南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

東京よ、過去のオリンピック開催地選考に学べ!

2006-09-01 00:58:45 | オリンピック
この上のグラフは、昨年シンガポールで開催されたIOC総会での
投票結果の推移です。2012年のオリンピック開催地をめぐって、
世界の5都市が争いました。結果はご存知のように、ロンドン
だったわけですが、これはすんなり決まったわけではありません。

上のグラフをご覧になればわかるように、投票は4回行われまし
た。もしも大差がついていたら、4回も投票はなされなかったか
もしれませんが、この時は、混戦でした。

まず最初にモスクワが落ちました。一回目の投票ではロンドンが
22票でしたが、パリが21票、マドリードが20票、ニューヨークが
19票という僅差。この段階では、モスクワ以外、どの都市にも
チャンスがあると思われました。

第二回めの投票では、何と、マドリードが32票で首位でした。二位
のロンドンは27票。この時点ではマドリードが勝利を確信したの
かもしれません。ニューヨークは16票しか取れずに敗退。

第三回めの投票ではロンドンが再び首位に返り咲きます。マドリー
ドはパリに二票の差で敗退。第二回めでは首位だっただけに、この
敗退はショックだったでしょう。このあたりは、非常に微妙なかけ
ひきが作用します。第二回で敗退したニューヨークを応援していた
人の票が、ロンドンとニューヨークにまわり、マドリードにはまわり
ませんでした。

そして最終のロンドンとパリの一騎打ち。その前でマドリードに投票
した人がどちらに流れるかで勝利が決まりました。結果はわずか4票
の差でロンドンとなりました。この結果を見るかぎり、ロンドン、
パリ、マドリードのいずれもチャンスがありました。運が悪ければ、
ロンドンは負けていたところです。

でも4回の投票で、パリは常にロンドンに僅差で負けていたのは、
じつに悔しかったでしょう。ジャンヌダルクのいた時代の100年戦争
の頃から、イギリスとフランスは犬猿の仲だったのですから、ここで
その積年の恨みをはらしたかったに違いありません。

フランス応援のためにシンガポールに滞在していたシラクは、会期中
の談話で「あんなイギリスのような食べ物のまずい国でオリンピック
を開催するのはありえない」というような失言をして、顰蹙をかった
とか。本来はパリを応援するはずだったマドリード支持者が、この件
でロンドン支援に回ったとも考えられます。

投票権を持つ人たちのうち、アフリカや、旧英領の国の人たちは、
イギリスに留学した経験者も多く、ロンドンに対して心情的に親近感
を持っていた人も多かったと言われています。ロンドンは、この時、
第三世界のオリンピックをアピールしていましたが、そういう点も票
を集めたのでしょう。

このときの世界5都市のプレゼンテーションの映像がフルで見られま
すので、とくに石原都知事は、これを見て、どのようにしたら勝てる
かをじっくり研究してください!ロンドンのプレゼンテーションは、
人選といい、各所で使用されているプロモーションビデオのできと
いい、コンセプトといい秀逸です。
http://www.olympic.org/uk/news/events/117_session/past_election_uk.asp
この上のページの下のほうに並んでいるビデオマークのリンクがそれ
ぞれの国のプレゼンテーションです。

ここまでは、シンガポールでの選考の話でしたが、以下のサイトに
過去数年間の、選考の様子が紹介されていますのでご参考まで。
http://www.olympic.org/uk/games/london/full_story_uk.asp?id=1386

これを見ると、過去にいろんな都市が立候補して敗退しているのが
わかります。大阪は、真っ先に負けているのがわかります。これを
眺めているだけでも何だかいろいろ面白いですよ。