四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

ガスケの『セザンヌ』 岩波文庫 芸術家・思想家必読の書

2010年01月31日 17時44分49秒 | 美術・建築・工芸
ガスケの『セザンヌ』が岩波文庫から発刊されていた。
ガスケの『セザンヌ』は絵画至上画家が絵について語ったもっとも重要な書物である。
わたしは求龍堂で発売されたものを購入していたが、近代絵画の方向性を与えた書物でもある。

古典・中世期の絵画のあり方を根本的に変えてしまい、印象派をも超え出た画家の思索のあとが伺える。まさにセザンヌ以前の絵画とセザンヌ以後の絵画を区切ってしまったのである。
それは哲学がソクラテス以前と以後で区切られたような重要な位置づけでもある。

そしてセザンヌがいうところの神はわたしの信ずるところの神でもある。
「神を信じないでどうして画家になれるのですか?」

志あるもの、才能ありと自惚れているもの、1000年を単位に生き通したいもの必読の書であります。

合わせて『回想のセザンヌ』も読むことをおすすめする。

セザンヌ (岩波文庫)
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ガスケ
岩波書店
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回想のセザンヌ 改訳 (岩波文庫 青 558-1)
エミル・ベルナール
岩波書店
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子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

宗教の時間 神は信じる 宗教は考える

2010年01月31日 05時42分57秒 | 行住坐臥
日曜日の早朝にNHKでは「こころの時代」をやっている。
面白いと思ったものは見るようにしている。

こころの時代~宗教・人生「我を照らされて」
沢木興道に師事した西川玄苔さんは、自分のエゴ、「我」へのとらわれと苦闘する求道の人生を送ってきた。坐禅に没頭し、念仏に出会って感得した86歳の禅僧の境地とは。
【ゲスト】宋吉寺前住職…西川玄苔,【きき手】亀井鑛



我の問題を考えていたが、我は常にものの世界には現れるものである。
芸術では我のあるものはうるさく調和しなく品無く安っぽい。傑作は我がはずれ純粋な私のみが残る。

私とは物そのもの(Ding an sich)である。
私とは他人も私と見つけたり、ということである。

我である場合には我と我があらそう。

芸術の傑作にはそれぞれ私がある。
私が抜けた芸術には永遠性がない。

カントもいうように「常に主語であり続け、けっして述語にならないものが、私である。」
この広大な宇宙の中で常に主語であり続ける存在が私であり、すべての人間にそれは共通する。

エドガー・アラン・ポーには『ウィリアム・ウィルソン』という小品がある。
善と悪に分身したようなウィルソンが二人現れる。顔も背丈も声もそっくりである。
悪をなすウィルソンの前にはそれを阻止する善のウィルソンが現れる。
わたしは、映画でもこの作品を見たことがあった。感心したのであるが、この映画の主演で出ていたのが、アラン・ドロンである。彼はいかにもウィルソンに適した役どころであった。後日、私はアラン・ドロンに会う機会に遭遇したとき、彼のウィルソン役のことを褒めたが彼はことの他喜んでくれた。ほとんどこの作品に対してアラン・ドロンを褒め称える人間はいないようであった。

これを個人のウィルソンから団体の善悪の問題を考えても、善と悪は相対するものではあるが、それはどちらも常に相即不離の関係にあるものである。
これは常に対立するが、もしそこに調和というもの私というとこの段階まで高めると双方は和解でき、その存在は雲散霧消する。

芸術にはそういう対立を融和する異種のアドレナリンが含まれている。

宗教は宗とする教えである。教えである以上はそれを考えることができる。たとえばその教えは正しいのか間違っているのか。よく自分が信じる宗教は正しいと鵜呑みする人がいるが、宗とする教えには教典がある。単にあるのではなく、それが宗となる教えである。読まずに信ずることは盲信に繋がる。少なくとも読んで考えてみるということは必要である。

もし、それでも信じたいのであるなら、教えではなく神の存在そのものを信ずればよい。
神は信ずるものであっても、神は生半可な信じ方では姿も現してはくれないし、手伝ってくれることはない。

神を信じることとは命を捧げることである。つまり常なるところに命を捨てるのである。死ぬ以前に自らを神に捧げていなければならない。だれでもできる事ではなく、犠牲の精神を持っていなければならない。学校を出て企業に就職するなどを考えてはいけない。かっこいい相手を見つけて幸せな家庭を持ちたいなどと考えてはいけない。商売が繁盛することを願ってはいけない。それでは神を信じていることにはなっていない。常の所に死するのである。何も考えないで信じていればよい。考えは自然と向こうからやってくる。これが芸術の極意である。

具体的なことを知りたければセザンヌの手紙を読み、セザンヌの絵画をじっくりと見ることである。


西川玄苔さんは『驢鞍橋』を引用し、「先ず常に死を優先して思う」ということを強調されておられた。ラテン語のメメント・モリである。現在人は死を想うことを嫌い、死んだ人々のことまでも瞑想できない。人は必ず死ぬがいかような死に方をするかを決めることは困難である。自殺にしても何故自分が自殺に追い込まれたのかということは、そうなったからいざ仕方がないというところへ、追いやられてしまう。借金にしろ病気にしろリストラにしろ複数の要因が重なってしまうと追い込まれる境地に至るのである。他人にはもちろん友人にも家族にもなかなか理解されない複雑な心境がやってくる。

殺人や事故にしろ、自分で決めることはできない。どんなことも起こりえることは避けられないのである。分かっていても避けがたいことは多々ある。さまざまな要因はある。自己が死を導くということもある。

常に死を想うことは大事である。そうすることで今為すべき事は何かという選択肢が見えてくる。



驢鞍橋 (岩波文庫)
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鈴木 正三 鈴木 大拙
岩波書店
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セザンヌの手紙
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ポール・セザンヌ ジョン・リウォルド
美術公論社
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子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

NHK 「A to Z」言語力を見る。

2010年01月31日 03時23分41秒 | 社会問題
NHK 「A to Z」を見る。
アートディレクター…佐藤可士和,【キャスター】鎌田靖


せっかく「言語力」を取り上げていながら、サッカー選手の言語力程度での問題提起では「言語力」には迫っていない。もちろん何をするにも文章能力が必要にならないはずがない。

重要な課題に取り組みながら、言語力の重要性が幼稚な問題でしかないというのはどうしたことであろうか?

ものごとを考えるには言葉しかない。
数学の親は言葉である。数学者の皆様、言葉を一切使わずに数学の事象を考えて下さい。
たとえば、π・i・eなど文字も使わずに数学を考えて下さい。

音楽家の皆さん、言葉を使わずに音だけで音楽をやって下さい。

自分の存在をことばを使わずに証明して下さい。けっして、わたしに頭突きを喰らわさないで下さい。

言葉を使わずに退屈を凌いで下さい。

考えれば考えるほど、携帯電話に駆け込む人が増えているそうです。

「ここに鉛筆があります」
「この鉛筆を下さい」

「明日、上野駅の南口であいましょう」
「ルーターを3台送って下さい」
「犬がね、子を産みました」
「犬がねこを生みました」

「したたりやまぬ日の光、うつうつまわるみずぐるま」
「青空に越後の山も見えるぞ、今ははや真にさみしいぞ」
「ほのかにひとつまたひとつ」
「あしひきのやまたけのなるなべに」

言葉を使えば伝わることと、言葉を使っても伝わらないことなど、言葉の用途も様々です。
上の「 」で囲まれた文章もすぐに理解できることと、何を表現しているか分からないものがまじっています。

間違って言葉が伝達されると、飛んでもないことが起こります。

物の製造や流通のために使われることばは、比較的わかりやすいものですが、非存在や雰囲気や感じを伝えるには新しい方法が必要となります。個人の感受性に関係する言葉の使い方は時には詩の表現を借りなければなりません。

言語力は人間の力に他なりません。
存在の値打ちは言語力に現れます。

「文は人なり」ということに他なりません。

言語力を獲得することは、本来は学校の仕事だったのです。
いまでは言語力を衰えさせるために学校へ行っているようなものです。

学校へ行くと、親とも友達ともじっくりと話し合うことがなくなります。
いまはとことん話し合うことができる相手と巡り会うことはありません。

だれもそれを望んでいないからです。
友達を見つけるときも○と×で判断するだけです。
好きと嫌いで物事がきまります。

結婚する前は○、結婚後は×。そして離婚。○・×だけの結びつきでは社会が崩壊します。
最近の医者はこの好き嫌いで患者を見ます。○なら少しだけ真面目に診察します。×なら効かない薬を投与します。手術も真面目に行いません。わざとハサミやメスを取り忘れます。

考えることは言語を使って考えるのです。
われ思う故にわれあり。とはデカルトの有名な「cogito ergo sum」の訳です。

もし、考えなければ人間は宇宙にも優越しないようです。

パスカルは人間を「考える葦」にたとえました。
人間は河原に揺らぐ葦のように頼りない存在であるが、宇宙がどんなに広大であっても、その葦は考えることによって宇宙を凌駕していると言います。

まさしく考えるために何をすれば良いか、一番よい方法は、モンテニューが『随想録』でいうように、古典はわれわれよりも精神においてずば抜け、文法の点でも完全である。
モンテニューは幼少の頃からラテン・ギリシア語に秀でた自由人でした。

まあ、わたしは受け売り人間で大した価値はないのですが、モンテニューの『随想録』を読むためにフランス語を習得した人もいるくらいです。

古典は私のようなバカでも読めます。ただし、バカに特有の忍耐だけは必要となります。ご注意下さい。金鉱を掘り当てるには忍耐がものをいうのです。




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パンセ (中公文庫)
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バカのベール 御手に頼りて

2010年01月30日 22時04分03秒 | 文学・思想
古書頼りとは自己解決がなかなか出来ない人間が古書を読み古書を頼りにするという意味である。

本とは木に一本線が入るところから始まる。

紙は木から出来ていることは御存じであろう。
ヨーロッパやエジプトでは羊の皮を使っていた時代があり、エジプトではパピルスなども使われ、中国では竹に文字を書き、亀の甲羅文字を記入していた時代もある。

今では大抵のところで紙が使われている。

本とは基本的には社会の主軸である。
もし、本がなければわれわれは古代のことを理解することをできないであろう。
遺跡や生活用品が発掘されたりするが、それだけではいったい何のことであるかは理解できないと思える。

日本の歴史も世界の歴史も書き留められることは無かった。

本がなければ主要な宗教や哲学も継承されなかったであろう。
ヤスパースが「枢軸の時代」と言った仏教・基督教・儒教・道教・ギリシア哲学も今に伝わって来なかった。

本当のこととは、これらの古典書を当てがって自分の考えや行動を考える。
本質は本の質のことでもある。内容ある立派な考えの書物は立派に装幀される。

われわれの脳は、世界に対して正しい考えを導くことは困難である。
すべての生きるものは正しく考えることはできない。
そのためにも学習は必要であった。明治までは日本でも学習の必要性は事の他重要であり、ものごころ付いた頃から『論語』は必修の書物であった。つまり書物にも特別の書物があり、聖人の学問として重んじられたのである。

プラトンの『国家』に出て来る「洞窟の譬喩(ひゆ)」は重要である。
洞窟では人々は入り口を背にして経っており、光は外から洞窟の壁に向かって入ってくる。壁に映るのはわれわれの影であり、われわれそのものではない。ただし、我々は常に頭を固定され壁に移る影の世界しか見ることができない。結局、本当の存在物は知らないでこの世を去ることになる。

「バカは死ななきゃ治らない」あるいは「バカは死んでも治らない」のかもしれないのである。

なんとも恐ろしい世界に我々は迷い込んできたものである。
それにはそれなりの意味があるのだろうが、それを考えたのが宗教である。

ヤスパースの言う「枢軸の時代」は読書家ならことの他重要な書物が花開いた時代だと感じていることだと思う

確実に言えることはわれわれは「バカのベール」で包まれている。どのように数学を駆使しても技術を獲得しても、やはり「バカのベール」に包まれていることに気づかねばならない。

知れば知るほど「バカのベール」が溶解していくのを感じる。


今、大人の間で日本史や世界史が売れているという。

もういちど読む山川日本史

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岩波文庫の『国家』は(上)(下)になっている。
国家〈上〉 (岩波文庫)
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国家 下    岩波文庫 青 601-8
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子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

NHK A to Z 「言語力」を取り上げる

2010年01月30日 22時03分39秒 | 事件・事故・自殺
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せっかく「言語力」を取り上げていながら、サッカー選手の言語力程度での問題提起では「言語力」には迫っていない。もちろん何をするにも文章能力が必要にならないはずがない。

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考えることは言語を使って考えるのです。
われ思う故にわれあり。とはデカルトの有名な「cogito ergo sum」の訳です。

もし、考えなければ人間は宇宙にも優越しないようです。

パスカルは人間を「考える葦」にたとえました。
人間は河原に揺らぐ葦のように頼りない存在であるが、宇宙がどんなに広大であっても、その葦は考えることによって宇宙を凌駕していると言います。

まさしく考えるために何をすれば良いか、一番よい方法は、モンテニューが『随想録』でいうように、古典はわれわれよりも精神においてずば抜け、文法の点でも完全である。
モンテニューは幼少の頃からラテン・ギリシア語に秀でた自由人でした。

まあ、わたしは受け売り人間で大した価値はないのですが、モンテニューの『随想録』を読むためにフランス語を習得した人もいるくらいです。

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子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

老朽化する公共投資財 

2010年01月30日 20時05分00秒 | 事件・事故・自殺
最近、インフラの老朽化で至るところで、道路の陥没、高速道路や鉄道のコンクリートやボルトの落下がよく報道される。

老朽化した場所を特定するための調査は困難を極め、たとえ特定できたとしても工事が困難な場所や工事をする人手が足りないなど、まったくお手上げの状態に陥っているということです。

地下に埋められた上下の水道管が破裂したりすると、その周辺が浸水する被害や、道路の陥没で車が穴に落ち込んだりするということがあります。

水でも被害は甚大ですが、ガス管の腐敗でガス漏れした状態で起こる被害はさらに深刻です。先ほどNHKのニュース7で、ガス爆発の保存映像が映し出されていましたが、集団住宅やビルなどでの爆発となると確実に生命の危険にさらされます。

最近、我が町ではケーブルテレビのデジタル化への張り替えを行っているのですが、作業員が確保できないために、工事が大幅に遅れているといいます。

失業率は5%を超えていますが、屋根に登って作業する人たちは集まらないらしいのです。
給料は仕事内容に比べると割安になっています。たしかに喜んで応募する人は少ないでしょう。
ボーナスもなし、社会保険もなしでは、ケガをしたときには自己負担ではたまったものではありません。

勝間和代の本の中にもガテン系の肉体労働の薦めとか、野外労働の魅力などは紹介していません。
NHKでさえ、『会社の星』などのビジネス講座が増えていますが、肉体労働に関してはDIYくの趣味講座位ではないでしょうか?

ガス屋の現場仕事はかなり危険です。道路発作には警察と役所で許可を取るのですが、現地では図面が読めない職人も居て、深さの当たりを間違えて工事中にガス管に穴をあける事故がかなり起こります。

地下にはガス管・水道管・電話管・電気管などが並んで埋められていたりすると、どれがどれやら解らなくなり、水道屋が間違ってガス管に穴を開けたり、電話線を切断したりといろいろな事故が毎日のように起きています。

災害対策に携わったことがありますので、実情はもっと複雑です。

とにかく、予想できる未来図としては日本の人口10万都市のほとんどが廃虚になり得る可能性が高いということです。しかも30年後には3000万人しか生き延びられないと行政側では判断しています。

引っ越しするときには上水道の設備が新しく、水道料金が安いところを選ぶことです。と、いってもこの考えも当てにはなりません。ダムの近くは水があっても危険地帯ですから、ダムの周辺には住まないことが安全対策の第一でしょう。

わたしの知人たちは海外への居住を考えています。
お金のある人たちはモナコを目指しています。


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

巨悪に警鐘を鳴らすマスコミが巨悪になっては話にならない

2010年01月30日 02時38分35秒 | 社会問題
巨大産業となりはてて、今は倒壊は時間の問題である巨悪のマスコミは、権力の監視などということは先ずやれっこない状態で、とりあえずはなりふり構わず金になることならなんでもやります主義に陥っている。

新聞社と二人三脚のTV局は新聞の売り上げの悪い毎日新聞・産経新聞はそのざまはTBSとフジTVの番組を見れば見当が付く。最近は日経までも堕落傾向にある。

民放であっても公共放送である。
一応、品格と言うことも考えなければならないが、血を見せる格闘技ではフジTVよりもTBSにお株が上がるかと思っているとテレビ東京もかなりハードルの高いところへ来ている。

相撲取りもモンゴルや外人部隊が占領して、場所の間にも酔っぱらって暴力を振るうようではNHKも民放のお仲間担ぎをやっているようなものである。


ディオファントスの方程式で儲けるアメリカの策略

2010年01月29日 19時00分41秒 | 社会問題
湾岸戦争から世界情勢はアメリカの一人勝ちになっている。これはクゥート大使館の娘がアメリカで偽証し、戦争を開始させたということで、イラクのクゥート進攻がどこまで真実なのかは今持って分からない。

第2は9.11である。この世界貿易センタービルの大テロからアメリカはアフガニスタンを直ぐさま責め、その後イラク攻撃を始める。
その前に、選挙があり、ゴアが落選したが選挙そのものは不正が騒がれ、裁判で争われることになった。既に戦争が最初にありきでブッシュが選ばれたのである。


第3はリーマン・ショックである。このため世界からの支援を勝ち得たアメリカは一人勝ちしている。その前兆としてオバマ大統領が当選した事とも繋がっている。

これは書きかけの内容のものです。
尚、この考えはわたしの勝手な感でやっているだけのことで事実関係は推測speculationでしかありません。

なぜ、アメリカはこのようなことをしなければならないのでしょうか?
これも推測speculationです。

日本はスパコンで世界一でなければ意味がないと科学者たちは言っておりました。それでは日本は世界一の価格国家でしょうか? 飛んでもない、電化製品では上位に入るでしょうが、科学分野では後進国です。科学論文を見ても日本人の名前はほとんど出てこない。中国人の名前は良く出てきます。日本は世界一で無ければ意味がないと考えるように、アメリカは完全無敵な世界一でなければならないと考えている国です。それがアジアにおいて完全に覇権を奪われる中国の存在が表面を飛び越えて雲を抜くほど成長してきた。日本は軍事的に重要な拠点で民主党がなんと言おうと奴隷的自民党と締結した案で通そうとしています。それは何よりも中国を見据えているからです。

アメリカがリーマン・ショックなどの偽装工作で集めた金は、中国との戦争の準備であると推測できます。さらにロシアの勢力を殺ぐためにもアフガニスタンという地理的な条件は必要になったのでしょう。

アメリカはあくまでも世界一でなければ意味がないのです。
潤沢な資金を用意した後は、兵隊の確保が容易にできるような社会的状況を作り出しておかなければなりません。その準備も整いつつあります。

このまま、中国が台頭すれば誰も押しのけることの出来ない、正真正銘の龍が現れ出ます。
そうなればアメリカの存在そのものが危ぶまれます。
ですから、5年先には第3次世界大戦が始まる可能性を秘めています。

たしか、創作家の誰かはそういうフィクションを仕上げようとしているのではないでしょうか?






若者たちの年収200万円の生活

2010年01月29日 18時39分18秒 | 事件・事故・自殺
深夜のテレビで年収の低い若者たちの現状を取り上げていた。
とにかく、仕事がないらしい。正社員の職を見つけるのは至難の業であり、ほとんどの若者は派遣かアルバイトで生活費を稼いでいる。

昼間だけの稼ぎでは15万円にも満たない場合は夜も働く、それくらいしても生活費に消えていく。

東京は都心だと4畳半でさえ、3万円は取られる。6畳ともなると4万円前後になる。
便所共同風呂無しの生活である。
ワンルームマンションが一時はやり、どこもかしこもアパートを壊してフローリングのワンルームマンションを建てた。しかし、ワンルームマンションは今では割高になる。

古いアパートの部屋では壁は崩れ落ち、畳はぼろぼろ、玄関の鍵さえ掛からない。
便所は臭いし、汚い。銭湯は近くにはない。銭湯もワンルームマンションが出来たため、学生たちがシャワー付きのバスルームで間に合わせる時代になったときに、多くつぶれてしまった。

こんどは若者にとって銭湯は無くてはならないものになってきている。

携帯をもっていない若者はほとんどいない。月に最低でも6千円近く掛かってしまう。自宅ではインターネットもやる。電気代もばかにならない。ガスは携帯用のガスボンベで間に合わせる。

食事は外食ではなく、自炊である。おかずは少ない。節約しても貯金はできない。
結局バブル時代にバカな連中の煽りを受けて、いまの若者たちはそのツケを被っているのである。

そもそも地上に現れた地下資源(鉱物・石油)などは、地上の経済(金銭)価値よりもはるかに低い。それを糸も物の価格と金銭的な価値とのバランスを取らず、貨幣を乱発したのである。
そもそも土地価格などというのは、実質的なものの価格でも無く、心理的な価格でしかない。

どこの国でも鉄道が交差する場所の価格は高い。そこに人が集まり人々は交差する場所を中心に移動してくる。その場所は税金で多くは立脚された場所である。たとえ私鉄でも私鉄の連中がそこへ乗り入れる前に国が作った鉄道がある。一坪何億もする場所は元国鉄の駅の周辺である。
バブルの元になるのは土地の値段である。これを基準にしてどんどん金を増発したが、牛の値段が上がり、マグロの値段があがった。ラーメン一杯2000円が当たり前であるとも言はれた。
金があまり出すと国外への投機が始まり、もっとも多く投資したのはアメリカの土地と建物であり、三菱地所はロックフェラービルを相場の何倍もの価格で買い取った。結局手放すときには、もとの価格の相場よりもはるかに安い金で売却せざるを得なかったのである。秀和などは森ビルと競い合っていたが、アメリカへの度が過ぎる投資で今はどうなっているのだろうか?
結局、円は途方もなくアメリカへ流れ、アメリカのために仕事をする日本人を作り出しただけである。

地下に眠る鉱物はその場所に必然性があって自然が形成したものである。

自然の嫌がることを強引にやると、しっぺ返しが必ず来る。
われわれ人間よりも、自然の方が神様に守られているのである。

これからは更に厳しい時代が来る。日の当たる丘はもはや崩れ去ったのである。

賢い生き方をこれからぼちぼちお伝えしていこうと思っているのです。
是非、又の機会をお待ちしております。


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

田原総一郎のゲリラ的プロデュースとエロティズム

2010年01月29日 10時13分54秒 | 事件・事故・自殺
ついこの間の月曜日テレビ東京の21時の番組で田原総一郎が出演していた。

30代後半の過激すぎるエログロ撮影、とにかく視聴率確保のために今日では想像も出来ないような破廉恥取りをやっていた。

裸での乱交結婚式。
ポルノ女優白川和子の老人ホーム直撃ハーフセックス。
白川和子が出てきた場面では男女ともに皆が驚いた。あまりにも美しいのである。
その白川和子が80近い老人に胸をもまれ、濃厚なキスをし、年寄りの何を手コキでやるというのである。

田原はテレビ東京に入社しているから、そのための番組作りなのであろう。
篠山紀信が青山の墓地でヌードモデルの写真撮りをしたということで、公然猥褻の罪に問われているが、田原の撮影などははるかなところでそれを凌いでいる。

墓でヌードとなると眠ってる墓から起きあがってくるゾンビが沢山居るであろう。
とにかく世の中が狭くなり、清教徒のように何でも検察が出しゃばってくる世の中は窮屈で仕様がない。ほとんど特高警察や憲兵隊と同じ雰囲気である。

憲法前文では、日本国民は正当に選挙された国会の代表者を通じて行動しなければならないと書かれている。つまり検察であろうと、国会議員の方が立場は上である。

司法は国民のすべてを押し寿司のように同じ形にしようとするが、寿司にもチラシもあれば巻きもあり、江戸前もあるのである。

暴力はいけないといいながら、囲いさえ設ければなんでもござるとはこれ如何に?

公然猥褻はTVでは当たり前になっている。
CSなどでは24時間お茶の間で楽しめるのは取り締まらないのか?

それにしても田原総一郎の過激すぎる撮影は、政治家へのつっこみにも応用されているのであろう。

子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

窃盗の疑いで再逮捕されたのは、住所不定・無職の竪山辰美容疑者(48)です。

2010年01月29日 09時20分25秒 | 社会問題
窃盗、火付け、殺人とやっておきながら、「殺すつもりはなかった」と、言い逃れするのは悪党の証拠である。

荻野友花里さん(当時21)の自宅を下見しているところを見ると、荻野友花里さん自身を目的にした犯罪である可能性がある。金を取り、身体を取り、殺して火を付ける。

「殺すつもりはなかった」というなら、どんな事があっても殺しはしない。
物取りだけで済ませるだろう。最初から、いざとなったら殺すつもりであったのだ。

言い訳は聞いてもしょうがない。
殺したことは事実である。

女の子たちも実に用心がなさ過ぎる。
学生の間はあまり自分を美人に見せない方が良い。
戦争中の女の人たちは敵に占領されるとできるだけ醜く装っていたのである。

学生の本業は何か?
千葉大学はどういう大学であったか?

キャバクラ勤めでは色気を出すことばかり考えて、知性を出すことを考えない。
能ある鷹は爪を隠す、というが脳が弱いから色気を出すのである。

そういう女を見ると直ぐに発情する男は多い、特に悪は図々しく、殺してでもものにしようと考える。

その辺のことを女の人たちも考えておく必要がある。

ちょっとした油断が命取りになる。
腰が締まった女は餌食になりやすい。
できるだけ、露出しないことである。

刑務所で若い女を見ると男の囚人たちは殺されても良いから、女と何とかしたいと考えるそうである。

子孫を残す本能は命がけであるということを学校では教えてくれない。

子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

トルコ ダンプが歩道橋を破壊 歩行者が消え去る瞬間

2010年01月29日 09時07分36秒 | 事件・事故・自殺
これは映像を見なければ分からない。
映像が消えない内に見るしかない。

tbsnews

トルコでダンプ激突、防犯カメラ映像

 トルコ・イスタンブールの高速道路で、防犯カメラがとらえた事故の瞬間です。ダンプカーが荷台をあげたまま走ってきて、猛スピードで歩道橋に激突、橋はめちゃめちゃに壊れました。

 そのとき歩道橋の上には6、7人の歩行者がいて、突然、目の前が崩れ落ちて下の道路に投げ出された人もいました。なぜ荷台が上がっていたのかはわかっていません。(28日11:02)






tbsの映像はすぐに消えてしまう。
他国のニュース映像は1年くらい保存されているが、日本はニュースは主体ではなく、金儲けが主体である。
しかし、本当に金儲けがしたければ長く残したほうがよい。



おかしな文章がくっついていた。


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?

インターネットの終焉は早い

2010年01月29日 02時32分39秒 | 事件・事故・自殺
スピードの最速化の実験は加速されている。

たとえば光交換機はテラからペタへの実験段階に入っている。
10年前は2.4ギガ(600メガ交換機を4台組み合わせ)が最速であった。

すでに下記のような実験結果が報告されている。

光通信の速度限界を突破

 次世代の光通信システムに必要な毎秒ペタビットクラス(10の15乗ビット)の処理速度をもつ光ルータ(光交換機)では、電気的な処理を行わない全光型の信号処理が必須といわれている。河口教授らの研究グループでは、そのシステムのキーデバイスとなる光メモリの実現のために、半導体レーザから出力される光の偏光(光の振動の向き)を切り替えることで実現する偏光双安定スイッチングと呼ばれる独自の手法を研究している。今回この光メモリを、現在の光通信で用いられている光の波長である1.55 μ帯で初めて実現できる見通しを得た。
 同グループはこれまでに、素子作製が容易な0.98 μm帯の面発光半導体レーザ(VCSEL: Vertical-Cavity Surface-Emitting Laser)注1)を用いて研究を進め、スイッチ速度が7 ps(ピコ秒 1兆分の1秒)で、スイッチエネルギーが0.3 fJ(フェムトジュール フェムトは1000兆分の1)という、世界でも最高速、最低エネルギーの動作を確認するとともに、光メモリ動作を実現してきた。VCSELは通常の半導体レーザとは異なり、LSIと同様に半導体ウエハ上に2次元的に集積化が可能で、システムの小型化に適しているという利点をもつ。今回、従来の0.98 μm帯VCSELとは異なる半導体材料を用いた実際の光通信システムで利用可能な1.55 μm帯VCSELで同様の偏光スイッチ・メモリ動作を実現したことにより、次世代の高速光通信システムの実現に大きく近づいた。



実験ではほとんど成功の段階に来ている。

家庭で使う100Mの光回線が、1000M(1G)が使用できるようになったが、光ケーブル回線の張り替え工事が必要となる。

スピードが速くなり信号量が増えると、光ケーブルの負荷が増え発火する恐れが出てきている。
そのため、より太い光ケーブルに張り替え工事が必要となってくる。

とくに問題なのは世界を繋ぐ海底ケーブルの張り替えが最近終わったばかりであるが、さらに張り替え直すということが起こってしまうことである。

映像が世界を行き交いし、ウェブカメラなどにより現地映像を流し続けると回線の使用量が高くなり、トラフィックが増え、高速道路の渋滞と同じような現象が起こってしまう。そのためのスピードアップを図っているのであろうが、道路幅を増やすためには、住宅を取り壊したりと厄介な問題が必ず起こってしまう。そして莫大な資金を用意しなければならない。インターネットもいまやこの煩雑な作業や交渉が必要となる。プロバイダー側のルーター交換、差し込みのやり直し、ソフトの見直しなど、とてつもない手間と金が掛かる。

現状のインターネット使用者は電話をして接続するタイプ、ISDNタイプ、ADSLの常時接続、フレームリレーやATM接続などの専用線を使うタイプがある。

さらに携帯電話など、通信会社はそのほとんどを下請けを使い工事を行うが、通信会社も一社ではなく、NTT・KDDI・SOFTBANK・emなどと複数存在し、プロバイダーの数は膨大であり、ネット関係に携わる人々の多くは20代が主流を占めている。まさに少子化にとっては不利な業種である。

現場作業員は高齢化し、後を受ける人材も不足しているのである。
PCでも携帯でも最近よく切断する現象が増えている。
大規模の場合はマスコミで報道するが、小規模の場合は原因不明で済まされる。
故障対応は悪夢のように頻繁に起き、小さなものは人員が不足して対応ができない。

そして今後5年後のことを考えると、人材や収支不足ゆえに、システム全体の崩潰もあり得るということである。


子供が生まれてくる。赤ん坊が生まれてくる。
その赤ん坊はすでに何をやるかどういう人生をたどるかは、はたして決まっているのであろうか?