Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりの外出と太刀魚

2020年11月02日 20時33分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 12時過ぎ、妻と出かけようと着替え始めたら割と強い雨が降り始めた。出ばなを挫かれたようで、あきらめかけた。しかし10分もしないうちにあがり、空が明るくなった。傘をリュックに入れ、ふだんなら7分位のところにある喫茶店に倍近い時間をかけて歩いた。
 ここはサイフォンでコーヒー淹れてくれる。この店の名を冠したブレンドコーヒーは酸味がなく、それなりにコクもあり、私の好みである。サンドイッチも美味しい。他に2組だけ、4人掛けの場所に2人でゆったりと座らせてもらった。
 久しぶりのサイフォンのコーヒーと美味しいサンドイッチを堪能して、さらに8分ほどで駅の近くの公園。ここで妻がスーパーで買い物をするのをベンチに座って読書しながら待っていようと思っていたら、雨が再びポツリポツリと降り始めた。読書はあきらめて、スーパーで妻と合流。帰りはバスで帰宅した。
 バス停を降りると今度は日が照りはじめるという慌ただしい天気の変化であった。

 往復で5千歩あまり、ゆっくりではあるが歩くことが出来た。両膝と右足の甲の痛みも再発せずに済んだ。発熱の兆候も今のところない。とてもうれしい。

 帰宅後は、ブログに記事をひとつアップしたら眠気が襲ってきて、1時間ほどおやすみタイム。いい身分である。こんな贅沢は病気のときだけ。

 夕食は太刀魚のバター焼き。太刀魚は久しぶりである。明日は残りの半身を妻はどう料理をする気なのだろうか。
 太刀魚は韓国を訪れるまでは私ども夫婦は、食べたことが無かったと思う。釜山や済州島の市場でたくさん売っているのを見、そして夕食を食べに入った食堂で、甘辛く味付けした煮付けを食べてすっかり気に入った。
 バター焼きでわたしは十分楽しめるのだが、今の濃い味に慣れた人には淡白すぎると思われる。最近、スーパーでも随分と見かけるようになった。どのような味付けで購入する人は、食べているのだろうか。

 夕食前から再び雨が降り始めた。


「馬込の月」と「昇る月(森ケ崎)」(川瀬巴水)

2020年11月02日 17時19分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 10月29日の「後の月・十三夜」の記事のとき、川瀬巴水の作品を取り上げていなかった。川瀬巴水には「東京二十景」という関東大震災後の1930年に刊行されたシリーズがある。大震災前の「東京十二題」とともにわたしの好みのシリーズである。
 この「東京二十景」の中でも、「馬込の月」はたいへん人気のある作品であると聞いている。私も気に入っている。秋の月であることは間違いないと思っているが、畑の作物の状態からは初夏かも知れない。真相はいかがであろう。
 そしてもう1枚、満月の月では、「昇る月(森ケ崎)」というシリーズ外であるが私の好みの作品もある。「馬込の月」が作られたた翌年の作品で、赤い満月の色合いと家並のすぐ上に昇っている月の位置が印象的である。こちらも秋とは断定はできないが、わたしは中秋の名月だと勝手に思い込んでいる。
 灯の洩れている人家も小さめでひっそりとしている。「昇る月(森ケ崎)」では赤子を背負った女性がこちらに向かって歩んでくる。いかにも貧しい身なりである。月灯りと微かに洩れる人家からの灯に溶け込みそうでいて、それらに拒否されているようにも思える。どんな情景を想像したらいいのだろうか。

 川瀬巴水の月はどの作品もいい。春・夏・秋・冬、満月・三日月、どれも惹かれる。人物を点景として、その表情からはなにも語らせない作品が特にいいと思う。風景から人の息遣いやら静かな会話、孤独感いっぱいの寂しさが伝わる。人が登場しない作品でも、人家から洩れる灯が人の気配を感じさせる。

 人間を描いてもいづれも寡黙である。子どもがいてもはしゃいだり、甘えたり、媚びたりしない。静かな風景の中にごく自然に溶け込んでいく。

 「東京二十景」には「荒川の月」という作品もある。これも荒川の上で、雲間から見える満月の作品である。これも図版やポストカードがあればほしいのだが、未だ手に入れることが出来ていない。こちらは空が明るい。荒川が広々と大きく描かれているが、空と同じ色合いである。手前の大きな家が印象的である。この明るさは、本日の2枚の月の作品とは違い、闇に吸い込まれそうにはならない。 


ベートーベン「交響曲第1番、第2番」

2020年11月02日 12時04分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨晩は、寝ようとしたらテレビでベートーベン特集ということで、シンフォニーの第1番と第2番を放映していた。モーツアルト、ハイドンの影響を受けた初期のベートーベンの意欲作といわれる。第1番、第2番ともに第2楽章はいい。
 演奏は京都と仙台のオーケストラだったと思う。2曲とも最後まで聴いた。その後ピアノソナタ30番などが始まった。早めに寝るために残念ながらスイッチを切った。少し悔やまれている。ビデオに取ることに気がまわらなかった。
 コロナ禍で、活動が制限される苦しい状況のオーケストラはたくさんある。放映の内実は分からないが、少なくともこのように放送されることは歓迎したいものである。

 さて、今朝は気分はとてもいい。外の空気を吸いたい。

 このまま午後になっても発熱の兆候がなければ、近くの私鉄の駅まで妻に同道してもらって歩いてみたいと思う。ゆっくり歩いて20分位だと思う。
 駅まで行かなくとも、コーヒーをサイフォンやドリップで丁寧に淹れてくれる喫茶店で休憩するのが目的でもいい。午後の降水確率は50%となっているが、降らないことを祈るしかない。風が少し強いようだが、ときどき陽射しがあるのがうれしい。