ぐらぐら・ゆらゆらの震度7に驚いたのは9年前の今日。
余震に注意と頭にあったが、本震が来た後で前震という言葉を初めて聞かされることになった。
前震という言葉を聞いたのは何日後であったかは、記憶にない。
14日前震・16日本震と言っても実際は2晩続きと言ったほうが分かりやすい。
14日の夜21時過ぎと15日の夜の16日に日付が変わったばかりの1時過ぎだったから・・
あれから9年が経過し、地震の数日前に生まれた孫は9歳になった。
9年の時間経過の実感としての捉え方は人それぞれだろう。
私はとても早いと感じているが、長女のお産の手伝いで隣県に行っていた相方は前震の日さえ思い出せない。
9年前の今夜9時、食卓で一人酒を飲みながらテレビを見ていて面白いのでグラス片手にソファーに移動した。
途端に揺れ始め、今まで食卓の私が座っていた場所に食器棚が倒れてきた。
テレビは、キャスター付きの台の上で地震警報を映しながら居間をゴロゴロと前後左右に動き回っていた。
照明は点いていたしテレビも情報を流していて、いわゆる情報難民の状態にはなく、不思議と冷静だった。
余震を警戒して、倒れそうなものは中身をダンボールに入れ、すべて床の上に置いた。
テレビやタンス・パソコンなどの周りに布団や座布団を置いて緩衝材とした。
避難所も開設されたが、自宅を見回して安全を確認し相方が残してくれた40食の非常食を当てにして避難しなかった。
夜間に息子から安否確認の電話があった。
テレビ局から明朝のニュースの中での電話インタビューの依頼を受けた。
こうして、やたらと沢山の布団を敷き詰めた部屋で携帯を横に置いて寝た。
こうして14日の夜は過ぎていった。
「ゆらゆらと闇の波紋は定まらず」・・・しろ猫