8年前に父を亡くしたのだが、わずか入院1ヶ月ではあったとはいえ勤務地と離れていたこともあって、宿直当番も毎晩とは行かず、家族には迷惑をかけた。そのことに絡んで今も後悔していることがある。ひとつは、尿管に問題があり尿管カテーテルが入らずオムツを強制したこと、もうひとつは中心静脈栄養の輸液チューブを外してしまうので身体拘束に同意してしまったこと。とくに後者では、そのことを決断したので、父には最期まで口を聞いてもらえなかった。いずれも、その時の判断としては、やむを得ないことだったからだが、可愛そうなことをしたと、今でも心に傷を負った思いだ。どうすればよかったのだろうと。
本書は、医療者(医療関係の従事者で医者や看護婦を含み幅広い領域の人々が含まれる)が医療に関わる現場で当面する問題についてインタビューを行い文化人類学的考察を加えたものである。人類学者の視点や人類学のあつかう呪術と科学の類似性や人々との共感について結論はださずに問題の所在がどこにあるか指摘を行っている。
私の個人的な悩みの背景には医療システムのもつ根本的な課題が含まれていることがわかる。父はかなり高齢(96歳)の上、重篤な肺炎であったから、治癒できるのかそれとも、見守りに入るべきステージなのか、境界線にあったので、治療を目指す医療システムがどのような機能を果たすか、医療者ももちろん家族も悩ましい状況に置かれていたことは確かである。医者は、入院早々「このまま退院できるとは期待しないほうが良い」という言い方で症状が重篤であることを伝えていた。
一方、医療システムとしては、完全看護をうたっている病院であるので当初は病室への宿泊はご遠慮願いたいといっていた。ところが、せん妄状態が起こったことをきっかけに、家族が夜勤するようにと態度を変える。これは、看護師あたりの患者数が夜勤時には多くなるという病院の都合もあっただろう。要は、父は常時監視を必要とする患者であったということだった。家族は約1ヶ月の臨戦態勢に入った。
私たちは父の死後数ヶ月してふたたび家族は同じような経験をする。母が黄疸と診断され、入院することになったのだ。病室に入って数時間したとき、吐瀉物か何かを喉につまらせたらしく、呼吸停止しアラームが鳴って、看護師たちは一気に臨戦態勢に入った。私はその入院の際には勤務地にいて妹が立ち会っていたのだが、父のこともあったので、医師には延命治療は行わないと伝えていた。しかし、看護師たちには情報が伝わっていなかったようで緊急救急救命といったステージに入り、人工呼吸器などのチューブやケーブルに繋がれてしまった。一端このステージにはいると、外すわけにはいかないという。私が到着したのは、そんな状況が一段落した頃だったが、すでに意識はなかった。母の場合は相当クリティカルであったのか、その夜のうちに息を引き取った。入院が24時間に満たないというあっけない最期だった。
本書を読んでいると、両親の入院時のこと、入院前の自宅でのヘルパーさんのこと、長男の私の勤務地からはどうしても3時間ほどの移動時間を必要としたので近所に住む妹に頼り切っていた生前のことなども色々思い出されてきた。あのとき、どう判断すればよかったか、いや、できなかっただろうなどとも。医療システムについて改めて考えさせられるとともに、当事者であれば決断が難しく、また、医療者としての判断も極めて難しい状況があることがわかった。