正月早々豪勢な話である。
財閥が競い合って作った大別荘、多くの人はこの場所を知らない。
京都では琵琶湖疎水が至る所に流れている。私が良く歩いたところは、銀閣寺界わいの散歩道で「哲学の道」と言われるところである。哲学者西田幾多郎が京大へ通うための思索の道であった。
ドイツハイデルベルクのネッカ川を見下ろせる小高い丘の道も「哲学者の道」と名付けられている。もちろんこのハイデルベルクの「哲学者の道」を日本流に拝借したのである。ハイデルベルク大学には数々の有名な学者がやってきたりあるいは卒業したりしていた。レストラン「赤い牛」では思索に疲れた大学者がジョッキを傾けていたという。湯川秀樹もその一人だが、アインシュタインもやってきた。日本の哲学を最初にリードした「ケーベル博士」もここで学んだ。余談だが、「文閣士」という中国レストランでドイツ系と中国系の娘エリザベートと恋に落ちたのもこのハイデルベルクの場所であった。
野村は他の財閥から遅れていた。住友・三井・三菱などは鉱山事業を賄っていたが、野村が開発に参加したのは北海道のイトムカ鉱山である。水銀中毒で多くの人が苦しんだという。作業には毒マスクが必要であった。これで財閥としても旧財閥と肩を並べることができた。
イトムカ鉱山wiki
イトムカ鉱山(イトムカこうざん)は、北海道網走支庁管内常呂郡留辺蘂町(現・北見市留辺蘂町)にあった鉱山のことである。良質な水銀が採掘できる鉱山であった。ちなみにイトムカとはアイヌ語で「光輝く水」の意味。
yahooテレビ
京都・南禅寺界隈 山紫水明のユートピア
1月2日(土)総合 午前7:20~8:15
年間5000万人もの観光客が訪れる京都にあって、ガイドマップに一切載らず、ひっそりとたたずむ別天地がある。南禅寺界隈の別荘群。明治維新で召し上げられた9万坪もの広大な南禅寺の敷地を、明治から大正時代にかけて勃興した政財界の大物が買い求め、持てる財力と美意識の全てを注ぎ込み、競い合いながら作り上げた極上の空間が12件、今にそのまま残されている。
明治の元勲・山縣有朋、元大名の細川家、住友や野村財閥、そして経営の神様・松下幸之助。彼らは、新しく作られた琵琶湖疎水の豊富な水を引いて広大な庭園を造り、最高の木材を集めて数寄屋大工の技を存分に発揮させ、急速に失われゆく日本の美を、個性豊かにこの地に結実させたのだ。
今まで未公開とされてきた、“京都最後の秘境”である南禅寺界隈の別荘群に初めて本格的にカメラが入る。秋の夜の名月、紅葉など季節の彩りもあでやかに、究極の日本美の空間を味わい尽くす。
琵琶湖疎水
塚本邸(織宝苑・清流亭)、野村碧雲荘、有芳園
(碧雲荘→野村證券、有芳園→住友、真々庵→松下電器、織宝苑→龍村美術織物など)。
平安神宮神苑、円山公園、無鄰庵、洛翠荘は拝見することができる。円山公園以外は有料、洛翠荘は「ゆうりぞうと京都・洛翠」(郵政省共済組合宿泊施設)として営業している。*時折状況が変わるので、訪問時には各自ご確認下さい。
イトムカ鉱山も詳しく解説してある
佐野 眞一
筑摩書房
売り上げランキング: 431722
おすすめ度の平均:
見たくない"静脈"を顕在化させることが急務
環境問題読本