Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日はワクチン接種の予約

2021年05月23日 23時10分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は9時から、妻のワクチン接種の予約の作業。果たしてWebで予約ができるであろうか。一日パソコンとつきっきりになりそうな不吉な予感がする。妻の意向は集団接種。

 これより、空を見上げながら30分ほどのウォーキングに出かける予定。ぐっすり寝て、明日の朝に備える。問題は寝坊すること。

〈追記〉日付が変わると十三夜になる月をほぼ天頂付近に眺めながらのウォーキングはなかなかおつなものであった。薄い雲が初めは罹っていたが、折り返し点についたときは雲がほぼなくなり、月がことのほか明るく見えた。
 細かな群雲に月の光が映えて飽きなかった。日付が変わってしまいそうなので、残念ながら立ち止まって見ていた時間は2分未満。本日は久しぶりに太陽の陽射しだけでなくも、月の光もともに浴びることができた。

 


カラヴァッジョ「聖マタイの召命」

2021年05月23日 22時24分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 カラヴッジョの「聖マタイ伝連作」の「聖マタイの召命」。この作品はカラヴッジョの作品として有名な作品。美術史の教科書でもほぼ取り上げられる。
 この作品では、右側で右手を水平にして人差し指でマタイを指さしている人がキリストである。ただし指で指名された人が左側に座っている4人の内誰を指しているかは議論がある。私も当初は真ん中で一番明るく太陽光線に輝いている若者がマタイかと思っていた。しかしそれは明らかに違って、その左隣でひげをたくわえ、左手の人差し指を水平にしている人がマタイという説と、一番左で金を数えている人物という説とが有力らしい。
 「1時間でわかるカラヴッジョ」(宮下規久朗)では、後者の説を取っている。私もそう思っている。新約聖書の世界では、当時のユダヤ人社会でローマの手先として皆にさげすまされていた徴税吏を弟子にしたのがキリストであったということになっている。
 また、カラヴッジョの革新性というのは、多分、聖書の中にとらわれることなく、場面が場末の賭場が居酒屋風の場面にすることで、聖書の場面が現実の世界とダブるようになっている。キリストもマタイもキリストの横に描かれた最初に弟子のペテロもきっと現実の人間を描いている可能性がある。当時の服装を着た、どこにでもいるふつうの人間が画面に登場しているのであろう。これがカラヴッジョの魅力なのだと思う。



 解説で私が首を傾げて、未だにわからないのは次の一文である。
 「キリストが力なく伸ばした右手は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描いた〈アダムの創造〉のアダムの左手を左右反転させたものになっている。つまりこれは、堕落したアダムに対して第二のアダムとして生まれたキリストの役割を暗示している‥」
  著者なりに根拠のある話と思うが、キリストは神と一体ということなので、私のこのキリストの右手の謎はわからない。私は、〈アダムの創造〉の神とアダムの指の仕草からこの作品が影響を受けていることにはそのとおりだと思ってきた。私は以前から、キリストの右手がなぜ力を混めてマタイを指していないのか、またカラヴァッジョが尊敬していたミケランジェロの描いた神の手ではなく、アダムの指のかたちの裏返しなのか、ずっと腑に落ちていなかった。

 この書物の解説を読んでも、疑問はそのまま残ってしまう。いつかこれについて納得できる解説に出会うことを願っている。
 


久しぶりに太陽のひざし

2021年05月23日 14時12分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 本日より退職者会ニュースの6月号の編集作業を開始。今回は4頁。本日は枠組みと題字などを作り、全28段のうち、1段だけを作成。紙面の面積だけで比べると4倍の分量・作業量となる。本日の作業はこれまで。
 マーラーの交響曲第2番〈復活〉の第4、第5楽章を聞きながら作成。じっくり聞いていると美しい旋律、音の構成があるのだが、やはり印象に長く残る旋律やリズム、響きにまだ出会わない。作業をしながらということがいけないのだろうか。明日もまた作業をしながら聴くつもりだが、聴くことに専念する時間を少し増やしてみたい。

 これより人と会ってデータの受け渡し、そしていつものとおり、ウォーキング&コーヒータイム。久しぶりに明るい空になった。