Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

世の中の縮図

2024年07月02日 18時55分00秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日の喫茶店、とても読書に集中できなかった。席を変わったものの、イライラとした気分が納まらなかった。

 私が座った席に後から、至近距離の隣の二人掛けの席が埋まった。若い物静かな女性が座り、対面に年上の女性が座り、面談らしきものを始めた。話の内容は隣の席の私に筒抜けである。
 しかし話の内容はいたって深刻。若い女性は派遣された職場で、ハラスメントもどきの扱いを受け、派遣元に訴えたらしい。その聞き取り調査のようであった。物静かな若い女性は、誠実そうで好感は持てるが、的確には状況が説明できないところもある。端で聞いていてもどかしい気分も伝わってきた。
 聞き取りの女性は、ノートに派遣先の職場にいる職員の配置図、氏名などを記入し、話は進んでいった。聞き取りをしている女性は経験もあるようで丁寧な説明はしている。要領も良さそうである。しかしそこに血が通っているかどうかは、私は判断はできない。
 この若い女性は、ハラスメントをした社員に抗議の意思表示はしたようだ。ハラスメントをした職員は謝罪の意向は示しているようだが、被害を受けたこの女性にとっては、それだけでは納得はいかないようだ。ここについては私も十分了解できる。

 私がイライラしたのは別のことである。こんな大事な相談事を、しかも個人名が飛びかうような聞き取り調査を、短時間利用の一服客を対象にした喫茶店で、そのうえ狭い席の隣の私に筒抜けの会話で、済ませようという派遣会社の対応のひどさである。
 派遣先職場とは離れているのかもしれないが、少なくとも派遣元の会社の一室で、彼女の発言や訴え内容が外に漏れないように配慮する義務があるはずである。
 こんな派遣会社に採用されているこの若い女性にいたく同情した次第である。聞き取り調査をしている女性の対応がひどいものではなさそうなのが少しは救いであったが、それでもこのような喫茶店を選択したのが、彼女であることにもイライラした。

 相談を求めている若い女性は、一人では決して強くはない。労働組合もないのであろう。働くものを守る仕組みが、派遣企業の苦情処理のシステムしかないというのも悲しい現実である。

 この件が、相談を求めている若い労働者に良い方向で解決されることを切に願いたいものである。


「老いの深み」から 5

2024年07月02日 11時30分07秒 | 読書

   

 黒井千次の「老いの深み」を読んでいて、不思議でもあり、「そうだな」と同意する視点でもある箇所に出会った。「遠景への関心を忘れず」という題がついている。

 欅の巨樹に夕刻に群れる小鳥の大群の描写と、電線に止まる鳥の並び方の決まりを類推する描写があり、次のように結んでいる。
(鳥の並び方は)いわば遠景の中での出来事であり、近景とは切り離された外界の事情で動くものである・・。離れた光景は見るのが面倒で近づきたくないから、その眼を自分のすぐ足もとの衣類や紙屑籠などに向けてしまうのではあるまいか。この面倒臭さ、対象との距離の遠近の感覚が、遠景を遠ざけ、近景ばかりでことをすませようとしているのではないか――。近くの自分が見えなくなるのは困るけれど、しかし遠くの自分が見えなくなるのもまた困る。遠景の中の自分はどこに居て何をしているのか――。せめてその関心くらいはどこかにそっと育てていたい。

 引用の後半部分が何とも不思議な視点である。「外界の事情で動く」「遠景の中の自分」とは何を指しているのか、ふとわからなくなりながら、惹かれた箇所である。遠景・近景の距離を、自己と社会との距離感に置き換えてみてもいいだろう。「遠景」に社会との葛藤にもがく自己を投影すれば良い。
 年齢とともに人の関心は、内向きになりがちである。他からの強い働きかけがないと、社会に対して視線は向けられなくなる。
 私は「そっと育てていく」のではなく、「人との交わりを通して、身の動く限り、近景に目配りしつつ、遠景の中でもおおいに泳ぎ続けたい」と思っている。もがき続ければ、身が動かなくなっても、見続けることはできる。

 私は欲張りすぎるのであろうか。