Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりにラジオ

2019年06月26日 13時40分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はすっきりとは晴れない。明日からは雨模様の日が続くとのこと。
 午後から市民病院の予約、18時からは後援会。新聞労連中央執行委員長の南彰氏の講演を聞きに行く。久しぶりに用紙を間は外食の予定。

 先ほどまでNHKの「らじるらじる」の「聞き逃し」の中にあった「長崎 祈りの音色」をパソコンで聴いていた。  昨年8月9日のFMで放送されたもの。「長崎「原爆の日」。爆心地近くの浦上地区は潜伏キリシタンの聖地でもあり、今年7月、世界遺産に登録された。今も当時を伝える教会の鐘の音、祈りの歌、聖歌などが響く。チェロ奏者の水谷川優子さんらを招き、鎮魂の思いと平和への祈りを伝える」と記されている。             ⇒【https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=P000101_01_17897

  水谷川(みやがわ)優子のチェロ独奏がいい。最後には「鳥の歌」。原爆、潜伏キリシタンの弾圧の歴史が二重の撚糸のように語られる。

 先日はラジオ第1放送の「俳人・金子兜太が見た戦争」を聴いた。いい番組がつくられ、のこされること、果たしてこれから先の保証はあるのだろうか。

 


人の話を聞くということ

2019年06月26日 11時52分34秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 人の話を聞くということは、難しい。特に政治的な意見など対立が含まれるときは難しい。同時に同じ仲間内でも、つい話を否定したり同意をしながら相手の話をさえぎって自分の意見をとうとうと伸べてしまう。
 そして同意するにしろ反対の意見を述べるにしろ、相手の話がどこへ展開するのか見通せないままことば尻で反応してしまう。私もそのようなことがないとはいえない。
 大切なことは、相手がどのようなニュアンスで話し始めたのか、ということをまずは聞き取ろうとする姿勢である。相手は、出だしの話を次の瞬間にそれを否定するために「まくら」としてその話をしている場合もある。しかし人はつい出だしの話に反応して、否定したりしてしまう。それは相手にとっては自分の意見を誤解されて否定されたように思ってしまう。反発しか残らない。それは相手と自分の今後の関係を壊してしまう。
 また同じことを言っているように見えても、話し方のニュアンスに注目すると、同じことでもさまざまなニュアンスと豊かなことばの世界が広がっている場合もある。話されることばは数式のようなものではない。会話は常に的確なことばだけではない。「話ことば」は、さまざまなニュアンスをともない、話す人の表情や身振りや手ぶり、「間」というものをともないながらすすんでいく。
 歳には関係なく、自分の思いだけで相手のことばを判断してしまい、否定なり賛意なりを口に出し、相手の話をさえぎってしまう。若い時に身についてしまったこういう癖は歳をとっても直らない。かえってひどくなる。中には何しろいったんは相手の話を否定しないと会話ができない人すらいる。

 私は仕事柄、直接に市民のいうことを聞くことから教わった。何しろきちんと聞かなければ何事も始まらなかった。さらに労働組合の役員もしていた。組合員の話は、キチンと聞くことも必要であった。二重の意味で他人の意見を「最後まで聞くこと」を叩き込まれた。
 特に労働組合の再建時、私の再建した組合に登録してくれた組合員の意見は貴重である。自分の意見と少し違うだけで否定的に受け答えしてしまったら、その組合員は離れて行く。だが、出だしは同意できなくとも、そのニュアンスやその人の奥底にある体験をじっくりと聞き取ると、自分のこだわりがちっぽけなものに思えることがある。あるいは些細な違いでしかないということを思い知ることが多い。そういう時は自分が少し成長できたように感じた。さまざまな意見を引き受けられる、ということは自分を豊かにする。人から学ぶということはこういうことかと知った。
 特に党派的な理念ばかりを押し付けてくる人に対してもっとも有効な批判は、自分の体験をとおして身についた自分の思いとことばである。この思いや体験をもとにつくりあげられた意見、いったん同意した思いは強い。そのような意見に対して、党派的な理念だけのことばは力は無くなる。そのような思く強い意見を覆すには、やはり体験をとおして獲得した、生きたことぱでなければ対抗できない。
 労働組合の再建という稀有な体験から学んだ私にとっての貴重な教訓である。

 話が得意な人もいる。自分の思いはいっぱいあるのに、思いを話しことばにするのが不得手な人もいる。喋りがゆっくりな人もいる。ことばをいつもじっくりと選んで話す人もいる。このような人に対したとき、その人のことばを豊かに聞き取ることが、聞く人の人間性や人間の豊かさが問われていることでもある。
 そうであっても相手の話ばかりを聞いていると、「日が暮れてしまう」こともある。少なくとも出だしをじっくりと聞き、続きをどこまで聞くか。ここもまた難しい。

 私は、「起」「承」「転」「結」を聞きわけることが大切だと思っている。「起」と「承」はまずしっかりと聞く。これをキチンとしなくてはいけない。
  話が長く、話すことが目的化してしまっている人はだいたいが「転」がない。あげくの果てに「結」などはじめから言う気がない人も多い。「承」が二つ続いたら、申しわけないが話をさえぎる。少なくとも「それで」と発して「転」や「結」を促す。
 この「承」がふたつ続いている間に相手のニュアンスや表情や手ぶり・身振りを観察する。その上で、まずは共感できる点を相手に伝えてから、自分の意見を述べる。これを私は会話の前提だと思っている。

 話し上手は「聞き上手」といわれる。「聞き上手」とは最後まで相手の話をただ聞くだけではない。「聞き上手」は会話の達人のための第一歩である。


忘却は処世術にならない

2019年06月25日 23時43分50秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日の最高気温は27.2℃。あすは29℃の予想。明日までは腫れるようだが、明後日からは火曜までは雨が続き、梅雨空となるとのことである。
 特に今度の土・日は最高気温が30℃を超えるのに雨のマーク、かなり蒸し暑く不快な天候のようだ。これが例年の梅雨なのだが、一年経てばそんなことは忘れてしまう。

 「忘れることが人間の特性、うまい世渡りのための秘訣」などとよく言われるが、多くの人は、忘れてはいけないことまで忘れてしまう。それを利用しているのが、昨今の政治家である。忘れることを求められているのが、主権者である国民というのが悲しいものである。政治家が忘れて欲しいことは、私達は忘れてはいけない。
 優れた政治家、良い意味で後世に残る政治家というのは、忘れた振りはしない。過去の優れた理念・事績は主権者に還元する。忌まわしい事態は真摯に受け止めて、否定的に教訓化し公表する。
 尊敬するには程遠い政治家、権力を自己目的化する政治家は、普遍的な理念を述べることはない。否定されるべき事態を自己のうちにのみ美化して、主権者には隠したまま仲間内で教訓化して無かったことにする。

 今、私達はどのような政治のもとにいるのであろうか。忘却は悪意ある政治の入り口である。


梅雨の晴間

2019年06月25日 20時28分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 梅雨の合間の晴れ、爽やかな一日であった。久しぶりにかなり歩いて帰宅。ウォーキングの途中、市営墓地の中を歩いてみた。人の気配はなく、揚羽や黄色の蝶が眩しかった。

★梅雨晴れの村に人無く墓地に蝶     庄司たけし
★梅雨晴れの残像は青し蜥蜴の尾     酒井誠三

 本日はマッサージを始めてから4回目、一応今回で終了。両足の筋肉の張り、足首の違和感はすっかり消えた。自然治癒とはいえず、間違いなく、マッサージの効果と思われる。
 しかし「とても体が硬い」といわれっぱなし。分かってはいるのだが、指摘されるとやはりショックである。


昨日の診断結果

2019年06月25日 11時32分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の市民病院の採血とCTの検査の診断では、昨年の退院後の経過は良好とのことであった。
 次回は半年後の年末にCT検査と採血ということになった。

 先週末に内科の健康診断の結果の診断については、「他の診療科の受診」を予約してくれた。

 結論は明日の水曜日まで先延ばし、ということになった。


本日から「マネの絵画」(フーコー)

2019年06月24日 20時41分46秒 | 読書



 本日から読み始めた本は「マネの絵画」(ミシェル・フーコー、ちくま学芸文庫)。1971年にチュニスで行われたフーコーの講演の録音からの復元、ならびに2001年11月の「ミシェル・フーコー、ひとつのまなざし」というシンポジウムが収録されている。

 哲学書はマルクスを除いて手に取ることはなかった。マルクスは批判者にいするあまりに攻撃的な内容に辟易したが、それに耐えてそれなりにかなり読んだと思う。しかしそれ以外はことばの定義がよくわからないものが多く、敬遠してきた。フーコーについては幾度が読みたいと思った記憶があるのだが、どのようなものかまるでわからないまま放置してきた。
 昨今は、翻訳書というものもあまり手にすることがない。日本語がこなれていない、というのが表向きの理由だが、それを克服して読み通す気力がないのである。これではいけないと思いながらも、読むという行為に至らないでいる。

 ということで、あとがきや解説というこの本の後ろから読み始めている。


朝と夜の地震二つ

2019年06月24日 20時06分09秒 | 天気と自然災害

 朝9時11分に最大震度4の地震があった。マグニチュード5.5、深さ60キロと当初の発表である。私の住んでいる地域は震度3と表示されたのだが、私はちょうど病院に行くために家を出た直後で何も感じなかった。時間で気には家から1分位であった。
 地下鉄の駅のホームで携帯電話を見ると、地震情報のメールが来ており、地震のことを知った。マグニチュードが5.5と大きく、広範囲で揺れた。

 当初の発表は、

 震源地は、千葉県南東沖(北緯34.9度、東経140.0度)で、震源の深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は5.5と推定されます。 この地震による津波の心配はありません。
 深度4の地域は、千葉県館山市、南房総市、東京都千代田区、神奈川県川崎川崎区、秦野市であった。

 さらに帰宅を夕食を終わって突然テレビから緊急地震速報が成り始めてビックリ。慌ててテレビの老いてある部屋に行って妻と二人で画面を見ていたが、なかなか揺れない。静岡県熱海市で震度4が表示されたが、横浜市内は一部震度1を記録したようだが、私の住んでいるところは揺れずに済んだ。
 今のところの発表では

 震源地は、伊豆半島東方沖(北緯35.0度、東経139.1度)で、震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定されます。 この地震による津波の心配はありません。
 深度4の地域は静岡県熱海市。

 新潟・山形の地震、今朝・今夕の巻頭での地震と関連はないが、やはり8年前以来、列島の周囲の地震活動は活発になったのかな、という印象はぬぐえない。

 


読了「絵を見る技術」

2019年06月24日 12時39分35秒 | 読書
  
 
 ようやく「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」(秋田麻早子、朝日出版社)を読み終わった。
 一応教科書を読むようにじっくり読んだ。しかし記憶力は10代の頃とは違う。読み終わったときには大方忘れているのが悲しい。
 第5章「名画の浦に構造あり -構図と比例」の第3節までは理解できるのだが、等分割以外のパターンについてはむかしからいくら調べてもモヤモヤが解消しなかった。黄金分割、ルート矩形についてはわかったつもりでも理解できていなかった。今回も分かったようでどこかどうしても理解できないモヤモヤが湧いている。
 要はそんな細かいところまで果たして「画家は厳密に分割比を計算しているのか」ということである。あるいは「画家が無意識であっても結果としてそのようになっている」としてもそこまで厳密に鑑賞者は物差しを使って読み込んでいるのか、ということである。鑑賞には何の効果もないことのような気がする。
 人間の眼はそんなに厳密には見ることはできない。さらに引かれる補助線が本当にその補助線に沿って描かれているのか、というと眉唾物である。線に沿っているともいえるし、こじつけともいえる。
 筆者も以下のように言及している。
「黄金比が使われている」と言われてきたものは、ほとんどが決定打に欠け、そうと言われればそう見える、心霊写真のようなところがあります。黄金比が使われているという主張の多くは、測り方が恣意的すぎるのです。これは黄金比が芸術に使われていない、という意味ではありません。ただ、もう少し造形的な必然性であるとか、技術面からの議論、分権の後押しが必要ではないか、と私は思います。」
 まったく同感である。
 私は中学・高校の数学の幾何は大好きであったし、数学的な思考については今でも楽しんでいるが、少なくとも定規とコンパスと分度器を持っては鑑賞しないし、今のところしたくない。分析は、人間の眼で測定可能な等分割と三角、円の基本図形までが言及する範囲ではないのだろうか。すくなくとも「視覚情報を言語情報に変換」しながら「鑑賞」することと、「学術的に分析」するととを混同してしまわないか。

 当面はこの書に記された方法に沿って作品をいろいろと分析してみることにした。
 

これより市民病院へ

2019年06月24日 08時05分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 日付が変わる頃から雨が降り始めた。風呂の中で雨音を聞きながらのんびりと30分ほど浸かっていた。

 本日は朝から市民病院で診察をうける。先週の採血とCTの結果を聞く予定。前月の採血とCTの結果があまり思わしくなかったために再度検査を受けていた。
  さらにいつも降圧剤を処方してもらっている内科での血液検査の結果も二つほど問題の値を示しているので、それについての見解も聞くことになっている。

  果たしてどのような結果が示されるのか。

 10時の予約になっている。いつもならウォーキングがてら30分位歩くのだが、深夜からの雨が続いている。家の近くから直通のバスはない。


本日は沖縄慰霊の日 平和の詩

2019年06月23日 20時34分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 「平和の詩」
沖縄県糸満市立兼城小学校6年 山内玲奈
  本当の幸せ
青くきれいな海
この海は
どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ
ほのおで包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地は
どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え町が消え希望の光を失った島
体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が七十四年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲さんさを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島がこの国がこの世界が
幸せであるように
お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが
本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが
最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも

【⇒https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-941672.html】


本日は沖縄慰霊の日

2019年06月23日 18時06分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 玉城デニー知事による、沖縄慰霊の日の「平和宣言」全文は以下の通り。

 平和宣言

 戦火の嵐吹きすさび、灰燼に帰した「わした島ウチナー」。

 県民は、想像を絶する極限状況の中で、戦争の不条理さと残酷さを身をもって体験しました。
 あれから74年。忌まわしい記憶に心を閉ざした戦争体験者の重い口から、後世に伝えようと語り継がれる証言などに触れるたび、人間が人間でなくなる戦争は、二度と起こしてはならないと、決意を新たにするのです。
 戦後の廃墟と混乱を乗り越え、人権と自治を取り戻すべく米軍占領下を生き抜いた私達ウチナーンチュ。その涙と汗で得たものが、社会を支え希望の世紀を拓くたくまいしい営みをつないできました。
 現在、沖縄は、県民ならびに多くの関係者の御尽力により、一歩一歩着実に発展を遂げつつあります。
 しかし、沖縄県には、戦後74年が経過してもなお、日本の国土面積の約0・6%に、約70・3%の米軍専用施設が集中しています。広大な米軍基地は、今や沖縄の発展可能性をフリーズさせていると言わざるを得ません。
 復帰から47年の間、県民は、絶え間なく続いている米軍基地に起因する事件・事故、騒音等の環境問題など過重な基地負担による生命の不安を強いられています。今年4月には、在沖海兵隊所属の米海軍兵による悲しく痛ましい事件が発生しました。
 県民の願いである米軍基地の整理縮小を図るとともに県民生活に大きな影響を及ぼしている日米地位協定の見直しは、日米両政府が責任を持って対処すべき重要な課題です。
 国民の皆様には、米軍基地の問題は、沖縄だけの問題ではなく、我が国の外交や安全保障、人権、環境保護など日本国民全体が自ら当事者であるとの認識を持っていただきたいと願っています。
 我が県においては、日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小が問われた1996年の県民投票から23年を経過して、今年2月、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が実施されました。
 その結果、圧倒的多数の県民が辺野古埋め立てに反対していることが、明確に示されました。
 それにもかかわらず、県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は、民主主義の正当な手続きを経て導き出された民意を尊重せず、なおかつ地方自治をも蔑ろにするものであります。
 政府におかれては、沖縄県民の大多数の民意に寄り添い、辺野古が唯一との固定観念にとらわれず、沖縄県との対話による解決を強く要望いたします。
 私たちは、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と、辺野古移設断念を強く求め、県民の皆様、県外、国外の皆様と民主主義の尊厳を大切にする思いを共有し、対話によってこの問題を解決してまいります。
 時代が「平成」から「令和」へと移り変わる中、世界に目を向けると、依然として、民族や宗教の対立などから、地域紛争やテロの脅威にさらされている国や地域があります。
 貧困、難民、飢餓、地球規模の環境問題など、生命と人間の基本的人権を脅かす多くの課題が存在しています。
 他方、朝鮮半島を巡っては、南北の首脳会談や米朝首脳会談による問題解決へのプロセスなど、対話による平和構築の動きもみられます。
 真の恒久平和を実現するためには、世界の人々が更に相互理解に努め、一層協力・調和していかなければなりません。
 沖縄は、かつてアジアの国々との友好的な交流や交易を謳う「万国津梁(しんりょう)」の精神に基づき、洗練された文化を築いた琉球王国時代の歴史を有しています。
 平和を愛する「守禮の邦」として、独特の文化とアイデンティティーを連綿と育んできました。
 私たちは、先人達から脈々と受け継いだ、人を大切にする琉球文化を礎に、平和を希求する沖縄のチムグクルを世界に発信するとともに、平和の大切さを正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会とともに恒久平和の実現に貢献する役割を果たしてまいります。
 本日、慰霊の日に当たり、国籍や人種の別なく、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、全ての人の尊厳を守り誰一人取り残すことのない多様性と寛容性にあふれる平和な社会を実現するため、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。
★御元祖(うぐわんす)から譲(ゆじ)り受きてぃ、太平(てーふぃー)(平和)世(ゆー)願(にげー)い愛(かな)さしっちゃる肝心(ちむぐくる)、肝清(ちむぢゅら)さる沖縄人(うちなーんちゅ)ぬ精神(たまし)や子孫(くわんまが)んかい受け取(とぅ)らさねーないびらん。
 幾世(いちぬゆー)までぃん悲惨(あわりくり)さる戦争(いくさ)ぬねーらん、心(くくる)安(や)しく暮らさりーる世界(しけー)んでぃし、皆(んな)さーに構築(ちゅくてぃ)いかんとーないびらん。
 わした沖縄(うちなー)御万人(うまんちゅ)と共(とぅむ)に努(ちとぅ)み尽(ち)くち行ちゅる思(うむ)いやいびーん。
★We must pass down Okinawa's warm heart we call "Chimugukuru" and its spirit of peace,inherited from our ancestores, to our children and granchilden.
We will endeavor to forge a world of everlasting peace.
I am determind to work together with the people of Okinawa.

  令和元年6月23日            沖縄県知事 玉城デニー

★先人から受け継いだ、平和を愛する沖縄のチムグクル(こころ)を後世(子や孫)に伝えなければなりません。
 いつまでも平和で安心した世界をみんなで築いていかなければなりません。
 沖縄県民の皆さんと共に努力していくことを決意します。


夏至

2019年06月23日 10時55分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩は夏至であった。夏至の句を探してみた。

★夏至ゆうべ地軸の軋む音少し      和田悟朗

 和田悟朗(1923~2015)、化学者、元奈良女子大学理学部教授、元現代俳句協会副会長。自然科学の概念を使用した句が多い。地軸はスムーズに回転するのだが、時計を刻む針のように軋み音を立てながら回転する。剛体が回転すれば本当は軋みが生ずる。地球の場合、惑星・衛生の場合、それが地殻内の熱源の一部やそれに伴う運動になるのだが、その音を認識することはない。作者にはそれが聞こえるのかもしれない。
 こんな句もある。「ローマ軍近付くごとし星月夜」。俳人の今井聖は「歴史ドラマではローマ軍は悪役になることが多い。でもこの句には悪役が近づいてくる危機感なんかない。ギリシャ軍だと悲劇は演出できるけど星の数ほどの大軍のイメージはないし。そんな入れ替えが楽しめる句だ」と記している。
 さらに阪神大震災により自宅が全壊し「寒暁や神の一撃もて明くる」。

本日は夏至

2019年06月22日 23時41分19秒 | 天気と自然災害
 明日は嬉しいことに特に予定は入っていない。明日はのんびりと休養日&休肝日、そして美味しいコーヒータイムを過ごしたいものである。本日できなかった読書タイムを是非。
 今気がついたのだが、本日は夏至であった。二十四節気で言えば7月6日までが夏至である。北半球ではこの日が一年で日の出から日没までの時間がもっとも長い。日本列島では梅雨の時期でもっとも鬱陶しい時期と考えてしまう人も多い。実は私もそのひとり。夏至という言葉より、不快指数という昔の言葉の方が今の時期を言い当てていると思う。夏至というと太陽が照る晴れた夏のイメージになってしまい、季節感と言葉のイメージが私には重ならない。日が長いといっても曇り空ではあまり実感がない。

蛍 その2

2019年06月22日 23時20分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 歳時記で蛍の項を見ると、たくさんの句が並ぶ。蛍は俳句の世界では広がりをもつ季語であることがわかる。そしてまた艶めかしい句も並ぶ。

★ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜    桂 信子
★蛍火や手首細しと掴まれし       正木ゆう子
★これからは照れずに言える蛍語なら   田中のぼる
★蛍火を風の攫ひて行きにけり      山田れい

 どうも女性の句の方が作者の身に沿うような句が目につく。「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(和泉式部)の世界が迫ってくる。
 次のような句にもおおいに惹かれる。先ほども取り上げたのだが再度。

★蛍火の明滅滅の深かりき        細見綾子


2019年06月22日 21時58分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
空に残っていた雲も少なくなり、風も緩やかで静かな夜である。

★人殺す我かも知らず飛ぶ蛍       前田普羅

 少しだけ調べてみたがこの句がいつ作られたのかはわからない。戦争に起因する時代背景をうかがう記載もあるが、はっきりはしない。
 あるいは、蛍が飛ぶ闇を作者、あるいは人の心の闇とを重ね合わせて読もうとする記事も多い。
 多分どちらの読みも間違ってはいないと思われる。私は後者の読みに惹かれる。私がこの句を目にするときは必ず「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(和泉式部)を思い出す。蛍を人の魂が悶えるように染み出たものという連想がある。あるいは蛍が人の心の奥に潜む情念を浮かび上がらせるものとして。例えば「蛍火に闇のまんなかありにけり(鈴木蚊都夫)」、「蛍飛びこの世あの世のゆきもどり(木下星城)」、「蛍狩して魂を置いてきぬ(関戸靖子)」、「蛍火の明滅滅の深かりき(細見綾子)」、江戸時代の句でも「川ばかり闇はながれて蛍かな(加賀千代女)」など。
 飛び交う蛍に、ひょっとしたら人を殺してしまうかもしれない、自分自身を失うこと、道を踏み外してしまうこともあると、自問自答し続けるのが人である。
 蛍が飛んでいる闇は人間の心の闇を映し出す。他人ばかりか自分自身にさえもわからない何かが沁み出てくるものがある。強い情念の世界かもしれない。それは人との関係であったり、社会や組織に対する思いであったりする。
 さらに飛ぶ蛍の光は、妖しい情念の不可思議な存在を思わせる。それを男女の関係の不可思議につなげることもある。