Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

朴葉味噌を使って

2013年02月14日 19時18分04秒 | 料理関連&お酒
 本日の夕ご飯、妻が珍しく冒険というか新しい料理法に挑戦した。
 実は12月の高山の旅行で購入した朴葉味噌、記載しているとおりの調理法でおいしく食べた。固形燃料を使って朴葉の上に味噌を乗せ、そのまま焼いて食べた。お酒のおつまみにも適しているので、私はとても気に入っている。
 ところが本日妻が突然、「あの味噌をチャンチャン焼きに使ってみようと思う」と言い出した。私はあの甘味が果たしてチャンチャン焼きに適しているのか何とも判断できなかった。
 しかしチャンチャン焼を作る場合、味噌に味醂や砂糖、酒を加えている。私も酒と砂糖を加えて作った記憶がある。
 はたして出来上がったものを食べてみて、何の違和感もなかった。ちょうどよい、くどくない甘味が口に広がった。なかなかいい感じだ。

 このような冒険は妻にしては初めてではないだろうか。チョッとびっくりした。


「日本の民家1955年」展(補足)

2013年02月14日 18時11分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日の朝日新聞の夕刊で「二川幸夫『日本の民家1955年』展」についての記事が載っていた。



 私はブログで素人の図々しさで感じたことをそのまま記載したのだが、それがどの程度に的を得ているのかまったくわからず、頓珍漢なことをかいたのかな、とも思っていた。
 この記事の中で「造形の美、群の美、道の美といった多様な美が浮上する」という表現があり、私の感想も頓珍漢ではなく、それなりに的は外れていなかったと、とりあえずはホッとした。
 新聞の社会面の記事や政治面の記事、地方版の記事については、仕事で現役時代にいつも苦い、いらだたしい、腹立たしい思いを常にさせられてきた。ニュースソースに忠実ではないし、「取材」とは程遠い記者の思い入れだけが先行する記事ばかり出くわしてきた。だからいくら文化面の記事とはいえ、信用したくはないという思いは極めて強い。そうはいってもとりあえず同じような感覚の人がいるということでホッとした程度のことは記しておこう。
 私がとても気に入った作品が掲載されていないのは極めて残念であるが、これはやむを得ないというしかない。
 ただ、新聞の片隅に掲載された作品を見て、実際に展示されているものから受ける印象との落差には驚いている。作品に対する思い入れが強すぎるからかと思ったが、そうでもないようだ。新聞に載っている写真が絵葉書的な風景写真のように見えてしまう。実際はもっと見るものに迫ってくるような迫力を私は感じた。大きさだけが原因ではないと思う。モノシーンの諧調がより鮮明だからだろうか。それはあたっているかもしれない。しかしそれだけでもはない。作品の大きさだろうか。展示してあるものは横が90センチくらいはあったろうか。でもそれだけでもない。
 いろいろ考えたが、ピントではないだろうか。作品は対象にキチンとピントが合っている。ピントの合っている範囲は広いので、小さな記事にするとピントのあっている範囲は全体のように思うが、実際はかすかに周囲の山や雲などの遠景はボケている。これが大きく引伸ばしたときに見るものに迫ってくる要因なのではないだろうか。絵画を見るときとは違う要素だと思う。
 絵画と写真、見る側もその違いに自覚的にならないといけないのだろうか。私の感想があたっているのか、頓珍漢なのか、どうなのだろう。