Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

心に沁みる曲

2013年02月18日 21時50分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ここ何ヶ月もCDを聞いていなかった。いや音楽自体を聞く時間を持たなかった。
 退職したら心ゆくまでこれまで購入したCDを聴きたい、音楽会に行きたいと考えていたが、残念ながらなかなかそうはならない。それは講座を聴きに言ったり、美術館・博物館巡りに時間をとられて、それでくたびれてしまうということを言い訳にしているが、それは熱意の不足と言われればおしまいである。
 もっとも音楽を聞くということは義務的なことではないので、言い訳という言葉自体がナンセンスといえばナンセンスだ。

   

 M君のこともあり、気持ちはちょっと沈み込んでいるので、あまり華やかな曲は聞く気分にはならない。そんなことで手にしたのが、すでにこのブログでも紹介したシベリウスのピアノ曲。全曲録音をめざしていると思われる、渡邉規久雄の演奏。これまでに3巻が発売になっている。
 その第一巻の「キュリッキ-3つの叙情的小品」(作品41)と「5つのスケッチ」(作品114)及び「5つのロマンチックな小品」(作品101)の第1曲がとても気に入って何回も聞いている。聞いてまったく飽きがこない。今回も聞いていて心が夜の闇に融けていくように感じた。音楽の良さを文章にするのはとても難しくて、ブログで説明するのは私の能力では無理である。私の場合どちらかというと静かな曲が記憶に残る傾向にあるが、CD全体、シベリウスのピアノ曲全体では実に多様な曲想にあふれている。

 シベリウスは、スウェーデン系フィンランド人というのが正しいのだそうだが、その辺の北欧の微妙な歴史的な背景・風土はわからない。スウェーデン・ロシア・ドイツなどの間の複雑な関係の中で国民国家を形成してきたであろうことは推測できるが‥。この歴史がシベリウスの生涯や作られた曲にどのような影を投げかけているか、今のところ不勉強てあることを告白するしかない。
 この透明感あふれる演奏に、私は勝手に北欧の厳しくもあろうが美しい景観の自然と、それに囲まれた人間社会のイメージを重ね合わせて聞いている。イメージはあくまでも私のつたない知識に基づく貧困なものでしかない。このイメージが今の私の気持ちのありようとうまく響きあう。

 シベリウスというと8つの交響曲や9つの交響詩など管弦楽曲、9つの劇音楽、バイオリン協奏曲など管弦楽曲作家のイメージがある。
 私も交響曲全集、バイオリン協奏曲、6つのユーモレスク、カレリア、フィンランディア、悲しきワルツは聞いたことがあるし、CDも所持している。特にバイオリン協奏曲はお気に入りだ。暗い海か森から次第に上ってくる朝の光を連想させるバイオリン協奏曲の冒頭は忘れられない美しさだ。
 だが生涯を通じて書き続けられたピアノの小品群も捨てがたい。捨てがたいというとちょっと否定的な表現だから、別の表現の方がいいかもしれないが、いい言葉が浮かばない。管弦楽曲とは異質な面も垣間見せるような作曲家の精神の在り様が感じられて、私にはとても好ましい。
 実はこのほかにも声楽曲や室内楽曲(弦楽四重奏曲4曲、ピアノ三重奏、ピアノ五重奏)もあるので、室内楽曲が発売になれば購入したい。しかしレコード店に並んでいるのを見たことがない。これらの室内楽曲が、ピアノ曲から得られるシベリウスのイメージと、管弦楽曲のシベリウスのイメージとをどうつなげているのか興味がある。