Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

川瀬巴水「東京二十景」ほか

2020年06月07日 18時48分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 先ほどまで、久しぶりにこれまで購入した美術作品のポストカードを眺めていた。川瀬巴水の木版画を見ているうちに今回は3枚ほどが印象に残った。

 私はどちらかというと画面の暗い作品にまず心を動かされる傾向があるようだ。しかしいつもではない。例えばカミーユ・ピサロの明るい画面の作品は好みである。
 だが川瀬巴水の作品では間違いなく夜の風景の作品がいい。むろん「東京十二景」の「こま形河岸」などはとてもいい作品だと思っている。川瀬巴水をはじめて見たときに強く印象に残った。しかしやはり私の印象では川瀬巴水は夜の風景である。微かな灯火や月が家並や人を浮かび上がらせる風景は心に残る。

      

 今回印象に残ったのは、「東京二十景」から「大森海岸」(1930年)と同じく「新大橋」(1926年)、そしてシリーズ外である「昇る月(森が崎)」(1930年)。
 関東大震災が1923(T12)年であり、この「東京二十景」はその震災からようやくほとぼりが冷めかけた頃の作品と思われる。歌川広重の「名所江戸百景」が安政地震からの復興した江戸を描いたように、このころの川瀬巴水の東京を描いた作品からは復興からのひと息を感じる作品が見受けられる。
 特に「新大橋」(1912(М45)年架替竣工)は、当時の隅田川の鉄橋が人や車の通る場所の床版が木製だったのに対し、市電も通ることで唯一床版はコンクリートで消失を免れ、人びとの避難路として役に立った。いち早く電灯も灯り、東京の都市施設の「近代化」の象徴でもあったという。
 雨の中でも電灯がともり、人力車の微かな提灯のあかりも暖かみがあ。光と影の対比が効果的である。
 「森が崎」は満月のあかりを頼りにしてこちらに向って歩いてくる赤子を背負った女性が印象的である。
 そして「大森海岸」は人家から漏れる灯りのもと小舟で作業をする二人とそれを見守る傘を差した女性が目に焼き付いて離れない。傘の存在によってこの夜は雨が降っていることを示している。人家からの3つのあかりだけではこれらの3人は照らし出すのは困難であるから、当然日が沈んで間もなくの頃合いであろう。異様に高い電柱と、水に映る灯りの長い影が響き合って奥行き・遠近が強調されている。手前の砂州と左奥の微かな樹影も気に入っている。

 なお、新大橋は1977年に現在の橋に架け替えられている。川瀬巴水の描いた新大橋は、当時の長さより短くした上で、愛知県の明治村に移設されている。写真を見る限り、作品と違わない照明・鉄骨が見て取れる。

 ウィキペディアの解説には以下の説明が掲載されている。

1885年(明治18年)に新しい西洋式の木橋として架け替えられ、1912年(明治45年)7月19日にはピントラス式の鉄橋として現在の位置に生まれ変わった。竣工後間もなく市電が開通し、アールヌーボー風の高欄に白い花崗岩の親柱など、特色あるデザインが見られた。 
戦後、修理補強を行いながら使われていたものの、橋台の沈下が甚だしく、橋の晩年には大型車の通行が禁止され、4t以下の重量制限が設けられていた。1977年(昭和52年)に現在の橋に架け替えられた。旧橋は前記のようなデザインを有する貴重な建築物として、愛知県犬山市の博物館明治村に中央区側にあたる全体の8分の1、約25mほどが部分的に移築されて保存されている。

 



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