明日は朝から親の通院3か所にお付き合い。退院した時にもらった薬がなくなるとのこと。そういえばリハビリの病院を退院してからもう4週間近くたつ。入院中は3つの病院でもらっていた薬を一括して処方してもらっていた。
明日は3つの病院を回ることになる。ともに家からは近いのだが、病院から病院は少々遠くなる。そして山の上と下である。診察時間にもよるが、歩行に時間を掛けたいものである。運動にいいかもしれない。
そして午後には通いのリハビリである。こちらは迎えに来てくれるので見送り。帰りの出迎えは妻にお願いした。
もう歩行は自信もついたようであるが、その時が一番危ない時期でもある。もうしばらくは外出には付き添わないといけない。もうすでに朝食・昼食は自分で作っている。夕食は一緒の食卓。
★毬栗の夕陽に割れて響きたる 庄司たけし
★三つほどの栗の重さを袂にす 篠山悌三郎
本日は栗を茹でたのを今年初めて食した。食べ始めると止まらないが、食べるまでになかなか踏ん切りがつかない。皮を剝くのが面倒なのである。しかし食べ始めると止まらなくなるのである。うまいのである。
私は小さい頃、毬栗は地面に落ちてから割れるのだとばかり思っていた。ようやく最近は樹上で割れてから落ちると教えられた。毬の痛さはすごいものだと思う。到底直接手に取ることはできない。
しかし毬から出て来たあの茶色の栗は、手によくなじむ。掌で転がしているとあのとんがりの刺激がなんとも言えずに心地よい。手に持っていると握ったり、手のひらで転がしたり、落ち着かないほどにもてあそびたくなる。
慣れた栗は茹でるために湯の中に入れろ、といわれても馴染んでいるのでもったいない気がして手離せないのだ。不思議な質感を持つのが栗である。