Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「ラファエロ」(深田麻里亜)

2020年11月03日 21時56分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 「ラファエロ―ルネサンスの天才芸術家」(深田麻里亜、中公新書)を読み終わった。昨日から本日にかけて、第4章「ラファエロをとりまく人々」、第5章「墓と遺産」、終章「後世の批判と再評価」、あとがき等を読んだ。いつものとおり、覚書として今回は2か所から。

「(ラファエロの遺言によってパンテオンにある墓について)ラファエロは古代の歴史文化を研究し、それをキリスト教世界である当代に復興する事業に長らく取組んでいた。そのため、古代彫刻を下敷きとして作られた聖母子像のもとに眠ることは、彼の長年の仕事内容と符合するものであったと判断できるだろう。遺骸を納めた棺を、この聖母子像の真下に置き、聖母を通じて魂へ祈りを捧げる――ラファエロによる自身の墓碑のデザインには、このような意図があったのである。」(第5章「墓と遺産」)

「彼は単なる儚げな夭折の画家ではなく、若年のうちから古今の芸術を熱心に学び、ステップアップした野心家であった。宮廷の貴族たちと交流をもつ宮廷人でもあり、さらに、周囲の芸術家たちをまとめる監督者、古代ローマの径術と都市について調査を行う考古学者でもあった。精力的な活動に従事したタフな側面があり、関わった注文者や神学者、人文主義者、芸術家たちの動向と合わせて見ていくと、その世界観は大きく広がっていく。」(終章「後世の批判と再評価」)


こわい無意識の行動

2020年11月03日 20時22分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 巣篭りをしているためだけだろうか。このごろスケジュール帳にこまめ記入しているのに、忘れてしまうことが度々ある。
 本日も午前中のオンラインの講座を申し込んでいたのに、忘れてしまった。忘れたというよりも無意識に何かをしているみたいだ。
 昨晩寝る前に目につくようにパソコンのキーボードと画面の間にスケジュール帳を広げておいた。にもかかわらず、朝退職者会の作業にそのまま入ってしまった。さらにブログに記事を投稿した。その上妻と買い物に出かけてしまった。
 お昼近くに講座の先生から連絡をもらい、慌ててしまった。慌ててももう遅い。何とも情けない仕儀であった。

 さらに、本日は書店で衝動買いをした。購入したのは「岸田劉生随筆集」(酒井忠康編、岩波文庫)。
 意味のないものを購入したとは思わないし、画家が語る画論なので、勉強にはなる筈である。だが、内容も見ずに手にとって他の本を見ているうちにいつの間にか、レジの前に並んでいた。レジに並んでいる列から離脱するのも恥ずかしく、そのまま購入した。
 朝の受講を忘れたことと言い、午後のこの行動といい、無意識の領域で何か異変があるのかもしれない、と少々落ちこんでいる。
 家籠り、巣篭りというのはどこか緊張感が緩んでいるところがある。責任感も、財布のこともも希薄になっている。

 明日は市民病院に行くことになっている。妻が同行してくれるとのこと。これでは忘れてしまうことはないとは思うが、明日になってみないと分からない。

 


作業再開

2020年11月03日 10時48分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日から、退職者会の事務作業を再開。8日までに私の属するブロックの会員宛のブロックのニュースなどを作成する予定。まずはA4裏表のニュースから。面積としては全体のニュースの1/4。

 これより、親と妻が買い物に出かけるので、私もついていこうと思う。バスで行くらしい。わたしは少し遅れて出て、バスには乗らず、歩るく予定。病人であることを理由にして、買い物そのものには同行せず、喫茶店で本を読みながら待っていることにした。

 病気を理由にして、ズルい夫である。