Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ウォーキングと日焼け

2024年07月03日 20時24分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の午後は親の通院2箇所の付き添い。午後2箇所も回ったのは高齢の親にとっては体力的につらかったかもしれない。3時間程度かかり、私も疲れた。しかし行きも帰りも、病院間の移動もタクシーを利用したので、あるいた歩数は700歩程度。戻ったのは16時30分に近かった。

 帰宅後、団地の周囲をかなり大きくぐるりとまわり、一周で約8000歩程度のウォーキング。かなりのスピードで歩くことが出来た。帰宅すると汗が滴り落ちるので、シャワー室にそのまま押し込められた。
 夕方になってから歩いたものの、陽射しはそれなりに強烈。夕陽に向かって歩いたので日焼けが進んだ。シャワーを浴びるとお湯が沁みた。気分は爽快。

 夕食後はウォーキングの疲れが出たのか、30分ほどウトウト。


「西行」から 2

2024年07月03日 11時40分27秒 | 読書

   

 「西行 歌と旅と人生」を読んでいる。「5.西行と旅」、「6.山里の西行」、「7.自然へのまなざし」まで読み進めた。

 今回は「桜」や「旅」の歌よりも、山里での生活で詠んだ歌や自然詠にどういうわけかとても惹かれている。著作者の引用の仕方にもよるのだろうか。「旅」の歌が少し感傷に過ぎるように思えた。

★きりぎりす予寒に秋のなるまゝに 弱るか声の遠ざかりゆく  (新古今集)
★岩間とぢし氷も今朝は解けそめて 苔の下水道もとむらむ   (新古今集)
★ほととぎす深き峰より出にけり 外山のすそに声の落ちくる  (新古今集)

 どういうわけか新古今集に取られている歌が多くなっている。とくに「弱るか声の遠ざかりゆく」という歌の、秋の深まりとキリギリス(コオロギ)の生命の弱まりを「遠ざかりゆく」という物理的距離に転換していることが新鮮に感じられた。
 一方で山里での生活や、自然詠でも

★山里にうき世いとはむ友もがな くやしく過ぎし昔かたらむ  (新古今集)
★心から心に物を思わせて 身を苦しむる我が身なりけり    (山家集)

などの西行らしい感傷の勝った歌も多数あるのだが、今回はあまり惹かれなかった。