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South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
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肉味噌田楽、ほうれん草のおしたし、枝豆

肉味噌田楽:冷蔵庫に常備の昆布水で昆布出汁。ここに、大根、皮付きレンコン、一口に切って加えて加熱。あらかた火が通ったところで里芋とこんにゃくを加えて出来上がり。生姜みじん切りと白ネギざく切りを炒め、合挽きミンチを加えてよくほぐしながら火を通し、自家製味噌(江南から来た)と白味噌を日本酒で溶いたものをくわえて、赤唐辛子を加える
ほうれん草のおしたし:湯がいたほうれん草に鰹節をかけて、田楽とともに
枝豆

2018-09-20 21:19:35 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』

奥野克己、2018、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』、亜紀書房

20代の最後に過ごしたミクロネシアでは、たくさんのお母さんにかこまれ幸せそうに暮らす子どもたち、男の子は適齢期になると家をでて結婚し、婿になって婚家でつくすことが義務とされ昼と夜に男たちだけで酒を飲み交わしては、まるで寅さんのように「男はつらいよ」という男たちを見た。子どもたちは母の子であり、母の男キョウダイがなにかと面倒を見てくれる。一方、男は自分の実の子は妻の子であり、愛情を注ぐのは女キョウダイの子ども、つまりはオイやメイであり、自分の持つ知識や財産は実の子ではなく、オイやメイに贈ることが当然視される。 

ある日、島の人達7−8人で近くの無人島にウミガメを撮りに出かけた。卵とウミガメをとり他にヤシガニもとった。翌日、島に帰る途中、嵐に出くわしてしまった。あいにく腹を壊してエンジンをかこっている箱に腹をつけて動けなくいたのだが、船に襲いかかる波はとんでもなく大きく船を翻弄した。怖いとか腹が痛いという思いはどこかに薄らぎ、死を覚悟した。島の人びとのうちのリーダー格のオトコが嵐の中、舳先まで行ってお祈りを始めた。嵐よ静まってくれ、何度も何度も手を上げ、印を結ぶような仕草をした。しばらく船は大波に揉まれていたが、やがて収まり陽がさしてきた。素晴らしい、呪文が効いた。

ある晩、この島でのチチがわたしを厳しく叱った。天候のことは話してはならない。天候のことを告げることができるのはわたしだけだと。島は赤道近くの北側にあったので、風は東から西に向かって吹くことが多く、天気は東から西に変わっていた。だから、何の気なしに、今日は天気が変わりそうだね、などと話しかけていたのだ。島の人びとの反応がまったくなかったので、そのあたりで気がつくべきだった。チチは天候の知識の司祭であって、彼が毎朝、男たちの出漁を判断していたのだった。私は、無知にもそのことを知らなかった。ひたすらごめんなさいと謝った。しかし許してくれなかった。売り言葉買い言葉になって、次の船で島を出ると言ってしまった。これでフィールドワークはおわりだとその夜は泣けて仕方がなかった。しかし、翌朝、毎朝ひと鍋の給食を持ってきてくれる女の子がプルメリアの頭飾りを載せてくれて、「島のみんなは昨夜の喧嘩を聞いて知っていたよ。でも、みんなはあなたがいてくれていいと言っている。あなたのチチもわかってくれている」、と言ってくれ、また再び大泣きしたのだった。

30代で過ごしたオーストラリア北部では、わたしをムスコと呼んだオトコに付きまとわれた(付きまとわれたと考えたのはわたしであって、オトコはなにか迷惑をかけようと付きまとったわけではなくかれらの行動倫理に従っただけである)。「ムスコよ!腹が減ったぞ!」。ムスコと呼ばれたわたしは、しょうがないなあ、と思いながら、さっきスーパーで買ったばかりの食パンをチチにわたした。「コンビーフがあるといいのだが」。はいはい、ここにあります、とこれまた買ったばかりの缶詰を開けて渡す。チチは満足げに食べた。翌朝、起きると扉の外にすでにチチが座っていて、「ムスコよ、紅茶が飲みたい」。ごめんなさい、紅茶がないのでコーヒーでもいいですか、というと、「そうか」と言って、どこかに行ってしまった。近くの家に行ってきっと「紅茶が飲みたい」というのである。わたしは、このチチのように誰かに頼んで自分の不足を補うということが一度もできなかった。かれらの社会では相互扶助は当たり前の行動なので、お腹が減ったとか、のどが渇いたとか、お前のそれをくれと持ち物を指さしても構わない。余裕があれば分けてくれるし、余裕がなければ分けてくれないだけである。負担に感じるものではないのだ。

この出来事は、始まりに過ぎなかった。数週間の滞在中、チチに付きまとわれ続けた。とはいえ、フィールドワークとしてのメリットも大きかった。初めて入ったコミュニティだったのに、チチはわたしを連れて、街中を歩き、親戚たちに紹介し回った。その際、親族名称を使う。おかげで人の名前と親族名称の体系が思わず知らず入手できることができた。かれらは、ロイド・ウォーナーやクロード・レヴィ=ストロースのいう「ムルンギン」の人びとだったから、このメリットは大きかった。

程なく、わたしは、アボリジニの呼び名を2つもらうことになった。なぜ、ふたつかというと、彼らは人が死ぬと死者の名前を呼ばなくなるだけでなく音の響きが似ている名前を忌避してしまうので、人びとの名前は頻繁に変わるというか、忌明けまで違う名前で過ごすことになる。死者について言及しなければならなくなれば、オールドマンとかザットマンとか別の呼び方をする。ふたつ名前をくれたのは、スペアの名前だからとっておけ、ということだった。

女キョウダイは忌避関係にあり、名前を呼んではならず、親族名称を使う。とはいえ、直接話しかけることはタブーである。だから、直ぐ側に座っているにもかかわらず、別の人に、わたしの女キョウダイにこれこれについて言ってくれなど、珍妙な会話となる。また、タバコなどを直接手渡してはならない。もちろん、そのときはかの女はわたしにタバコがほしいなどとは言ってはいけないので、隣りに座っている別の人物に自分の男キョウダイに言ってくれという声を聞いて、慌ててタバコを取り出してはならず、媒介者の言葉を聞いて、タバコを媒介者にわたしの女キョウダイにわたしてくれとわたすのであった。

本書を読むにつれ、以上のようなことが繰り返し思い出された(ほかにもたくさんあった)。本書の表題も、まさにそのひとつである。とりあえずは、ムルンギンの人びとの「マイマック」という言葉は、「ありがとう」という具合に翻訳してもよいが、「よい(good)」という意味である。したがって、本書の主人公のプナンの人びとと一緒なのだ。つまりは、「良いふるまい」である、ということなのだ。

腹が減ったの件は、持っている者が持っていない者に持ち物を渡すのが当然と考えるのが彼らの行動原理であって、だから、たとえ持っていても、持っていないといえば、要求した者はその場を去ってくれるのである。ただ、嘘を付くことになるという別の、心の負担を被ることを覚悟しなければいけない。だから、嘘を付きたくないからいつもチチのために食べ物を用意する。不定期に開くスーパーで買い物を欠かさず、ストックを常に心がけた。しかし、この行動は農民のそれ、つまりは、次の収穫期までの間、食いつなぐためにストックを常に持とうとするそれに違いない。自分は農民のメンタリティを持っているなどとは思ってもいなかった。彼らのように、カンガルーを食べ尽くし、腹が減ったらハンティングに出るという行動が、現金経済の中でも生きていて、2週間に一回の給料日や福祉金の支給日となる隔週の金曜日には、小切手を持って、カートいっぱいに食べ物などを買って、全て使い尽くすという行動に直結していることにも気が付かされた。現金がなくなると、誰か、まだ余しているひとにくれというか、ハンティングに行けばいいのだ。潔いといえばそうなのだが、滞在中持っていた現金を日割りして、買い物をしていた自分は実に惨めに思えた。しかし・・・、彼らのような行動はできなかった。ましてや、腹が減ったなどとは、口が裂けても言えない(言いたくないではなく、言えない・・・)とおもった。

著者の支持する存在論的転回をへた人類学におおいに共感するものである。自分のフィールド経験をもう一度考え直してみたいと、大変刺激をうけた。

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと
奥野克己
亜紀書房

2018-09-20 16:15:09 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『野生めぐり: 列島神話の源流に触れる12の旅』

石倉敏明・田附勝、2015、『野生めぐり: 列島神話の源流に触れる12の旅』、淡交社

Google Mapsで検索しながら旅先を俯瞰しながら読んだ。知らない場所や話もたくさんあって、勉強になった。

野生めぐり: 列島神話の源流に触れる12の旅
石倉敏明・田附勝
淡交社

2018-09-20 12:43:13 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『ノモレ』

国分拓、2018、『ノモレ』、新潮社

2017年12月6日号の”The New Yorker”において、Ceridwen Dave氏は"The Mapping of Massacres : In Australia, historians and artists have turned to cartography to record the widespread killing of Indigenous people."と題して、オーストラリアの歴史家(Lyndall Ryan)とアーティスト(Judy Watson)が発表した1788年から1930年にかけて行われたという、オーストラリアの中部から東部にかけての先住民に対する殺害事件の時期と場所を地図上に表すというプロジェクトをレポートしている。紹介されているのはオーストラリアの歴史家Lyndall Ryanのプロジェクト「Colonial Frontier Massacres in Central and Eastern Australia 1788-1930」である。
この事例を引くまでもなく、ファーストコンタクトから現在に至るまで、先住民たちは植民者たちとの様々な葛藤(殺害を含む)を経験した。先にデイヴィッド・グランの『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』(早川書房)でもアメリカ先住民の事例を紹介したところだ。

さて、本書である。「ノモレ」とはペルー・アマゾン地域に居住する元イゾラド(非接触先住民)のイネ族の言葉で「仲間」を意味する。冒頭、100年前の物語が記される。それは、100年前にこの地に入り込んだゴム樹から生ゴムを採取するために先住民を駆り立て労働搾取していた農園主を殺害したイネ族の男たちが逃げ出す途中、二手に分かれた。一方は、脱出に成功して文明社会と接触し生活するようになっていたが、世代を重ねてその伝承を受け継ぎ、ついには、「仲間」を探して再びアマゾン奥地に入り込み、言葉の通じる部族名不明の裸族と接触するのだ。本書はこの物語のあと、若手の村長「ロメウ」が先代から伝え聞いている「仲間」と思われる複数のグループとの接触を続けようとする物語が、文明との未接触先住民とのコンタクトが南米社会の大きな課題となっていることを紹介するとともに展開されていく。

「文明との未接触先住民とのコンタクト」の課題とは、文明が持ち込む様々な伝染病によって免疫を持たない未接触先住民が瞬くうちに絶滅してしまうこと、また、衣服や道具といった物質文化や食料としての農作物などが与えられることによって、未接触先住民の生活が根本的に変えられてしまうことである。当局は、未接触先住民との接触にあたって、接触を最小限にするのか、信頼関係を徐々に確立しつつ予防注射などをおこない免疫を高めるよう努力し、そののち起こるであろう濃厚な接触に耐性をつくるようにするのか、まず、検討しなければならない。後者の場合、彼らのもともと持っていた文化、例えば、アマゾンで生き延びるための生活の知恵(食糧獲得や民族医療の知識など)は、文明との接触によって容易に失われてしまうのだ。後者の場合、未接触先住民の命を救うことはできるものの固有文化は失われてしまうのだ。

本書は2016年に放映されたNHKスペシャル「大アマゾン 最後のイゾラド」のスクリプト版である。番組を見ていないのだが、「再開の約束」とか「最後のイゾラド」、「衝撃の出会い」、「緑の魔界」といったキャッチーな言葉が(本書の帯にも散りばめられる)、番組の焦点が、冒頭の事件ではなく「再会」であることがわかる。おそらくは、視聴者に「わかりやすい」物語を作り上げたということなのだろうと想像される。

しかし、この件は、果たして、センチメンタルな「再会」の物語なのだろうか。私には、本書の冒頭の物語が、自分の知る他の先住民の事例に照らして、ここでもかと思ったので読み進めた。しかし、次第に残念な思いにとらわれるようになった。本書のトーンが「再会」に多くは向けられているということが読み取れてきたからだ。先に書いたように、それは、NHKスペシャルの取材であり、放映を目的としたものであるからだが、果たしてそれでよかったのだろうかという思いに囚われた。

この書評の冒頭に書いたように、各国の先住民たちの置かれてきた過酷な歴史は、明らかにされねばならないし、我々はそれをよく知らなければならない。日本においても、アイヌや琉球の置かれている状況は、まさに、同様の現象であることを知らなければならないのである。


ノモレ
国分拓
新潮社

2018-09-20 09:23:27 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


9月19日(水)のつぶやき


2018-09-20 05:44:45 | tweets | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )