Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中途半端な感想

2020年11月12日 23時07分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日加藤楸邨の句について記述した。
 「石蕗(つわ)くらし易断にさへ人すがる」と「焦土より水ほとばしり冬満月」である。同時期に「凩や焦土の金庫吹き鳴らす」「墓碑もなき幾万にかく冬枯れし」などの句も並ぶ。
 これらの句についてもう少し考えてみた。

 ここには「被害者」としての目がある。戦地で死地に追いやられ、空襲で焼きだされ、それぞれに恐怖と飢えにされされた体験がある。「国家」というものが決して国民の最低限の生存権すら保証せず、使い捨ての消耗品のように命を奪うという現実、そして国家というものが解体し、国家の理念なるものがいとも簡単に崩壊・解体することも体験している。
 その体験によってもたらされた空白の時間をどのように生きていくか、疲労し、どうしていいかわからない生活者の視点を表現している。だか、もうひとつ突っ込むとすると、この混乱に振り回され、国家という理念が崩壊した人々の中に、たくましく焼け跡と闇市の中でたくましく生き抜く術を模索していく人々の姿があまり見えない。
 それが見えないのを非難するつもりはない。だが、戦後の出発というものの中に、その人々のアナーキーなたくましさもまた、噴出するマグマのようにあったはずである。だが、私の目に触れた戦後の文芸や美術にはそのような視点はなかったような気がする
 むろん私の目が届かないこともある。

 ここまで至って寝落ちした。この後は機会と能力があれば‥。


パソコンと一体になった人間?

2020年11月12日 19時43分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 不思議なもので、デスクトップのパソコンがなくなると、置いてあった部屋に行かなくなる。ミニノートパソコンの置いてあるリビングルームに居座ってしまう。ようするにパソコンがある部屋にいるということである。パソコンと人間がくっついてしまっているのだ。
 デスクトップの置いてあった部屋には、様々な本が置いてあり、時々はのぞきには行く。しかし、作業が順調であれば、読書の気力も出てくるのに、ミニノートパソコンと格闘していると、読書の気力がわいてこない。休憩時間は目もくたびれねし、肩も凝るのでボーッとしていることのほうが多い。

 午後、近くのドラッグストアの買い物に付き合い、神奈川大学のキャンパスまで歩いた。生協で注文していた本を受け取り、往復5000歩あまりの散歩になった。

 


待つだけというのはつらい

2020年11月12日 13時48分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 デスクトップパソコンはいったん引き取ってもらい点検・修理ということになった。ハードディスクの交換が必要な場合は、SSDに変更してもらうことにした。

 さいわいなことに、労働組合の再建以降の私たちが1989年に立ち上げた支部の記憶データは、すべて外部のSSDに移行している。私の個人的なデータも同様である。

 今週中にパソコンが戻ってくるか、それが問題である。写真データを何枚か早めに処理したい。何事も待つことはつらいものである。