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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

月と火星の競演

2018年10月18日 18時28分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日が上弦の半月、本日もほぼ半分の月である。月のすぐ左下に赤い火星が見える。先ほど外出先から戻るときに、ちょうど雲の切れ目から月と火星が顔を出した。残念ながらすぐに雲に隠れてしまった。7月末の大接近のときに比べてだいぶ暗くはなったが、まだマイナス1等級。半月の月の明るさに負けずに輝いている。関東地方南部はこれから雨も降るとのこと、多分これ以上は見ることはできない。

 本日の眼科、代診の先生ということで、視野検査の指示はなかった。いつも午前中は混雑しているが、本日は空いていて、40分ほどでいつもの視力検査・眼圧測定、診察が終了。薬局も人はひとりもおらず、すぐに薬を処方してくれた。視野検査をすると薬局とあわせて8000円くらいの支払いとなる。先月の入院費用についで大きな出費である。
 インフルエンザの予防接種は値段を調べたら、65歳以上は2300円。来週には医師と相談の上、可能ならば接種してもらうつもり。今年の始めに久しぶりにインフルエンザにかかりつらかった。

秋の風

2018年10月18日 10時51分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日よりもさらに雲が少なく、秋の柔らかい陽射しと適度な風が気持ちいい。台風24号の風と塩害でケヤキの葉がだいぶ少なくなってしまった。しかしこれがかえって大気の明るさを見せてくれる。ケヤキの剪定の予定はあるが、その前に風通しがよくなった。散った葉を翻す乾いた風が、音と一緒にベランダから部屋に入ってくる。小鳥の声も続いてくる。
 サクラも台風の影響で早めに葉が落ちてしまい、花が咲いているものがあると報道されていた。さっそく来年の花見は「大丈夫か」という声が出ているらしい。わずかな花でサクラ全体が来年春の開花が少なくなるほどエネルギーを使い果たすとも思えない。杞憂が多すぎる、というか、テレビ「解説者」のしたり顔・ものしり顔の「ご高説」にはあきれる。
 残念なのは、ベランダから見える紅葉が今年は葉が少なくなってしまい、楽しめないこと。

★吹きおこる秋風鶴をあゆましむ      石田波郷
★髑髏みな舌うしなへり秋の風       高橋睦郎


第一句、中学生のころ国語の先生が、B4のわら半紙に明治以降の近代俳句を目いっぱい並べて配布してくれた。どの句も気に入った。散文も韻文も気に入ったものは出来るだけ「声に出して読むこと」と「書き写すこと」を教わった。いつの間にか、気に入ったものが頭の中に自然に住み着くようになった。その住み着いた句のひとつにこの句がある。やはり釧路失言の鶴の仕草のテレビ放映の画面と重なって頭の中に住み着いている。
 第二句、これは教科書にも、教師が配布した句にも掲載はなかった。確かに髑髏それ自体は表現という行為はしない。しかし存在そのものによって雄弁にさまざまなことを語っている。それを聴くことのできる人はごくわずか。舌という当たり前のような表現手段を失っても、人は何かを語り続ける。それには「秋」の風でなければ伝わらないのだ。

 11時前に近くの眼科に行く予定。薬代で五千円札が1枚消えてしまう。月に1度とはいえ、きびしい金額である。
 

視野検査

2018年10月17日 23時00分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は近くの眼科で緑内障の点眼薬の処方をしてもらう。入院中は診察を受けられないので、妻に点眼薬だけの処方をしてもらった。入院した病院では、いつも処方してもらっている薬がなかった。

 そして多分明日は視野検査をするようにいわれるはずだ。視野検査は時間がかかり、そして疲れる。あまり受けたくはないが、痛いわけではないので、拒否も出来ない。視野の欠損の領域が拡大していないか、確認の検査で緑内障の進行と点眼薬の効き方を見るための大切な検査である。

 7月に受けたときは、疲れてウトウトしてしまい、視野の欠損部分が拡大してしまっていた。その時にすでに9月に再検査を申し渡されていた。嫌なことは重なる。

牛タン定食

2018年10月17日 21時06分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食は妻と横浜駅の地下街で。牛タンの店で定食を注文した。仙台で食べるよりも安かったような気がする。しかし青唐辛子の味噌漬けはもっと辛いものになれているので、ちょっと物足りなかった。それでも美味しかった。

 私が仙台にいた5年間では牛タンはまだ売り出していなかった。仙台を離れたのが1975年の3月であった。そして牛タンが「名物」となったのが1977年頃ではなかっただろうか。妻の実家を訪れた帰りに、駅前で牛タン定食を食べた記憶がある。実に短期間で牛タンの店が広まったと思う。

 あくまでも私の耳にした範囲での情報であるが、まだ戦後間もなくの頃、学生の街仙台で、下宿を営んでいるかたが、学生に肉類を食べさせるために、牛肉の安い部位で調理しやすいところとしてタンに着目して、食べさせたのが始まり、と聞いたことがある。それをヒントに企業化したというのである。本当かどうかは私にはわからない。もしもそのような話があれば、教えてもらいたいと思う。

 少なくとも私のいた1970年から1975年では牛タンの店はなかった。私の札幌出身の友人は、安いマトン(当時はラム肉もあまり肉屋になかった)を買ってきてジンギスカン鍋で肉を摂取していた。当時はめん羊会館というジンギスカン鍋を安く食べさせてくれるところがあり、サークルで良く利用した。お酒も安くありがたかった。

 下宿を出てアパートに引っ越した私は魚と烏賊ばかり食べていた。

 さらにいえば、横浜出身の私は、仙台に中華料理店や焼き肉店がほとんど無いことが不思議であった。ギョーザ、シューマイなどの点心類もお目にかかることはなかった。肉は、仕送りのあった日に、豚と鳥の合い挽き肉、または鶏モツを300グラムほどを購入して、冷凍しでチビチビと利用していた。

 この45年で仙台の街のようすも、食のありようも随分変わった。仙台と東京・横浜の間の差も少なくなった。仙台に妻と行くたびに寂しいような、残念なような気分になる。ひょっとしたら、仙台を離れたしまったので、年に一度いくだけでは仙台の街の魅力に触れずに時が過ぎてしまっているのだろうか。

贅沢な睡眠

2018年10月17日 11時38分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明け方には雨が降っていたのだが、それが嘘のようである。

 雲の量は空全体の6割を大きく超えている。曇り空ではあるが、鱗雲が白く輝き、太陽が顔を出して明るい。風はない。雲の間からのぞく空は青く澄んでおり、秋の気配がそこから地上に降り注いでいる。

 先ほど雨が上がったころから、あちこちで小鳥の声が響いている。どんな鳥なのか、声でわかるようになりたいといつも思うのだが、実行したことも勉強したこともない。分かるのは雀位のものである。

 一昨日に掛け布団を夏用のものにしたのだが、昨晩はこれを掛けると暑く感じた。体を半分は外に出して寝ていた。この時期、掛け布団の選択は難しい。

 最近、気持ちの良い睡眠にこだわるようになった。昔は寝るというのは、布団の上で横になりさえすればよかった。余程の短時間しか眠らない場合を除いて目覚めれば、疲れも取れ、すっきりした。椅子やテーブルの上ではさすがに満足感はなかったものの、3時間も眠るとそれなりに体の疲労は回復し、だましだまし活動できた。

 最近は、それはもう無理のようだ。あるいはそのような現役時代の緊張感がなくなったためなのか、年齢的な限界なのかはわからない。睡眠はその都度、毎日きちんと確保しないと目覚めた以降の体の動きが悪い。肉体的・精神的な疲労感もしんどい。しかも布団で寝ないと回復しない。洗濯したての清潔なシーツが欲しい。まして椅子や、会議室の机の上、ソファーなどで寝ても寝た気にならない。

 若い頃は雑魚寝でも、煎餅布団でも、慣れない枕でも、寝袋でも、服を着たままでも横になりさえすれば良かった。就職をしたとき、高齢の方が職場旅行に枕を持参したりするのを見て、びっくりしたことがある。さすがに枕持参で旅行はしないものの、その心境がわからないでもない歳になった。

 思い出に残る睡眠は、満足な環境ではないところでの睡眠である。
 中・高のころクラブ活動で星空観察をしながら、校舎の屋上のコンクリートの床に新聞紙を敷き、図書館の分厚い本をマクラにして寝たとき。大学のバリケードの中で床や机にやはり新聞紙を敷き教官のバリケード解除にそなえながら緊張して寝た日々。三里塚のビニールハウスで直に土の上に、ヘルメットを枕にして寝た夜。登山中に雷におののき、テントの中で浸水をタオルで拭きながらしゃがんで寝たこと。就職後、毎年のように雪掻き・水害の土嚢積みなどで疲れ切った体をトラックの荷台の土嚢や融雪剤の上で防寒着のまま寝た日々。家に帰っても労働組合の資料作りでほぼ徹夜し、明け方の1時間だけ横になっただけの睡眠。
 等々が今でも思い出される。

 二十代・三十代の頃から見たら、現在の私の睡眠は実に贅沢な睡眠である。



本日の読書

2018年10月16日 23時18分45秒 | 読書
 「ダ・ヴィンチ絵画の謎」を引続き読んでいる。本ばかり読んだからといって、頭のリハビリにはならないのだが、それでも「読みたい」という意欲があるのは嬉しい。
 「ダ・ヴィンチ絵画の謎」、なかなか平易に叙述してある。しかし26ページからの「受胎告知」の解説の中で、一点透視図法への「根本的な矛盾」(31ページ~)の解説はどうもまだ腑に落ちない。私の理解力が不足しているのだと思い、取りあえず先に進んでいる。しかしもう一度読み直したい部分である。

 明日はこの病気でなければ、退職者会の友人の案内する都内の歴史散策に参加する予定であった。残念ながら今回はバス。自宅療養は過ぎたが、しばらくはおとなしくしている。

LED照明の常夜灯が暗い

2018年10月16日 20時59分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私の部屋の照明もLEDにした。しかし常夜灯が今までよりも暗い。やむなく、部屋を暗くすると自動点灯する0.2ワットのLEDライトを購入してきた。600円余り。
 ついでに玄関には、人間の動きを感知して自動点灯するライトもつけた。こちらは800円ほど。こちらも0.2ワットのLEDライト。
 どうしてLED照明にすると、常夜灯がこれまでよりも暗い設定になるのか、不思議ではある。常夜灯がついていても、照明のスイッチやリモコンの場所がはっきりわからないと困る。何か設定の改善が必要ではないか。

 スケジュール帳の更新と新しいものの打ち出しを無事終了。これから友人に二通ほどの郵便をしたためて、本日の作業は終了。



掛け布団を夏用に‥

2018年10月16日 10時31分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜寝るときは、未だタオルケット2枚を上掛けにしていた。一昨日も少し寒いと感じた。昨晩は寒くて2度ほど眼が覚めた。やむを得ず夏用の掛け布団を押入れからひっぱり出して掛けた。少し重いと感じたが、暖かくなって朝まで熟睡、少し寝たり無いと感じた。
 無理をして薄い布団に寝ても疲れは取れないのは自覚している。明日から夏掛けの布団をこのまま使いことに決めた。

 やはり昨日の幹事会の疲れは残っている。まだ眠い。しかし13時から16時半まで会場にいることが出来たのは、収穫であった。むろん慣れた会議であり、長年の付き合いで気心の知れた仲間の集まりだから耐えられたのであろう。それでも自信になった。
 これならば今週土曜日の夜に行われる団地の管理組合の理事会も大丈夫だと思われる。

 本日は、休養日。「ダ・ヴィンチ絵画の謎」と「風土記」を読みながら過ごす予定。「風土記」はまだ本文には眼をとおしていない。各風土記ごとの解説を読んだり、付属地図を眺める程度。外から景色を楽しんでいるようなもの。果たして私の読解力で理解ができるか、それとなく眺めている。寝る前にページをめくると、早めに寝ることができる。


本日より「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤康弘)

2018年10月15日 23時22分48秒 | 読書


 本日から読み始めたのは「ダ・ヴィンチ絵画の謎」(斎藤泰弘、中公新書)。昨年3月に出た本であり、すでに購入して1年近く経っていた。最近美術関係の文書をアップしていない。この本と「セザンヌ物語」が読みかけの本として私の本棚に残っている。
 入院中に読んでいた「セザンヌ物語」(吉田秀和、ちくま文庫)は次に読む予定。

 ダ・ヴィンチは私はあまりなじみはない。あまりに有名なので、作品の写真を見る機会は多いし、多くの解説書などでは目に触れる機会も多いし、いくつかの作品は日本で見る機会もあった。感心もある。手稿も見る機会が何回もあった。さらに「最後の晩餐」は数年前にミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として実際に目にする機会も得た。損傷の多い絵画として有名である。実際の作品を目にして「感動」、という現状ではなかった。だが、ダ・ヴィンチの功績は、解説などを読んでみないと分かりにくい。
 ということでこの本を購入してみた。

「遺言」(志村ふくみ・石牟礼道子) その4

2018年10月15日 21時46分08秒 | 読書


 「遺言-対談と往復書簡」を読了。幾度かこの本を読み終わってしまうのが惜しいような気にもなりながら、詠み終わった。
 収録されている中では、第2回目の対談が良かった。「沖宮」という新作能の登場人物である「天草四郎」、その乳母の娘である「あや」、さらには竜神の着る衣装の色について、石牟礼道子、志村ふくみ、志村洋子による鼎談となっている。対談というが、志村洋子の役割もまた欠かせない。
 この対談では、志村ふくみが染めという行為を通じて「色」についての自身の思想を存分に語っている。私にそれを詳しく論評する資格はないが、含蓄のある言葉が続く。私には三者の指向が「反近代」というものに流されてしまうのではないか、という心配をよそに、したたかな思想が紡がれていく。
 いつものように覚書である。

志村:‥藍には、この世の、男性の潔さ、それから、生きている生きざまの立派さ、そういうものがあるんですけど、水縹(みなはだ)にはそれがないんですよ。もっと、今おっしゃったような、少年のままですーっと、なにかミッションを受けて、そこで散ってゆくいろなんです。こちらの緋の色は、まだ五、六歳の乙女が、やっぱり昇天していきますね、だから、両方ともこの世のものではない、あの世とのあわいですね。今までにない‥‥。この世の中ではっきりと出てくる色は、蘇芳(すおう)の赤なんですよね。それは女の念とかね。女のいきざま、そういうものは蘇芳の赤だけど、あの緋の色の紅は、そこまでいかない乙女の、そのままの蕾ですね、ある意味。同じ赤でも全然違うんです。‥色というのは、そのものを表わす、生命を表わしているんじゃないですかね。

洋子:人間という存在は愛だけでは埋まらなくて、悲しみというか苦しみというかそういうものが、ここにひそやかに入ることによって、なんか出来上がるというか、次に行けるような気がするんですけど、それが先生のおっしゃってる「水縹色」と。
志村:「紅」で、という。

石牟礼:美を失ったんですよ。失いつつあります、今の日本人は。
志村:その前に、真・善がもう失われつつあるから、美も必然的に失われてゆくしかない。
洋子:美を勘違いしているんです。きれいなものを美しいと思って、そっちをやっているけど、勘違いしている。本当の美が取り残されて、滅びるというか、でも、この美がないと、命はよみがえらない。
志村:そう。今、石牟礼さんと私は、そこのところを語りたいのですよね。

志村:言葉の内実となる豊穣な世界を失ってしまっているから、言葉そのものが生きなくなって、宙に浮いてしまっている。目に見えるものしかみていない、感じない世の中になっている。

志村:「心慕手追(しんぼしゅつい)」という言葉、心が慕い、手が追う、という、心が思っていることを、手が慕って表現してくれるんだけど、心が思わないと、手は動かない。

洋子:きめ細かい日本語を使えない。言葉の貧困は、イメージの貧困につながると思うんですよ。

志村:(「生死のあわいにあれば」ということについて)石牟礼さんの根っこから、それは出ている言葉でしょう。
石牟礼:若い時からずっと。
志村:(石牟礼さんにとって)死者はいつもともにいた。すべて「生死のあわい」を、もう実をもって体験してらっしゃるものね。私なんかもそうでしょう。
洋子じ先生は、たぶん、水俣病という社会的な大きな問題がなくても、根源的な魂の傷があったんですね。
石牟礼:日常が‥‥。

志村:「沖宮」はやっぱり絶対にお能の形にされたいんですね?
石牟礼:ぜったいにお能にしたい。「沖宮」は。
洋子:見据えているのは、お能の中に浮かび上がる、水色と緋色ですね。


 あとがきで志村ふくみは次のように記している。

 (石牟礼道子の句について)文章とも詩とも違って、独りで立っている。あの領域には誰も入れない、それなのに否応なく打ちくだかれ、旨の底が烈しくゆらぐのである。
  角裂けしけもの歩みくるみぞおちを
  ひとつ目の月のぼり尾花ヶ原ふぶき
  のぞけばまだ現世ならむか天の洞(うろ)
 あらためて読むと恐ろしい句である。
 立ちむかうことのできない世界から眼光をすえて、じっとこちらを見抜いている。
 傷ついて少し血がにじむほどするどい天の箒木でさっと心身を掃き清められる。
 石牟礼さんの句は、一句、一句、道行である。





久しぶりの会議に疲労困憊

2018年10月15日 18時43分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝は一番で入院した病院で診断を受け、ワーファリンの処方をしてもらッタ。しかし本日はとても混雑。採血後の診察も9時の予約で10時近く。会計でもたくさん並び、支払いが終わったのが11時半。病院前の薬局はいつも30分以上待つので、家の近くの薬局で処方してもらった。午後からの会議があるので、薬局での受け取りは妻に頼み込み、私は組合の会館まで出かけた。
 久しぶりの会議、2時間半余りで2つの打合せと本番の会議をこなしたらすっかり草臥れてしまった。日程の整理や、議事の把握・理解で、精一杯。こんなにも会議というものが、疲れるものだとは想像していなかった。
 議論にはどうやらついていけたものの、どこか「帰って来たばかりの浦島太郎」のような状態であった。
 16時半からいつものとおりワンコインパーティーが行われた。会費ははらったが、お茶1杯だけで30分ほど何人かに病気の報告をして帰ってきた。

 当初は横浜駅の近くにある家電量販店で追加の買い物をしようかと思っていたが、その元気はなくなり、まっすぐに帰宅。

 忘れないうちに本日の会議のまとめとスケジュール帳の再整理をしないと、頭がパンクする。すべての日程に参加するのはとても無理であるが、体が動き、気力が湧くものから徐々に、慣れていくしかない。



「遺言」(志村ふくみ・石牟礼道子) その3

2018年10月14日 23時08分33秒 | 読書
 「遺言-対談と往復書簡」をじっくりと読み進んでいる。言葉は平易だが、むずかしいところがあり、進まない。丁寧に読みたい本である。

  幻のえにし 石牟礼道子

生死(しょうじ)のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり

御身の勤行に殉ずるにあらず
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば
道行のえにしはまぼろし深くして
一期の闇の中なりし
ひともわれも いのちの真際 かくばかりかなしきゆえに
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして
われもまたにんげんのいちいんなりしや
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も
ひとりきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の祖 四季の風を司(つかさど)り
魚の祭を祀りたまえども
生類の邑(むら)はすでになし
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに
わかまみふかき雪なりしかな


 この長く、そして難解な詩の読み解きが第2回目の対談の眼目になる。対談を追ってもなかなかわかりづらいのだが、この読み解きによって、「沖宮」の登場人物である主人公「あや」の衣装の緋の色の意味合い、そして「天草四郎」の着る衣装の「水漂(みなはだ)」色の意味合いが明らかとなっていく。
 「深く死なん」、「煙立つ雪炎」‥‥感覚的にもなかなかわからない部分もある。
 ここに収録されている第2回目の対談を読むと、この詩がいったんは分かったような気持にはなるが、自分のことばに直してみるのも難しく、何度も行きつ戻りつしている。
 「沖宮」のための詩ではなく、もともとは「苦海浄土」の第三部『天の魚』の序詩として書かれたものであるとのことも知った。

 ツィッターの情報では、10月6日、「沖宮」の初演が熊本市で行われたとのことである。


「四景展」(なるせ美術座)は本日まで

2018年10月14日 13時12分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 入院する前に「四景展 Four Views 中野浩樹/菊池武彦/達和子/井上雅之」の案内を送ってもらっていた。
 入院ですっかり失念していた。昨日思い出してチラシを再度見たら本日までであった。会場のある横浜線成瀬駅まで一人で出かける自信もなく、断念することにした。
 いつも井上雅之氏には個展の案内をいただいている。今回、足を運べなかったのはとても残念である。

秋の寒さを実感

2018年10月14日 11時06分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の8時を過ぎたら急激に天気は回復した。一時は太陽も顔を出した。今は再び厚い雲が空を覆っている。しかし雲の色は明るく、白っぽい。暗く、そして黒い雲ではない。これ以上雨は降りそうもないようすの雲である。
 秋の寒さを感じる。長袖の開襟シャツを着、靴下も履いた。

 本日の午前中は休養、午後は横浜駅まで短時間の外出。早めに戻って寝ていたい。体調に関していえば、便通はほぼ回復した。だが、腹部を軽く押すと痛みの出るところが2か所、入院前と位置が変わらずにある。痛みの程度は薄らいだものの、まだ痛い。押さないと自覚しない程度に回復した、という言い方の方がいいのだろうか。

 朝、友人にメール2通、ファックス1通。少しずつ前向きに事務処理ができるようになっていると自賛。事務文書・事務作業も手掛けてみることにした。



回復の度合いはいかなるものか‥

2018年10月14日 01時12分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一時間ほど前から雨の音が強くなった。レインアイよこはまを見ると時間当たり10ミリの雨の区域が通過し、現在は一段落。しかし間もなく県の中央部から時間当たり20ミリの雨の区域が迫ってきている。

 最近は雨の音で眠りから覚めてしまうことが多くなった。しかも一度目が覚めるとなかなか寝付けないで、起き出してしまう。することがないのでパソコンの前に座って、ブログをアップしてしまう。眠りが浅いようだ。毎日の運動量が8月下旬からすなり少なくなっているのが原因かもしれない。
 かといってまだまだその頃の体力までは回復していない。8割に満たない程度の回復なのだろうか。

 そして頭の回転と気力はまだ半分以下のようである。それでも体力の回復とともに徐々にではあるが、上昇している。読書量は回復したと思う。だが、自分の周囲に対するアンテナの感度が鈍くなっている。それを強く実感する。
 ある事柄が起きてもその原因に思い至ることがない。あるいは気がついてもすぐに対処すべきことが浮かんでこない。このもどかしさにイライラすることもある。このイライラがなくならないと人との付き合いはまだまだ難しい。

 そんな不安がまだまだ残っている。これは場数を踏むことで慣れるしかないのだが、慣れようとする気力が湧いてこない。

 どうもこのような愚痴ばかりが最近は口をついて出てくる。