南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

はじめての海外出張

2006-09-23 23:55:24 | ビジネス
それはもう25年も前のことです。会社に入ってはじめて海外出張は
ロサンゼルスのハリウッドでした。商品プロモーションビデオの撮
影の仕事でしたが、会社に入ってまだ間もない私にとって、いきな
りの海外、しかもハリウッド。これはすごい緊張でした。

飛行機にも慣れていない。アメリカなど行ったこともない。しかも
とっても怖~いクライアントと二人だけ。この人はやたら厳しいの
で有名でした。もし何かひょんなことで機嫌をそこねたら、とんで
もない事態になるんだろうなと不安満載。

そんな状態でいきなり成田から飛行機に乗る。クライアントの担当
者は、飛行機にはかなり慣れている雰囲気。私の緊張は高まる。
ロスは暑いという情報だったので、私は半袖のシャツに薄手のズボン
という軽装。クライアントの担当者は、ウィンドブレーカーを着て
いる。「飛行機の中は寒いからね」との一言。え、そうなの?

飛行機に乗ると、クライアントは慣れた感じで空席を見つけ、さっさ
と席を移動して横になる。旅慣れている人はすごいなあと感心しなが
ら、その人から旅の極意のようなものを学んだ気がします。
Itinerary(旅程)という単語も成田で飛行機を待っている間に、その
人から教わりました。飛行機の燃料は翼のタンクに貯蔵されていると
いう雑学などもその人が教えてくれました。教わるばかりの私でした。

それは今よりもおおらかな時代でした。ロサンゼルスに着いて、アメ
リカ人のスタッフと打ち合わせを終えたあと、クライアントは週末に
サンフランシスコに遊びに行きたいと突然言うのです。すぐに飛行機
を手配して、ロサンゼルスの小さな飛行場から、サンフランシスコに
飛びました。たしかバーバンクという飛行場でした。

サンフランシスコに到着して、バスで市内まで。そこの案内所でホテ
ルを手配。フィッシャーマンズワーフのホテルにしました。あとは
サンフランシスコの市内観光。フッシャーマンズワーフや、対岸の
サウサリート、バークレーの大学キャンパスにも行きました。私は
内心びくびくしながらも、ツアーコンダクターに徹して、
全然知らない街を案内したのでありました。

サンフランシスコの街は、気候もよく、観光するには最高でした。
私は幸いにも地図を見てナビゲーションするのは好きでした。今から
思うと、全く知らない街でよくあっちこっち行けたものだと感心して
しまいます。フィッシャーマンズワーフからフェリーで対岸
のサウサリートまで渡り、そこからバスで市内まで戻ってきて、バー
クレーまで電車で行きました。かなりの部分はそのクライアントの
無謀な行動力のおかげではありましたが。

その後、ハリウッドでのメインの仕事のほうは何とか無事に片付きまし
た。ドラマ仕立てのプロモーションビデオで、撮影はすべてスタジオの
セットでした。本場の撮影スタッフは、さすがに映画の本場だけあって
いろんなスタッフがかっこよく立ち回っていました。カメラを回す前に
出すカチンコもなんだかかっこよかった記憶があります。

この出張を終えて、とくにクライアントの機嫌をそこねるような事態が
起こらなかったのは、奇跡的なことでした。一つ間違えば、旅先での
トラブルは十分ありえました。海外出張自体がはじめて私は、内心常に
びくびく、おどおどしていたのですが、何とか無事に終了して、ほっと
しました。

それから海外出張は数多く、今ではかなり慣れているのですが、最初の
出張のことは今でもはっきりと覚えています。はじめての海外出張では、
未経験のことをいくつもクリアーしていかないといけないので、これは
大変です。何かのひょうしにパニックになってしまうと、忘れものをし
たり、とんでもない事故に遭遇してしまう危険もあります。こういうの
はやっぱりいくつか経験を踏んで、旅慣れていくというのがよいので
しょう。

そういう私も、実はその後、旅先でスリにあったり、飛行機に物を置き
忘れたりという経験は山ほどあるのですが、そういう経験も重ねながら
旅慣れてきているような気がします。今度、チャンスがあれば、旅先で
の失敗談などもしてみたいと思います。そっちのほうが参考になるかも
しれませんね。