昨日エルグレコ展におもむいた。いくつもの気に入った作品をじっくりと見てまわることができた。
この受胎告知という画題は実に多くの画家がいくつも手がけている。グレコも幾つも描いている。その内の1枚が日本の大原美術館にある。今回はその展示はないのだが、ここに掲げたものは、エルグレコがイタリアのベネチアからスペインに移住する直前に描かれたものとのこと。イタリア・ルネサンスの技法をふんだんに発揮したものとのことである。
確かに床のタイルの遠近法、ビザンチン様式の絵とは格段に違う生き生きとした人物造形と、特に天使から受胎を告げられ驚きの表情を見せるマリアの顔や手の仕草から連想させるドラマ、天使ガブリエル人間的な顔、ドラマを感じさせつつも安定感のある人物配置。さらにカーテンの赤・マリアの着衣の青・天使ガブリエルの黄と白と赤の着衣・精霊の鳩の背後の黄色の稲妻・右上の空の青、といった色彩のバランス。どれも計算されつくされたような対称を示してきっちりと安定しているように思える。青は右上と左下の対象、赤と黄は左右の対象、さらに左下のマリアの着衣の青は面積的にも大きいし緑のヴェールとあいまってマリアの存在感を大きくしている。またマリアとガブリエルの視線が青の対象の線と重なっていてガブリエルの浮遊感を強調している。
マリアもガブリエルも手の大きさは顔などの他の人体部分に較べてとても大きい。そのことがその指先の微妙な表情を強調しているようで面白い。
もうひとつ解説でも触れられているが、タイルが途中で切れていて、外の景色は窓枠か何かを通して見るようになっている。解説では欄干と記載されているが、この壁のようなものは室内をあらわすのか判然とはしない。しかしこの遮断によってガブリエルとマリアの舞台空間が明確になると思う。大空が見えていて無限の空間のようでいて、仕切られた空間、ドラマが浮き上がってくるような不思議な感覚に私は襲われる。
計算されつくされたような構成でありながら、豊かな、あるいは誇張されている衣服のひだやうねり、ガブリエルの乗る雲や空の雲の躍動感、などなど動的な面白味もある。
<追記>(以下6行)
聖母マリアのいる場所の奥の壁について言及したが、この壁による「区切られた空間設定」というのは、マリアの懐胎の無原罪性=処女懐胎の舞台設定の一つの要素ということを教えられた。あの壁は受胎告知の絵画ではどうしても必要な要素ということのようだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知ではこの壁が一部解放されて奥へと続く道が見通せるようになっており、このことで彼が無原罪性について疑問を呈したのではないかとの推論もあるようだ。
しかし基本的にはこの絵は静的である。ドラマも感じられるし天使やマリアに躍動感はある。だが、全体としては動きを一瞬止めてそれを画面に定着させた感はぬぐえないのではないか。
ところが次の受胎告知の絵となると、遠近法などのイタリアルネサンスの様式が私には感じられなくなる。解説でも「イタリアの様式を脱却して晩年の独自の表現主義的様式を確立した記念すべき作品」と記載されている。
この絵、まず透視図法による遠近の要素が見受けられない。そのかわり色に着目すると画面下半分の左からマリアの青・赤の着衣と天使ガブリエルの緑、中心に精霊を送り出すような黄の稲妻、そして上半分が天上の天使達が音楽を奏でる場面の左から赤・緑・青の列の2回の繰り返しが目に付く。
まるで中央の鳩の羽の円弧に沿った力で画面全体が円対象に回転しているような感じがする。
またマリアとガブリエルの視線の線は前作よりも上下の差が大きくなり、画面を下から上に流れる渦の力を助長している。そしてマリアの処女懐胎を象徴しているという「燃える柴」がガブリエルとマリアの距離をうまく埋めている。このボトムを押えるような赤とうすい緑が、躍動感たっぷりの絵の重石としてとても有効な働きをしているのではないだろうか。
精霊の鳩からマリアの頭部を囲む丸く羽の生えたものは天使のうちで上級の第三位の天使の群れであるが、この新約聖書以降に作られた概念の天使が多用されるのはいつの頃なのだろうか。エルグレコが嚆矢なのだろうか?ちなみに大天使ガブリエルは下から二番目に位置する下位の天使であり、神と人との仲介を果たす役割だそうだ。またガブリエルの見た目は前作が男性のように見えるが、後者では女性のような感じに見える。
このガブリエルの羽も回転するような図であり、左右対称に動く鳥の羽とは違い左右別々に動く羽である。これがこの絵の渦巻くようなうねりをさらに強調している。上昇するうねりの形は画面の中央部にあるうねるような雲がその大きなエネルギー源となっているようだ。
このうねるように画面を支配する躍動が、遠近法を持たないこの絵の構図に上昇する方向性を与えている。この躍動がマリアの驚愕から始まる内面のドラマ性に息吹を与えているのではないだろうか。そして前作とは違い、絵全体が躍動している。一瞬の停滞もなく動き続ける流れを感じさせる絵だ。
10頭身の人体は下から見上げる視線ではよく指摘されるようにそれほどの違和感がない。それよりもこの人体何となくねじれているように感じないだろうか。これもこの絵の全体の上昇あるいは下降する渦巻きのような流れを強調していないだろうか。ガブリエルは天から下降して受胎告知を行い、マリアの意識は天の神に向かっている。全体としては天上の神の世界を賛美する上昇する流れなのだろう。
この絵は確かに前に掲げた受胎告知とはずいぶん違った境地にある受胎告知だと思う。少なくとも前作では、時間をとめた一瞬の場面を切り取っている。マリアの意識の流れである、驚き・戸惑い・不安・受け入れ・神への賛美という意識の流れ(これがカトリックの見解なのかどうかは知らないが、)のどこを切り取ったのだろうか。私は驚きの一瞬と思っている。さてこの後者の絵は、時間の流れも同時に画面に定着させているのではないか、と私は感じた。驚きから神の賛美への時間の経過が含まれることで、絵画のドラマ性がより濃厚にただよう絵になったと思う。
作者の自由で豊かな創作力を感じる。私には忘れることのできない絵に思える。
(その2へ続く)