Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋晴れ・秋日和・秋の雲

2019年10月09日 21時17分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の気持ちの良い秋の一日、結局買い物などでつぶれてしまった。しかし心地よい風に吹かれた若干のウォーキングは気持ちよかった。出来れば広い公園でボーっと空を眺めていたかったのだが、そうもいかない。

★秋晴れに置き忘れたる夢の嵩      五十嵐米子
★畳屋の肘が働く秋日和         草間時彦
★鰯雲日かげは水の音迅く        飯田龍太

 第1句、夢は大切である。実際に夜に見る夢ではなく、ここでは自分の目標としての夢ではないか。そのような人生の夢はいろいろとあるし、自分には少々重いものとして感じることもある。しかし秋晴れを見ているとそのようなつらさも忘れて、ちょっとベンチの横に置いて、ひたすら空を見上げる。このような時間を大切にすることができる人の夢は素晴らしい者であろう。
 第2句、以前にもありあげたことのある句だ。職人を観察すると、労働というものの偉大さ、人の理にかなった動き、というものが何となくわかってくる。人をじっくりと観察することの大切さをいつも感じる。
 職人技というものは実に理にかなっている。物理にも化学にも、生物学的にも、数学的にも原則に沿っているものである。畳職人の肘を利用した運針技、最近は畳屋さんも少なくなり、すべて機械で作られていく。しかも近年は畳の無い家も多く、職人技は廃れていく。
 第3句、こちらは俳句の職人芸のような句。日陰を流れる沢の音はその水流の速さを反映している、というとらえ方をしている。具体的に早いわけではない。水が早く太陽の光に当たりたくて早く流れるわけではない。しかし秋の草の間から聞こえる水の音は、岩場だけで日の当たるところの流れよりは音が籠って聞こえる。音が空に消えて行かない。それが「迅く」の意味だと理解してみた。このような感性を私は大切にしたい。

 


さわやかな秋の一日

2019年10月09日 20時03分05秒 | 天気と自然災害

 朝から湿度が低く正午には26%にまで低くなった。北側の日かげでは肌寒いくらいだが、南側に回り日があたると暑かった。明け方には最大瞬間風速が18メートルを超えていた。
 一日北風が吹いていたが、日中はさほど強くは感じなかった。これから台風がやってくるというのが信じられない。

 親の家の調度の買換えの時期が重なったようで、蛍光灯・ベランダのサンダル・洗剤などを購入しなくてはならなくなり、妻と買い物に出かけた。こまごまとしたものは他にも出てくる気配が濃厚である。
 予定した買い物は終わったが、台風に備えた乾電池やお茶などを買い忘れてしまった。


明日の対応

2019年10月09日 09時35分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の午後一番が白内障の手術の予約である。なかなかその手術を受けるという実感が湧いてこない。
 しかし眼を他人にいじられるというのは、嫌なものである。麻酔をするらしいが、全身麻酔ではない。このことが一番気持ちの上で嫌なことである。
 さらにその次に困っていることは、手術から1週間は顔から上を洗うことができないといわれたこと。洗髪も洗顔もしてはいけないことに列挙されている。眼に水などが入ってはいけないということなのだろう。
 手術後、洗身はできるようだが、シャワーは顔にお湯がかかりやすい。風呂に静かにはいるしかないようだ。ウーキングは汗をかくのでできない。それがつらい。汗をかかないと体に老廃物が溜まるようう嫌な気分になる。

 手術の日、病院には一人では行けるのだが、帰りはひとりでタクシーに乗れるのか、若干の不安がある。医師と看護師からは、大きな眼帯をするので左目だけでしかも視野が狭められるので、帰りは付き添いがいた方がいいといわれた。
 しかし当日は親のリハビリの日で、妻に親の行き帰りの見送り・出迎えを依頼してある。帰りに迎えに来てもらうのはきびしい時間である。
 山で使うT型ストックを持参して、用心しながらタクシーで帰宅するしかないようである。