昨日加藤楸邨の句について記述した。
「石蕗(つわ)くらし易断にさへ人すがる」と「焦土より水ほとばしり冬満月」である。同時期に「凩や焦土の金庫吹き鳴らす」「墓碑もなき幾万にかく冬枯れし」などの句も並ぶ。
これらの句についてもう少し考えてみた。
ここには「被害者」としての目がある。戦地で死地に追いやられ、空襲で焼きだされ、それぞれに恐怖と飢えにされされた体験がある。「国家」というものが決して国民の最低限の生存権すら保証せず、使い捨ての消耗品のように命を奪うという現実、そして国家というものが解体し、国家の理念なるものがいとも簡単に崩壊・解体することも体験している。
その体験によってもたらされた空白の時間をどのように生きていくか、疲労し、どうしていいかわからない生活者の視点を表現している。だか、もうひとつ突っ込むとすると、この混乱に振り回され、国家という理念が崩壊した人々の中に、たくましく焼け跡と闇市の中でたくましく生き抜く術を模索していく人々の姿があまり見えない。
それが見えないのを非難するつもりはない。だが、戦後の出発というものの中に、その人々のアナーキーなたくましさもまた、噴出するマグマのようにあったはずである。だが、私の目に触れた戦後の文芸や美術にはそのような視点はなかったような気がする
むろん私の目が届かないこともある。
ここまで至って寝落ちした。この後は機会と能力があれば‥。