四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

アウトレット国家日本の顛末

2007年11月30日 01時28分46秒 | 社会問題
何が問題か?
防衛庁の軍需製品購入が安物の偽物、あるいは二流品のアウトレットものを購入し、国防を行おうとしているところにある。

お隣中国は自国で新しい軍事技術を着々と進め、ハイテク大国になろうとしている。尚かつ、小泉政権の空白で中国は対外政策としてアフリカや中東の資源国を手中に収めようとして国家元首自らが外交に出回っていた。

いまでは、その吸引力はアメリカと対等になるところまで迫っている。レアメタルの資源国として食糧の確保国、原油の確保国として、世界の技術大国として君臨しようとしている。

それに対抗しているのがロシアであり、インドである。ともに大国である。

日本は狭き国土と何よりも資源不足食糧不足の国である。そのために教育が重要な要素をもっている。しかし、大学はバカ学生で水増しされ、それというのも官僚国家日本が、どんどん大学を作り、自分たちの就職口を増やし、大学定年教授たちの就職口まで作り、ついに教育の水増しに貢献したため、戦闘ジェット機の配線を間違えるなどという集中力のなさを見せている。

すべての面でアウトレット好みとなり、一流のものではなく、安ければ一流に見立てた二流品を好むのである。

軍事の面でも人材の面でもそれでまかり通ると思っているのである。
政治・教育・実業の世界も今では地に落ちている。



最近引っ越し先を探すのに明け暮れている

2007年11月29日 23時15分27秒 | 人々の問題
東京へ行けば、刺激がある。
こちらでは近所の中でオスとしてはもっとも若い類になる。

18年ほど前に引っ越して来たので、実際18年は歳を取ったことになる。
あっという間の出来事でした。

向いの年寄りはさらに年寄りとなり、90を数歳超えているが、越してきたときと変わりなく元気である。ほとんど時間が経っていないのではないかと思えてしまう。現役で自動車を運転しているから恐れ入るが恐ろしくもある。

周りを見渡せば爺・婆だらけである。何の刺激もなく、ストイックな気分にさせられるが、向上心も生まれてこない。

仕上げなければならない原稿はそのままホッタラカシであり、もう仕上がらないのかもしれない。小説は別としても、調べもののために高価な書物や取材に時間と費用と掛けたが、もとをとることも出来なくなっている。

やはり、東京という場所を離れてからは下火な生活が続くようになった。近所を見ても只食生活を全うするだけので人生のようである。

編集者との連絡もほとんど取らなくなってきたし、新しい出版物のことを聞いても特別関心が生まれなくなった。

NHKと共同で本を出しているというような話を聞いても、何か鏡の向こうの世界の話のようで、だからどうしたのだろうかとも考えない。

山へ行って、渓流の流れの音や山菜の姿を見たいとも思いはするが実行に移すこともなくなった。

引っ越し先には山の手線の池袋・新宿を狙ったが、駅周辺の部屋はほとんどなく、あってもバカ高く、またネズミ小屋のように狭い。

町田は少し広くも成るが、駅からは少し離れている。風呂も付き、駐車場もあるが、車を持っていても出先に駐車場が乏しい。

厄介な国である。ワンルームなどの部屋が軒並み作られたが、おおよそ6畳一間のアパートである。こんなところに書籍を積み上げることも出来ない。3部屋を確保するために人生を台無しにして働きづめに働くのもバカらしい。

とにかく、イメージは狭まっていく。ウィーンなど物価の高い都市でも部屋の広さには恵まれている。学生でも日本の3DKの広さを確保するのは難しくない。

とにかく、羊頭狗肉の不動産屋をあたりながら、毎日時間が経っていく、そして頭も身体も疲れている。

                                         続く



医学が発達すると国力が弱体化する

2007年11月23日 19時47分40秒 | 社会問題
日本の医学はかなり成功し、病人は病院でゆっくり恢復を願う。

世界一の長寿国になり、どこへ行っても爺・婆だらけである。特に婆の存在は驚くべき生命力をもってあちこち動き回っている。

昔はゴキブリを見るとむかついたが、最近では婆を見るといつまで生きるのかと婆ホイホイを仕掛けたくなる。

うちの婆さんも元気である。私の10分の1も病気をしない。

病院へ行けば爺・婆だらけである。レストランへ行けば爺・婆だらけである。映画館へ行けば爺・婆だらけである。美術館へ行けば爺・婆だらけである。

これでは国力が弱まり、医療費が増え、企業の活力も殺がれる。

外国の投資家たちは日本からどんどん離れている。
日本の爺・婆だらけであることも原因しているが、若者がバカ者でしかないため、将来性が感じられないからである。

中国人のような勤勉性もなくなり、学生は勉強をしない、できない。
どこから見ても魅力のない阿呆の国になっている。

再生医療が発達すればするほど阿呆と爺・婆を長生きさせるだけである。

世界中が阿呆化して、ヨーロッパ人たちもせっかく阿呆に成っているのであるから、日本人が世界制覇のチャンスであるが、そのチャンスを狙っているのはロシアと中国である。

日本人はバカマスコミにどっぷり浸かり、日本の世界にまれに見る阿呆番組にうつつを抜かしている。

800兆円の借金は必ず国民が付けを払わされる。私は少し前なら国籍を帰ることも出来たが、今ではこの国にどっぷり浸かり、日本の古典精神を担っている。

どんな右翼にも負けない国粋主義者である。
ただし、自民党が言う愛国心とは関係ない。

目の前にある書物は、宇津保物語、歌論集、連歌論集、近世和歌集、歌合集、菅家文章、かちかち山、小太り爺・婆だらけなどである。

どうだ、私の国粋主義とはどういう意味か分かったか!

今の爺・婆は礼儀も知らずマナーもなし、まったくゴキブリの行列である。
こいつらが日本の精神を破壊してきたのである。

もうすぐ日本も終わりであり、若い衆たちは働いても働いてもその日暮らしもままにならぬ生活が待っているのだぞ。

君たちは少なくとも文学的なものを漁り読まなければ未来はない。

医者は税金も優遇されており、金が余っている。こういう連中から税金を取り上げなければ、替わりにその日暮らしの若者が、こいつらのために税金を払わされることになる。

医者が爺・婆を長生きさせている。そして日増しに国力が弱くなる。

まともな爺・婆は仕事を持っているものである。暇を潰すために何かをやり出すのではない。そういう爺・婆はもともと自分の仕事を持っていないのである。

多くのサラリーマンや企業勤めの人たちは、自分の仕事を持っているわけではない。

財を獲得するに成功する人間も本来その人間が何であるかは分からない。
つまり彼は金持ちなのである。単なる金持ちは近代工業化の特徴である。

国家も金だけで計られるとき、そこには国家としての顔を持つことはできない。

ピカソはピカソである。

存在のない爺・婆だらけであるとき、国家は衰退する。意味のない生命体を養うほどバカバカしいことはない。




長期的な展開

食えない国々

医療の足りない国々

食糧と医療が足って狂気が蔓延る

開高健は衣食足りて文学は忘れられたと言ったが、衣食や医療が足りることで新しい病気がうまれることも慥かである。

世界が混交すると世界そのものが汚くなるのは色の三原色を混ぜれば黒くなるのと同じである。

いろいろな文化の流通が早まり、独自性が失われ、狂気が蔓延る。



ミシュランのガイドブックは写真入り?

2007年11月23日 19時21分14秒 | 社会問題
うちにはミシュランのガイドブックは数冊ある。
ヨーロッパのものであるが、どれ一つとして写真が入っているものはない。

その替わり絵文字はいっぱいある。
日本人は携帯で絵文字をいっぱい使うらしい。

これは猿化の現象らしい。
しかし、ミシュランのガイドブックに写真がはいるというのはもっと猿化の現象ではないだろうか!
他国のミシュランガイドブックを見てもこんなに写真が入るのはめずらしい。



人間は誰でも恥ずかしいことが好きである

2007年11月23日 16時11分04秒 | 社会問題
だれもがスキャンダルを愛し、嫌らしいことが大好きである。

この嫌らしいことのために命を賭けている。ダイヤモンドの輝きも真珠のネックレスも嫌らしいことをするために利用されている。

人間のすべては嫌らしいことから産まれたのだから、仕方がない。
イエス以外のあらゆる人間はそうすることによって産まれてきたのである。

しかし、最近はこの嫌らしいことを犬のように路上で行うものが出てきた。
猿化する日本人という書物を読むと、私の退化論に少し似ているとも思える。

しかし、日本人は猿に近いというヨーロッパ人の論文によると日本人と日本猿だけが、人と猿の区別はあるものの日本という名詞でくくられているという。

中国人と中国猿とは言わないらしい。フランス人とフランス猿とも言わない。

そのため、日本人がもっとも猿に近く、退化現象も早いのである。
携帯を持った猿は本当の猿ではなく日本人のことであった。この発見も驚くべきものである。

猿の惑星は日本人から発送したともいう。しかし、日本猿には羞恥心がある。私は日光へ行って猿の営みを見たことがない。



労働基準法違反でも逮捕されない日本の事情

2007年11月22日 09時38分22秒 | 社会問題
自民党政治は法を順守しないで、ヤクザを養護してきた。
赤勢力に対抗するためにはヤクザ・右翼は重要な役割を果たしてきた。

キッコーマンの労働争議でヤクザを導入したことはあまりに有名である。

そういう日本の流れでは経営者側にとっては労働者は奴隷であり、労働者の家族は犬以下の存在である。

長い間、そういう習慣で日本は労働者を扱ってきたのである。

ここは東洋である。暗黒世界である。とてもではないが、月のない夜道を歩くことは命を捨てるようなものである。

恐ろしい国である。天皇陛下の国である。一億玉砕の国である。

バカな国民の国である。



今の派遣会社はヤクザがやっている

2007年11月22日 09時23分54秒 | 社会問題
昔は派遣会社と言えば、マンパワーかテンプスタッフであった。
それが数が増え、小泉政権の時にはかなりヤクザが参入してきた。

小泉の老父は鳶職から国会議員になった任侠世界の人間である。

そういう関係者を公共事業から排除した替わりに派遣会社という、中間マージンの取れる楽な職業に就けるようにした。

工場労働者や現場労働者を奴隷のごとくこき使うのはキャノンの御手洗と大差ない。

ヤクザは血の一滴、骨髄の一滴まで搾り取る。
派遣会社のあまい汁におびき寄せられると碌な事がない。

しかし、恐ろしい世の中になったものである。



天才ピカソはタバコを吸う

2007年11月22日 08時29分27秒 | 文学・思想
天才ピカソはタバコを吸う。
別に特別の意味はない。

コクトーもタバコを吸っていた。
大体芸術家と名のつくものは、コロンブスがアメリカを発見してからは、タバコを吸うものである。

吸わないでいいのは、官僚たちである。

みんな同じ人間だと思うから勘違いの時代が始まるのである。

人権などはそもそもこの世界にはないのである。
芸術と同じで作り出すのである。
作り出せば、その人を人として認めることができる。

最初から人間などは存在しないのである。
人間だけは人間に成らねばならない。
ただそれだけのことである。

悔しかったら人間になって見ろ。
俺も努力するが、まだ人間に出合ったことがない。


クルゾーの『天才ピカソの秘密』がCSで上映されている 柿右衛門の絵付けはつまらない

2007年11月22日 08時01分44秒 | 美術・建築・工芸
クルゾーの『天才ピカソの秘密』この映画があることは小林秀雄の『近代絵画 ピカソ』で知ったが、今その映画はCSで上映されている。

随分見たかったが漸く80分そのままを放映している。この映画はフランスでは国宝となっている。

丁度裏番組の日テレで柿右衛門の絵付けを放映していた。
実につまらない絵付けである。線も生きていなければ色彩も死んでいる。
これが日本版人間国宝である。

こういう制度は早く取り払ってしまった方が良い。
伝統工芸に無形文化財などの称号を与え、文部科学省が管理するようなシステムは排除すべきである。手当として年間200万円ほど貰えるのであろうが、レポートも提出しなければならない。

クルゾーの『天才ピカソ』を見ると、やはりその天才ぶりには驚嘆する。天から贈られていた半神である。それに較べ人間国宝などとはしみったれた努力のたまもので国の選定した審査員が決めるだけのものである。

結局、工芸家たちが芸術を損ねることになる。

日本から天才が出現しないにはそれなりの訳があったのだ。

この機会にCS260チャンネルに契約してこの貴重な映像を見るべきである。



ミシュラン覆面たちはどうして濱田家に行ったのか?

2007年11月21日 17時34分06秒 | 社会問題
濱田家がミシュランの三ツ星(★★★)に選ばれて、尚かつ額賀財務罪人が行ったか行かなかったで揺れているが、このような敷居の高い料亭にミシュランの覆面試食家たちがどのように潜り込んでどのように評価したのであろうか?

会食するにも個室であろうから全体の雰囲気は見ることができないように思える。

仲居さんもピンからキリまでいるはずであり、料理も様々であろうから、三ツ星にいきなり決まるというのは相当回数を行かなければならない。

どのような評価方法かはしらないが、額賀財務罪人がほんとうに言ったか言ってないかが、問われるところである。



長谷川京子の将来性 慥かにあるだろう

2007年11月20日 16時07分41秒 | 社会問題

自然に伸びるだろうが、しっかりした男性のサポートが必要である。



しっかりした男性とはサルトルのようなノーベル文学賞を拒否する知性の持ち主である。



 『海峡』を見ようと思ったが、やはり退屈しそうなので辞めることにした。
見るだけの価値はあるだろうか?


最近出演していないようである。エビちゃんが人気である。資生堂のCMでは度肝を抜かれる美人が登場していた。長谷川京子に少し似ているがエビちゃんであった。 08/01/22 10:21





ミシュランが東京だけのガイドブックを出すのは日本を誤解している 食は広州にあり

2007年11月20日 15時59分15秒 | 食文化
日本の食文化は関西である。
京都・大阪を抜きにして食を語れない。

それでも東京には高級料理店が並んでいるのは確かではある。

しかし、京都ののれんのくぐれないような一見さんお断りの店には、
ミシュランの覆面も現れることはないのであろう。

今回は東京だけであるが、関西方面、ついでの全国規模で本当の味とサービスを追求して貰いたい。

若いレストランに欠けるものはサービスである。サービスとは品格である。
もともと皇室のために、貴族がサービスを受け持ったのである。

若いウェートレスやウェイターがにわかサービスを施してもサービスとは言えない。フランスのレストランは年配の12カ国語をものにするようなウェイターが存在する。せめてその程度は日本でもクリアして貰いたいものである。

今回のお勧め
浪川 寛治
婦人画報社(1996-10)
定価 ¥ 1,937



平 晴彦 佐伯 義勝
世界文化社(1998-01)
定価 ¥ 6,300





ミシュラン三つ星レストラン8軒が発表された

2007年11月20日 00時59分26秒 | 食文化
★★★
ミシュラン三つ星レストランに選ばれたのはほとんど知らない店ばかりである。


以前行ったことのある店もあるが、ほとんどは名前も知らない。
フランスでは星を見ながらオリオン座の下にある店は★★★に間違いないと重いながら探し歩いたものである。

ツールダルジャンはシテ等の横手のセーヌ川を渡ったところにある。バトームッシュから見えたかどうかは覚えていないが、バトームッシュのディナーのシャンパンとオマール海老でさえ最高であった。

一つ星のレストランヴォルテールも申し分なかったが、うなぎの竹葉亭が一つ星を獲得するくらいだから、日本のミッシェランは当てにはならないかもしれない。

ソバの翁は★である。

あの沖縄サミットに登場したフランス位置の三浦は品がないから選ばれなかったのであろうか?

帝国ホテルやホテルオオクラ、西武プリンスホテルも名前が上がっていないのか?

いや、ホテルの中のレストランが★を獲得しているかもしれない。

吉兆グループからはお呼びが掛からなかったらしい。

吉野屋も★を逃した。

40万倍に輝いた彗星のように快挙を成し遂げたのはどこであろうか?

暇とお金を持ち合わせている人たちはまずは★★★を目当てに、行列を作るのであろう。

きっとその上にはオリオン座が輝いていることだろう。

尚、疑惑の額賀財務罪人が行ったという濱田家は門構えの立派な料亭で★★★に選ばれている。

朝日記事

○三つ星に選ばれたレストラン(8軒)

・神田(日本料理)

・カンテサンス(現代風フランス料理)

・小十(日本料理)

・ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)

・すきや橋 次郎(日本料理 寿司)

・鮨 水谷(日本料理 寿司)

・濱田家(日本料理)

・ロオジエ(フランス料理)


○二つ星に選ばれたレストラン(25軒)

・石かわ(日本料理)

・一文字(日本料理)

・臼杵ふぐ山田屋(日本料理 ふぐ)

・えさき(日本料理)

・エメ・ヴィベール(フランス料理)

・菊の井(日本料理)

・キュイジーヌ[S] ミッシェル トロワグロ(現代風フランス料理)

・湖月(日本料理)

・さわ田(日本料理 寿司)

・サンパウ(現代風スペイン料理)

・鮨 かねさか(日本料理 寿司)

・醍醐(日本料理)

・拓(日本料理 寿司)

・つきじ 植むら(日本料理)

・つきじ やまもと(日本料理 ふぐ)

・トゥエンティ ワン(フランス料理)

・ピエール・ガニェール(現代風フランス料理)

・菱沼(日本料理)

・福田家(日本料理)

・ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)

・リストランテ ASO(現代風イタリア料理)

・龍吟(現代風日本料理)

・ル・マンジュ・トゥー(現代風フランス料理)

・●家菜(●は厂がんだれに萬)(中華料理)

・和幸(日本料理)


○一つ星に選ばれたレストラン(117軒)

・あさぎ(日本料理 天ぷら)

・味満ん(日本料理 ふぐ)

・阿部(日本料理)

・あら井(日本料理)

・●皮(●は鹿を三つ重ねた字)(ステーキハウス)

・アルジェント ASO(現代風イタリア料理)

・アルバス(フランス料理)

・アロマフレスカ(現代風イタリア料理)

・うを徳(日本料理)

・うかい亭(日本料理 鉄板焼)

・うち山(日本料理)

・海味(日本料理 寿司)

・恵比寿(日本料理 鉄板焼)

・大野(日本料理)

・オオハラ・エ・シーアイイー(フランス料理)

・小笠原伯爵邸(現代風スペイン料理)

・翁(日本料理 そば会席)

・オーグドゥジュール ヌーヴェルエール(フランス料理)

・おざき(日本料理)

・おはらス(フランス料理)

・ガストロノミー フランセーズ タテルヨシノ(現代風フランス料理)

・きくみ(日本料理)

・キャーヴ ひらまつ(フランス料理)

・久兵衛(日本料理 寿司)

・銀座寿司幸本店(日本料理 寿司)

・銀座ラ・トゥール(フランス料理)

・クーカーニョ(現代風フランス料理)

・クチーナ・ヒラタ(イタリア料理)

・クレッセント(フランス料理)

・けやき坂(日本料理 鉄板焼)

・コジト(フランス料理)

・古拙(日本料理 そば会席)

・小室(日本料理)

・近藤(日本料理 天ぷら)

・桜ヶ丘(日本料理)

・櫻川(日本料理)

・笹田(日本料理)

・さざんか(日本料理 鉄板焼き)

・ザ・ジョージアン・クラブ(フランス料理)

・三亀(日本料理)

・シェ・イノ(フランス料理)

・シェ トモ(現代風フランス料理)

・シェ・松尾(フランス料理)

・シグネチャー(現代風フランス料理)

・重よし(日本料理)

・シュマン(現代風フランス料理)

・招福楼(日本料理)

・真(日本料理 寿司)

・すがわら(日本料理)

・すし おおの(日本料理 寿司)

・鮨 さいとう(日本料理 寿司)

・すし匠 齋藤(日本料理 寿司)

・鮨 なかむら(日本料理 寿司)

・すずき(日本料理)

・赤芳亭(日本料理)

・竹やぶ(日本料理 そば会席)

・たつむら(日本料理)

・タテル ヨシノ(現代風フランス料理)

・田はら(日本料理)

・竹葉亭(日本料理 うなぎ)

・チャイナブルー(中華料理)

・中国飯店 富麗華(中華料理)

・トゥールダルジャン(フランス料理)

・とうふ屋うかい(日本料理)

・と村(日本料理)

・とよだ(日本料理)

・ドン・ナチュール(ステーキハウス)

・中嶋(日本料理)

・なだ万 山茶花荘(日本料理)

・なだ万 ホテルニューオータニ店(日本料理)

・ナルカミ(フランス料理)

・花山椒(日本料理)

・青空(日本料理 寿司)

・万歴龍呼堂(日本料理)

・ピアット スズキ(イタリア料理)

・樋口(日本料理)

・ひのきざか(日本料理)

・ひらまつ(フランス料理)

・ひろ作(日本料理)

・深町(日本料理 天ぷら)

・福樹(日本料理)

・ブノワ(現代風フランス料理)

・ベージュ(現代風フランス料理)

・まき村(日本料理)

・未能一(日本料理)

・ミラヴィル(フランス料理)

・六雁(現代風日本料理)

・室井(日本料理)

・メゾン・ド・ウメモト 上海(中華料理)

・メゾン ポール ボキューズ(フランス料理)

・モナリザ(フランス料理)

・桃の木(中華料理)

・森本 XEX(日本料理 鉄板焼き)

・山さき(日本料理)

・やま祢(日本料理 ふぐ)

・有季銚(日本料理)

・ゆう田(日本料理 寿司)

・幸村(日本料理)

・よこ田(日本料理 天ぷら)

・与太呂(日本料理 天ぷら)

・よねむら(現代風日本料理)

・よねやま(日本料理)

・ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)

・ラ・トゥーエル(フランス料理)

・ラノー・ドール(フランス料理)

・ラ プリムラ(現代風イタリア料理)

・ラ・ボンバンス(現代風日本料理)

・ラリアンス(現代風フランス料理)

・ランベリー(現代風フランス料理)

・リストランテ濱崎(現代風イタリア料理)

・リストランテ ホンダ(現代風イタリア料理)

・ル・シズィエム・サンス(現代風フランス料理)

・ル・ジュー・ドゥ・ラシエット(現代風フランス料理)

・レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ(現代風フランス料理)

・レザンファン ギャテ(フランス料理)

・レ セゾン(フランス料理)

・分とく山(日本料理)





日本相撲の土俵の欠点

2007年11月19日 01時48分59秒 | 社会問題
相撲の土俵は格闘技のロープなどがない分、場外に倒れ込むことが避けられない。また、土俵は丸でも外枠は四角で囲っていて四隅は少し面積があるが、る円と四角の接点のところは直ぐさま土俵から落下する。

落下すると審判、力士、觀客が目の前で見ている。こういう場外へ出ることを相撲のルールの一部としながら場外即落下となっているのは危険きわまりない。

相撲取りがケガが多いのはこういう点にも出ている。
いや、これほど危険なルールをみすみす許している日本の伝統精神とはかなり危険なものがある。

戦争に出ても捕虜になるな、敵に捉えられたら自決しろ、食糧は現地調達、鉄砲の弾も火薬も与えられないで現地に赴くというのは自殺行為である。

そういう伝統は至る所にある。このような伝統では人間辛抱が感じであるということだけ前面に出て、肝心の強さは殺がれてしまうのである。