射するタスキを携行。
▼(夕方の用水路と菜の花)
▼(夕日)
これで静かに一日が終わる。
かと思いきや、夜中の11時過ぎ頃から近くの道路拡幅工事現場付近で夜間照明を設置し始めた。
▼(夜間照明下での工事)
結構な音と振動が日付が変わっても続いていた。
震災復興工事の一環である道路の四車線化は民家や商店の立ち退きも伴っている。
立ち退きが済んだ地域から交通を遮断することなく、かつ生活インフラを維持しながらの工事。
従って、どうしても一次通行止めや入口付近の遮断は夜間の工事になってしまう。
▼(道路拡幅の路線)
右側に新たな橋を架けて道路を右に通し、左側を工事するという手法で工事は進む。
建物等の立ち退きが左右で時期が異なるので、仮の道路も右へ行ったり左に曲がったり。
下水も、電力も途絶えさせられないのでその移設も大変。
想像しただけでもその工程管理は大変なものだろうと思う。
あの二度の震度7に襲われほぼ壊滅したような我が町も、震災から9年がやってくるが復興の途上。
▼(一部開通した町道)
倒壊家屋等で緊急自動車の通行が出来ないほどだった町道も逐次拡幅されつつある。
▼(再建された地域共生センター)
役場が使用不能となり、畑の中に仮設の庁舎が建設されていたが、役場は再建された。
仮庁舎の跡は、地域共生センターとしてかつての中央公民館や男女共生センターなどが建設された。
4月14日の夜間に前震、4月16日の夜半の本震と言えば、15日が一日空いているように思える。
ところが、実際は15日の夜半過ぎ日付が変わったばかりの時間なので印象的には2晩続き。
前震で非難した人が、家の様子を見に帰り本震で犠牲になった例も多数。
阪神淡路大震災~東日本大震災~熊本地震~能登半島地震と地震は忘れないうちに次々と。
南海トラフ地震の確率より遙かに低い確率の当地の活断層だったが・・・。
地震列島の上に住んでいることを実感する昨今である。
「地球儀はいつも何処かで花曇り」・・・しろ猫