Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

梅の実

2020年06月07日 23時21分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 夜のウォーキングで40分ほど。夜空には厚い雲が立ち込め、星も月もなにも見えない。昼間に続いて湿度はそれほど高くはなかった。
 本日妻と買い物に歩いて4千歩ほどのところにあるスーパーまで往復した。天気もよく、気持ちがよかった。ところが10分ほど歩いたところで、私はマスクを着用してくるのを忘れたことに気がついた。出かけにすべての持ち物のチェックをしたつもりが、忘れてしまった。
 妻に嫌味を言われながらもやむを得ず通りかかったドラッグストアで400円ほどで7枚入りのマスクを購入した。

 さて、行き帰りに戸建ての住宅の庭には梅や杏の実がたくさんなっていた。道路にも青梅や黄色くなりかけた梅の実が多数転がっている家も何軒があった。もったいないなぁと思いながらも写真も撮らず通り過ぎてしまった。
 当然なことではあるが、梅の実というのはひとつひとつが手にすると、微妙に色合いや形が違い、いつも感心する。林檎や葡萄や枇杷やさくらんぼも柿も皆ひとつひとつ違うが、梅の時だけはいつもこのことが真っ先に思い浮かべる。

 私がよく引き合いに出すように、「大勢の中の一人」ではないのだ。一人一人が違ってそれぞれの個性が集まっての大勢なのである。それを実感するのが梅の実である。
 それを見事に表現していると思ったのが、最初の「累々として今生の」句であると感じた。第3句は第2句を踏まえている。犀星の句、艶めかし過ぎるきらいもあるが、いやいや赤ん坊の臀を詠んだ句と私は理解しているのだが‥。だから第3句が生きてくる‥、とは言っても解釈は自由である。

★累々として今生の実梅たり       廣瀬直人
★青梅の尻うつくしくそろひけり     室生犀星
★犀星の句の青梅に及ばねど       榎本好宏
 



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