Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

「遺言」(志村ふくみ・石牟礼道子) その3

2018年10月14日 23時08分33秒 | 読書
 「遺言-対談と往復書簡」をじっくりと読み進んでいる。言葉は平易だが、むずかしいところがあり、進まない。丁寧に読みたい本である。

  幻のえにし 石牟礼道子

生死(しょうじ)のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり

御身の勤行に殉ずるにあらず
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば
道行のえにしはまぼろし深くして
一期の闇の中なりし
ひともわれも いのちの真際 かくばかりかなしきゆえに
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして
われもまたにんげんのいちいんなりしや
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も
ひとりきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の祖 四季の風を司(つかさど)り
魚の祭を祀りたまえども
生類の邑(むら)はすでになし
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに
わかまみふかき雪なりしかな


 この長く、そして難解な詩の読み解きが第2回目の対談の眼目になる。対談を追ってもなかなかわかりづらいのだが、この読み解きによって、「沖宮」の登場人物である主人公「あや」の衣装の緋の色の意味合い、そして「天草四郎」の着る衣装の「水漂(みなはだ)」色の意味合いが明らかとなっていく。
 「深く死なん」、「煙立つ雪炎」‥‥感覚的にもなかなかわからない部分もある。
 ここに収録されている第2回目の対談を読むと、この詩がいったんは分かったような気持にはなるが、自分のことばに直してみるのも難しく、何度も行きつ戻りつしている。
 「沖宮」のための詩ではなく、もともとは「苦海浄土」の第三部『天の魚』の序詩として書かれたものであるとのことも知った。

 ツィッターの情報では、10月6日、「沖宮」の初演が熊本市で行われたとのことである。

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「四景展」(なるせ美術座)は本日まで

2018年10月14日 13時12分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 入院する前に「四景展 Four Views 中野浩樹/菊池武彦/達和子/井上雅之」の案内を送ってもらっていた。
 入院ですっかり失念していた。昨日思い出してチラシを再度見たら本日までであった。会場のある横浜線成瀬駅まで一人で出かける自信もなく、断念することにした。
 いつも井上雅之氏には個展の案内をいただいている。今回、足を運べなかったのはとても残念である。
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秋の寒さを実感

2018年10月14日 11時06分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の8時を過ぎたら急激に天気は回復した。一時は太陽も顔を出した。今は再び厚い雲が空を覆っている。しかし雲の色は明るく、白っぽい。暗く、そして黒い雲ではない。これ以上雨は降りそうもないようすの雲である。
 秋の寒さを感じる。長袖の開襟シャツを着、靴下も履いた。

 本日の午前中は休養、午後は横浜駅まで短時間の外出。早めに戻って寝ていたい。体調に関していえば、便通はほぼ回復した。だが、腹部を軽く押すと痛みの出るところが2か所、入院前と位置が変わらずにある。痛みの程度は薄らいだものの、まだ痛い。押さないと自覚しない程度に回復した、という言い方の方がいいのだろうか。

 朝、友人にメール2通、ファックス1通。少しずつ前向きに事務処理ができるようになっていると自賛。事務文書・事務作業も手掛けてみることにした。


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回復の度合いはいかなるものか‥

2018年10月14日 01時12分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一時間ほど前から雨の音が強くなった。レインアイよこはまを見ると時間当たり10ミリの雨の区域が通過し、現在は一段落。しかし間もなく県の中央部から時間当たり20ミリの雨の区域が迫ってきている。

 最近は雨の音で眠りから覚めてしまうことが多くなった。しかも一度目が覚めるとなかなか寝付けないで、起き出してしまう。することがないのでパソコンの前に座って、ブログをアップしてしまう。眠りが浅いようだ。毎日の運動量が8月下旬からすなり少なくなっているのが原因かもしれない。
 かといってまだまだその頃の体力までは回復していない。8割に満たない程度の回復なのだろうか。

 そして頭の回転と気力はまだ半分以下のようである。それでも体力の回復とともに徐々にではあるが、上昇している。読書量は回復したと思う。だが、自分の周囲に対するアンテナの感度が鈍くなっている。それを強く実感する。
 ある事柄が起きてもその原因に思い至ることがない。あるいは気がついてもすぐに対処すべきことが浮かんでこない。このもどかしさにイライラすることもある。このイライラがなくならないと人との付き合いはまだまだ難しい。

 そんな不安がまだまだ残っている。これは場数を踏むことで慣れるしかないのだが、慣れようとする気力が湧いてこない。

 どうもこのような愚痴ばかりが最近は口をついて出てくる。
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