南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

東京オリンピック

2006-09-02 13:17:10 | オリンピック
2016年のオリンピックに向けて、東京が立候補することになった
のですが、もしこれが実現すると二回めの東京オリンピックにな
ります。一回めを知らない世代が多いので、1964のオリンピック
を知っているということは、年寄りの証拠となってしまいます。

私は1964年の東京オリンピックをはっきりと覚えています。小学
校の三年生でした。まだ家にテレビはなかったので、テレビでは
見られなかったのですが、オリンピックが終わってしばらくした
後、オリンピックの総集編の記録映画を小学校の体育館で見る事
ができました。

その時の印象は鮮烈でした。町に映画館があり、映画好きの叔母
さんにつれられて、戦争映画や怪獣映画はよく見に行っていたの
ですが、オリンピックの記録映画は、大げさに言えば、私の人生
を変えました。今でも、その時一度だけ見たスクリーンの様子が
ところどころ記憶の中に残っています。これは市川崑監督の作品
だったと思います。映像がものすごく奇麗だった印象があります。

田舎町に育った私は、外国人の姿を見たことがありませんでした。
愛知県の豊橋から先には行ったことはなかったし、もちろん飛行
機に乗ったことはありませんでしたので、世界の広さを実感する
ことはなかったのです。

東京オリンピックの記録映像を見て、「東洋の魔女」と言われた
女子バレーボール選手の金メダル、マラソンで銅メダルを獲得し
た円谷(彼は後に自殺してしまいますが)などの日本選手の活躍
もわくわくして見たのですが(実際日本の金メダルは16個で、
アメリカ、ソ連についで三位でした)、それよりも私に一番衝撃
を与えたのは、「世界にはこんなにもいろんな国があり、いろん
な人たちがいる」という事実でした。

このオリンピックが契機となって、私の世界に対する好奇心が
爆発するのです。いつかきっと外国のいろんな国に行ってみたい。
今はスクリーンでしか見えないが、外国のいろんな人に会ってみ
たい。とそのとき思ったのでした。

それから私はほとんど毎日、世界地図を眺めていました。家の机
の上にはいつでも眺められるように、世界地図を貼っていました。
地図を眺めながら、この国はどんな国なんだろうとか、このへん
てこりんな名前の町はどんなとこなんだろうかとか想像したりし
ていました。

おかげで、その後、地理は私の最も得意な科目となっていきます。
それがやがて外国語への興味へとつながっていきます。その後の
アポロの月面着陸や、大阪万博がその私の興味をさらに後押しす
るのですが、それはまた別のお話しです。

1964年、私が今生活しているシンガポールはまだ独立していま
せんでした。独立は1965年のことになります。今勤めている会社
の東京の本社が1963年にやっと会社設立されたばかりでした。
私の妻の下町娘はまだ影も形もありませんでした。
生まれてくるまでまだあと4年くらい待たねばなりません。

しかしまあ、東京オリンピックというのは過去の歴史となってし
まいました。以前、「戦争を知らない子供達」(ジローズ)が大
ヒットしたのですが(ひょっとしてそれも知らない人たちが多い
のでしょうね、きっと)、「東京オリンピックを知らない私達」
という歌でも作ってもらいたいものです。

以前は、戦争体験がジェネレーションを分けるときの基準になっ
ていましたが、東京オリンピックはその一つ、また大阪万博など
もその一つですね。あと、そのうち昭和生まれというのが、年寄
りの証拠となっていく時もやがて来るかと思うと恐ろしいですね。

ところで、東京オリンピックに関して、調べてみたら、じつは
もっとすごい古い歴史があったのがわかりびっくりでした。
1940年のオリンピックは東京で開催されることが決まっていまし
た。1935年にオスロで開催されたIOCの総会で、東京、ローマ、
ヘルシンキの3都市が残り、ムッソリーニ率いるローマには外交
的に辞退してもらい、東京、ヘルシンキの一騎打ちで見事勝利を
勝ち取ったのだそうです。東京34票、ヘルシンキ27票だったとか。

これが決まったとき、日本国内ではオリンピック開催の反対運動
もあったそうです。河野一郎議員が開催中止を国会で訴えたとか。
さらに、日本は、国際的に孤立して、太平洋戦争に突入していく
ので、オリンピックどころではなくなり、日本は辞退します。
では、ヘルシンキでということになったのですが、世界中が戦争
に巻き込まれていくなか、ヘルシンキ大会も中止を余儀なくされ
ました。

戦後の高度経済成長の中で、東京は再び、オリンピック誘致に
向けて動き出します。1960年のオリンピック開催地の選考に東京
が名乗りをあげます。実際には、ローマが勝つのですが、その時
の最終選考に残ったのは、ローマ、ローザンヌ、ブリュッセル、
ブダペスト、デトロイト、メキシコシティ、そして東京の7都市
でした。東京は一回目の投票で最下位で落選したそうです。最後
はローマとローザンヌ(スイス)の一騎打ちだったようです。

さて1964年のオリンピック選考はどうだったか。1964オリンピク
の立候補都市は、東京、デトロイト、ウィーン、ブリュッセルの
4都市。この時は一回だけの投票で東京が過半数の34票を獲得し、
デトロイト10票、ウィーン9票、ブリュッセル5票に大差をつけ
て、見事勝利を獲得したのでした。

これを見ると、前の都市のローマ大会への立候補は、その実績
作りということになるのでしょうか。しかし、デトロイトは二回
連続でダメで、そのまま挫折してしまいましたね。東京は歴史的
に見ると、何度もチャレンジしているので、今回またチャレンジ
すればたしかに実績になっていきますね。実現するかどうかは
わかりませんが。

実現したとしても、様々な問題が露呈すると思われるので、いろ
いろと反対運動なども同時に出て来るのではないでしょうか。
経済効果もありますが、いろいろな犠牲も強いられるでしょう。
首都発展のために、住民が犠牲をいとわず協力してくれるのか
どうかという問題もあります。まあそれは東京開催が実現しな
ければ杞憂となりますね。



東京よ、過去のオリンピック開催地選考に学べ!

2006-09-01 00:58:45 | オリンピック
この上のグラフは、昨年シンガポールで開催されたIOC総会での
投票結果の推移です。2012年のオリンピック開催地をめぐって、
世界の5都市が争いました。結果はご存知のように、ロンドン
だったわけですが、これはすんなり決まったわけではありません。

上のグラフをご覧になればわかるように、投票は4回行われまし
た。もしも大差がついていたら、4回も投票はなされなかったか
もしれませんが、この時は、混戦でした。

まず最初にモスクワが落ちました。一回目の投票ではロンドンが
22票でしたが、パリが21票、マドリードが20票、ニューヨークが
19票という僅差。この段階では、モスクワ以外、どの都市にも
チャンスがあると思われました。

第二回めの投票では、何と、マドリードが32票で首位でした。二位
のロンドンは27票。この時点ではマドリードが勝利を確信したの
かもしれません。ニューヨークは16票しか取れずに敗退。

第三回めの投票ではロンドンが再び首位に返り咲きます。マドリー
ドはパリに二票の差で敗退。第二回めでは首位だっただけに、この
敗退はショックだったでしょう。このあたりは、非常に微妙なかけ
ひきが作用します。第二回で敗退したニューヨークを応援していた
人の票が、ロンドンとニューヨークにまわり、マドリードにはまわり
ませんでした。

そして最終のロンドンとパリの一騎打ち。その前でマドリードに投票
した人がどちらに流れるかで勝利が決まりました。結果はわずか4票
の差でロンドンとなりました。この結果を見るかぎり、ロンドン、
パリ、マドリードのいずれもチャンスがありました。運が悪ければ、
ロンドンは負けていたところです。

でも4回の投票で、パリは常にロンドンに僅差で負けていたのは、
じつに悔しかったでしょう。ジャンヌダルクのいた時代の100年戦争
の頃から、イギリスとフランスは犬猿の仲だったのですから、ここで
その積年の恨みをはらしたかったに違いありません。

フランス応援のためにシンガポールに滞在していたシラクは、会期中
の談話で「あんなイギリスのような食べ物のまずい国でオリンピック
を開催するのはありえない」というような失言をして、顰蹙をかった
とか。本来はパリを応援するはずだったマドリード支持者が、この件
でロンドン支援に回ったとも考えられます。

投票権を持つ人たちのうち、アフリカや、旧英領の国の人たちは、
イギリスに留学した経験者も多く、ロンドンに対して心情的に親近感
を持っていた人も多かったと言われています。ロンドンは、この時、
第三世界のオリンピックをアピールしていましたが、そういう点も票
を集めたのでしょう。

このときの世界5都市のプレゼンテーションの映像がフルで見られま
すので、とくに石原都知事は、これを見て、どのようにしたら勝てる
かをじっくり研究してください!ロンドンのプレゼンテーションは、
人選といい、各所で使用されているプロモーションビデオのできと
いい、コンセプトといい秀逸です。
http://www.olympic.org/uk/news/events/117_session/past_election_uk.asp
この上のページの下のほうに並んでいるビデオマークのリンクがそれ
ぞれの国のプレゼンテーションです。

ここまでは、シンガポールでの選考の話でしたが、以下のサイトに
過去数年間の、選考の様子が紹介されていますのでご参考まで。
http://www.olympic.org/uk/games/london/full_story_uk.asp?id=1386

これを見ると、過去にいろんな都市が立候補して敗退しているのが
わかります。大阪は、真っ先に負けているのがわかります。これを
眺めているだけでも何だかいろいろ面白いですよ。