yahoo産経新聞
長妻厚労相が「漢方保険外」に異議
11月29日17時8分配信 産経新聞
長妻昭厚生労働相は29日、政府の行政刷新会議の事業仕分けで医療用漢方薬を公的医療保険の適用外とする方向性が出たことについて「(仕分け結果を)そのまま受け入れることはなかなか難しい」と述べ、漢方薬の保険適用外に反対する姿勢を示した。都内で記者団の質問に答えた。
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長妻氏は、厚労省関係の事業仕分け結果に対し「かなりの部分を受け入れ、廃止する事業は廃止し、削減する予算を削減する」とする一方、「譲れない部分もあるので、そこはきちんとデータを付けて説明する」と強調。漢方薬については「市販のものを買って保険から外しなさいという指摘もあるが、かなり問題がある」と、事業仕分けで保険外化を求められた湿布やうがい薬などとは別扱いとする考えを示した。
事業仕分けでは、財務省の論点ペーパーに沿った形で、薬局で市販されている薬(市販類似薬)は「保険外」とする判定が出た。市販類似薬の範囲については「十分な議論が必要」と結論を先送りしたが、漢方薬は、保険外となれば医療機関で処方することが難しくなるため、学会や製薬業界などから保険外化に反対する声が相次いでいる。
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・ 「漢方除外」に4万人反対! 東洋医学会が署名提出
最終更新:11月29日18時23分
(産経新聞) 11月29日17時 8分
漢方というのはぴたりと効くことが往々にしてある。
病院を選ぶ場合は漢方薬を出すかどうかで選ぶ人もいるほどである。
漢方薬はほぼ生薬である。
化学薬品ではないため臨床での効果はかなりはっきりとしているのである。
西洋かぶれの明治の新政府は東洋医学を医学からはずしたが、またも同じようなことをやり出した。
漢方薬が保険適用されたのは橋本龍太郎が厚生大臣をやっていた頃だと思う。
なんでもツムラの社長と同級生だった縁で漢方薬を健康保険制度の中に取り入れたと言われている。
この業績は大変結構な事である。
漢方薬製薬会社への官僚たちの天下りが少ないのかもしれない。
新薬研究の大手製薬会社のような甘い汁を官僚たちが教授できないということ尚かつ生薬ブームで化学メーカーの薬品に打撃を及ぼしているという現状から、このような姑息な手段に出ているのではなかろうか。
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長妻厚労相が「漢方保険外」に異議
11月29日17時8分配信 産経新聞
長妻昭厚生労働相は29日、政府の行政刷新会議の事業仕分けで医療用漢方薬を公的医療保険の適用外とする方向性が出たことについて「(仕分け結果を)そのまま受け入れることはなかなか難しい」と述べ、漢方薬の保険適用外に反対する姿勢を示した。都内で記者団の質問に答えた。
長妻氏は、厚労省関係の事業仕分け結果に対し「かなりの部分を受け入れ、廃止する事業は廃止し、削減する予算を削減する」とする一方、「譲れない部分もあるので、そこはきちんとデータを付けて説明する」と強調。漢方薬については「市販のものを買って保険から外しなさいという指摘もあるが、かなり問題がある」と、事業仕分けで保険外化を求められた湿布やうがい薬などとは別扱いとする考えを示した。
事業仕分けでは、財務省の論点ペーパーに沿った形で、薬局で市販されている薬(市販類似薬)は「保険外」とする判定が出た。市販類似薬の範囲については「十分な議論が必要」と結論を先送りしたが、漢方薬は、保険外となれば医療機関で処方することが難しくなるため、学会や製薬業界などから保険外化に反対する声が相次いでいる。
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技術は人間を立派にすることは少ないようである。
研究という名目で一人20万円以上を貰えるらしい。
研究員の持っている書籍はあまり多くもない。
わたしのが科学分野の書籍だけでもかなりある。
天体望遠鏡は3台あった。
光学望遠鏡も3台あった。
企業で働きながら研究することも可能である。
じっさいアインシュタインは特許局で仕事をしながら相対性理論を考えたのである。
いまの学者たちは試行錯誤をやりながら、他の研究者も同じようにやっていることを、どれだけ多くの実験をやりこなして発見をするかなどをやるから、金が掛かってしょうがない。
科学の分野ではスパイ活動も活動費の内に入っている。
そして攪乱や捏造や妬みや、襲撃や嫌がらせは日常茶飯事である。
はっきり言って科学の名さえ呈すれば何でもやれ、幾らでも金は貰えると思っているのである。
日本の研究者で海外の研究室に入って、何か役に立つ人間というのは反ダースもいないであろう。
今の宇宙飛行士も運動選手みたいなもので、アポロ計画の宇宙飛行士は米軍のテストパイロットが多かったのである。
大学の卒業式近くになると、使える走査型電子顕微鏡なども捨ててあるという。
光学顕微鏡の調子の良いものなどは、ごろごろしているらしい。
工学部の庭にはオシロスコープなどは山積みしているのである。
そうしないと予算が確保できないというから、ありがたいシステムである。
文系などは予算などというものが最初から成立しないのである。
今や文系は学部そのものが廃止の状態で、哲学科などのある大学は数えるほどしかない。
ちなみに大学生に哲学の意味を効いても、鉄額という答えが返ってくる。ハガキを入れるフレーム程度にしか考えていない。
理科離れの世の中で、新しい発見などもほとんど夢のような話になったが、新しい発見は人間にそれほど役に立つとは限らないのである。
ガンにしてもガンそのものが無くなると我々の存在が危うくなるというところまで分かってきたようである。
ガンの研究が進むに従って、ガンの死亡率がもっとも高くなっているということは、どう説明するのであろうか?
普通ならガンの研究と共にガンが少なくなると考えてよいのでは無かろうか?
莫大な予算を掛けて癌研究が行われ、ノーベル賞を貰った学者も沢山いるが、結局治療方法は苦しみの延命治療があるだけで金ばかり掛かり病院は儲かるようになっている。
並みの研究者は企業でも採用しない。そういう研究者はクレーン免許でも取って、ムーブメントの研究でもしていればよいような気がする。
森繁久彌が文化勲章を貰うようになると、菅原文太もその内貰えるだろうと思っていると、高倉健が文化功労者賞に選ばれた。受賞時の言葉が「死んで貰います!」さすがである。
かなり以前ラジオで聞いた話であるが、森繁久彌はヨットに女の子を誘うそうである。
沖でゆらゆらヨットを流していると、すでに女子たちは貞操観念を失い(もともと無かったのだろう)、簡単に裸になり、陰部をさらけ出したらしい。 たぶんその女の子たちは普段TVや映画にも出演していた有名人であったかもしれない。
女の子たちと遊ぶためにヨットを所有していたのか、はっきりしたところは私はしらない。 文化勲章も地べたを匐い続けているが、先に貰った芸術家たちも実はほとんど同じクラスなのである。そもそも文化に勲章などもらうと碌な事がない。セクハラ親爺ということは有名なばあちゃんたちも証明してくれている。
もちろんごく一部の旧制高校あたりで勉強をしてきた人たちは馬鹿ばかりとはいえないだろうが、それでも大戦争をやってきたのは彼らである。
思考能力が高くとも思考そのものの質が低かったのである。
あれから40年? いや、40年の2倍の年月が経過しているだろうが、人間はさらにアホかしていることは確かである。
人間の特徴である言語能力がますます衰えている。
昨日のクローズアップ現代では、日本の作家選手がかなりアホばかりで言語による伝達能力が海外の選手に比べると猿と比べた方が早いというような内容だった。
携帯電話は電話をするためにあるという常識が世界的であるのに対して、日本ではメールをするための道具である。しかもほとんどは象形文字か絵文字・顔文字でやりとりするから超宇宙的である。まさに地に足が付いていない言語能力でボールを蹴っているから中々ゴールできない状態である。
言語の重要性というのが教える現場でもピンと来ていないようである。
メールは一種の手紙であろうが、その能力を鍛えたければ書簡集を読むのが一番である。
明治以前のものは読めないであろうから、漱石・?外・芥川などを読むとよいだろう。もっと単純なものなら志賀直哉の書簡集がよい。藤村は入手しずらくなっているから、太宰治なども読んでみるとよい。
そうしないと君たちのお腹から本当の猿が出てくることになってしまう。
わたしの知り合いにはその兆候が出て来ていた。気の毒にお尻から尻尾が生えているのである。
朝だった、なんとなくラジオ第2に回した。
最近TV番組がアホらしくてほとんど見なくなった。
ラジオも聴きたくない。何よりも民放のラジオは受信しない。FVなどは全く入らない。
車では入るのだが、部屋のなかでは駄目である。ワンセグも駄目、とにかく20年前から今日まで同じである。中継の電波塔くらい建ててもらいたいものである。陸の孤島である。
それでもNHKの第1と第2は聴くことができる。そして途中から世界の芸術の動向の話を聞いてしまったのである。
芸術も本質を目指すのではなく、一種のエンターテイメントを目指すショーになってしまった。
その辺の事情はこの森美術館館長が詳しい。名前は初めて知った。
森美術館館長交代
森美術館館長経歴
フィルズ賞辞退などという突飛もない行動は日本のノーベル賞学者には理解できないであろう。私にも理解できない。
今はどうして暮らしているかは謎であるが、研究費がもともと少ないロシアの片田舎の中で誰も発想しなかった回答方法を見いだし、見事ポアンカレ予想は解決されたという。
本当かどうかはもちろん私にはわからない。ポークカレーが旨く煮込めたということはしばしば起こるが、彼は母親の年金で暮らしているという。
年金は一人で生活するにしても不足しがちであろうが、それにぶら下がる数学を考え出したのかもしれない。
いやいや本当のところはきのこ狩りをして、素数の数ほど新しいきのこを発見しているのかもしれない。
予算がどうのこうのと騒いでいる時間はないようである。
細菌の採取のために世界中の土壌からバクテリアなどを採取してくるが、それらがある環境の元や実験の途上において突然変異を来す場合がある。バクテリアだけではなくウィルスの研究によっては取り返しの付かない新種を生み出すことがあるという。
耐性菌もそれらの結果から算出される場合も少なくないのである。
エイズ菌は人工の研究室で生み出されたとも言われるし、SARSはまさに人為的な変化からもたらされたものである。
科学と軍事は密接に結びつき、スパコンと軍事は切っても切れない関係にある。
高度情報化社会とハイテク社会では人間が二分化されていくのは当然である。
最先端の技術を駆使したマシーンはその操作も煩雑になり、複雑なメカニズムの中で使用目的が多様化する。
何万という部品を作ると言うことは作業も細分化され、同じものをより安価に生産しなければならない。価格はネットで公表されるため世界の中でもっとも安いところへ注文が流れる。
デフレ傾向に世界中が陥るのはインターネットのデフレ効果なのである。安く買い続けると、高くは売れない。そうすると賃金も上がらなくなる。ただスピードはどんどん上がり続けるから、より速い処理が求められ、できるだけ安いものを購入しようとする。
つまり高度な技術を提供できる人間と、より安く部品提供し、賃金もより安く働き得る人間が必要になってくる。
インターネットは価格競争を加速させる方向に進むための絶大な力である。
コンピュータの計算原理は0(-)と1(+)の電圧の差でしかない。
つまり、振り分けていくという計算方法がもっとも得意とするところである。
価格の安いものをだれでも欲しがる。工場製品の品質はほとんど99%以上になっている。
人間なら限度を考えるがコンピュータは人間社会というものは理解できない。
スパコンが計算するものは無生命であり、そこには慈悲などはない。
軍事で人を殺すことと、医学で人を救うことと同じ意味を持っている。
なぜ先進国で自殺者が増え続け、失業者が増え続けているのか、高度な科学的研究は常にこういう危険をはらんでいる。なぜならトライアンドエラーは無思考のたんなる労働であるからである。
それは軍事と医学はイコールという考えでしかないのである。
最先端と失業と自殺者は別段区別するものではないのである。
人間が介入しない限り、より異常な社会に入って行くであろう。
それにはどうすればよいかというと、文学を反映させることである。
聖書でも言われるように、始めに言葉(文学)ありきである。
自分が立派になることはあらゆる面での供養になるし、完全な仇を討ったことにつながる。
かえって怨恨は手向ける花にもならない。
自分が立派にならないでは仇を討ったことにはならない。
これは一番残念な事である。
いまの科学者たちは直感ではなく、試行錯誤であれもやりこれもやり、様々な実験を行う。そのために何百億円も費用が価格のである。
アインシュタインなどは特許局に勤めながら、特殊相対性理論や光電子効果を発見した。別段、研究のために予算を寄こせなどとは言っていない。
まさに科学は必ずしも金がかかるものではない。金がなければ研究は出来ないという甘えが先にあり、つまり金を掛けて研究したものでないとノーベル賞が貰えないとでも考えているのであろうか?
何かノーベル賞が普遍的なすばらしい賞のように考えているようだが、それも甘えではないだろうか?
トルストイでさえそのような賞の対象にもなっていない。
われわれはそんな賞とは関わらずりっぱな人間を捜すようにしなければならない。
田中耕一も随分汚い顔になってきたが、野依氏なども瓢箪から駒が出てきたような顔をしているが、不斉分子というのもかなり自然を逸脱した研究結果である。それらが自然界にどのようないたずらをするかもしれない。
科学は必ずある確率で人間や自然界に対して猛毒を流す。できな猛毒が元にもどせずに禁錮に保管するようなことになる。原発の使用済み燃料にしても、どこにも捨て場がなく、困惑の途上にある。
学問は科学だけではない。科学といっても多種多様な分野があり、数学も科学のお仲間であろう。ものによってはスパコンで計算する学者もいるが、フェルマーの大定理は筆算で解決したのである。最終段階の原稿を書くくらいにしかパソコンを使っていないのである。
至る所で経費は使い切るために使える機械を廃棄し、新しい機械を購入したりしているが、とにかく予算は貰っておかないと来年度の予算が確保できないという不埒な考えが先行しているのである。
せっかく予算を貰っても捏造論文が増え、先走りする研究結果はどれもこれもゾンビに近いものばかりである。ノーベル賞の対象になった研究結果でさえ、その後何か生み出されているかと言えば、ほとんどそのようなこともなく、後々ノーベル賞の成果は間違いであったということもしばしば起こっているのである。
もちろん先見の明がある学者たちは海外の研究所へ行き、研究をするであろう。
競争というのは常に金メダルを取り続けることは困難である。スパコンや科学の成果が世界一であるということは日本では無理なのである。半導体の製造でさえ日本は世界をリードしてはいないし、コンピュータの基盤を配線のためのソフトはイギリス制だというし、電子回路の設計、薬品の設計などに使うソフトも日本製ではないのである。
アポロやソユーズを飛ばしたときの計算機レベルで宇宙ステーションを作り上げることも出来れば、水爆を作ることもできる。実際そうしてきたのであるし、スペースシャトルも今日のスパコンで開発したのではない。中国でさえ有人宇宙ロケットを飛ばし、人工衛星を迎撃する実験に成功しているが、日本は撃墜すると言っておきながら北朝鮮のミサイルを通過させたばかりではなく、誤報だらけの情報であたふたしていたのである。
世界一のスーパーコンピュータを作らなければならない意味が良く分からない。
つまり日本は肝心要のソフトレベルがマッカーサー元帥がいうところの12歳の子供である。こどもにショットガンを渡した親が子供に射殺された事件があったが、こどもは道具の使い方を良く分かっていないのである。
無限の宇宙を計算するにはどのように速い計算能力もけっして速いとは言えないであろうし、とにかく日本の宇宙飛行士たちも国の税金でアメリカを支援しているからスペースシャトルのも乗せて貰えるのである。そういう資金は表面には出ないが、最低でも2兆円を超えているのである。日本は経済力がアメリカに次いで世界3位になろうとしているが、都会の住処の多くは1kのワンルームが多く、1日600円内の外食か、300円の自炊生活を強いられている。
科学の名の下に金をふんだくるのは詐欺師たちがよく使う論法である。自民党はそういう詐欺師たちを抱き込んで再選を狙っているが、豊かなバブルの時代でさえ自民党は研究費の予算を削ってきたのである。それはアメリカが困るからである。坂村健氏のトロン(現在、組込型コンピューターの基本ソフトとしては、世界最大の市場占有率を保持している。)アメリカの圧力で摩擦されてしまった。マイクロソフトを売り込むためにはあまりに安価で完全性に近い(ソフトは1年あまりで書き上げた)もののため、葬り去られたのである。葬ったのは自民党であった。池田信夫などは経済産業研究所にいる間にもトロンの悪口ばかり書いていた。しかし、トロンは蘇ったのである。トロンを使ってのユビキタス計画が進行中であるが、何でも行き過ぎは危険である。
また、高度医療が実際的な医療現場に複雑な構造を生み出し、経営不振、看護婦たちへの過度な負担、知識や技術不足、医療器械に振り回され、機械の操作ができない医師たちも医療現場からどんどん離れて行く、現実があるのである。つまり日本は旧態然とした教育で真剣に新しい動きに対応していないのである。教える方も知識不足のため教えようがない。
大学でも専門学校でも教師が分からないで教壇に立っているのが現状である。
あらゆる分野であるところまで来ると収縮する方向へ向かう。
経済の現象が収縮しだしていることの現実を見れば分かるが、ターニングポイントについては30年以上前からカプラなどが提唱している。
借金地獄は何をもたらすか?
50兆円の赤字国債の持つ意味は恐ろしい。
用であるところの科学技術を優先させても世界一になるどころか、単なる技術は抜かれるだけで、主導者的な立場をとることはできない。
技術をいかに使うかという事が思想に基づいているのであるが、今の国立大学の学長たちはあまりご存じない。
金を持っているだけでは尊敬されない。巨万の富を得たものたちは、金を有効に使うために慈善事業を行う。
その中でもっとも成功したのがノーベルである。ダイナマイトや戦争で大もうけをし、さらに油田にまで手を出していたノーベルは、さんざん儲けた金を子孫に残さずにノーベル賞というものに化けさせた。ノーベル賞の中でももっとも注意を引いてきたのは文学賞である。いまでは無くなってしまった哲学も含まれていたのである。なお、当時の科学者たちはノーベルよりも有名であったため、儲けたのはノーベルの方であった。
今は学者たちは小者ばかりでノーベル賞にぶら下がって始めて存在感を増しているに過ぎない。