Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

2019年10月27日 21時39分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 明日は朝から親の通院3か所にお付き合い。退院した時にもらった薬がなくなるとのこと。そういえばリハビリの病院を退院してからもう4週間近くたつ。入院中は3つの病院でもらっていた薬を一括して処方してもらっていた。
 明日は3つの病院を回ることになる。ともに家からは近いのだが、病院から病院は少々遠くなる。そして山の上と下である。診察時間にもよるが、歩行に時間を掛けたいものである。運動にいいかもしれない。
 そして午後には通いのリハビリである。こちらは迎えに来てくれるので見送り。帰りの出迎えは妻にお願いした。

 もう歩行は自信もついたようであるが、その時が一番危ない時期でもある。もうしばらくは外出には付き添わないといけない。もうすでに朝食・昼食は自分で作っている。夕食は一緒の食卓。

★毬栗の夕陽に割れて響きたる      庄司たけし
★三つほどの栗の重さを袂にす      篠山悌三郎

 本日は栗を茹でたのを今年初めて食した。食べ始めると止まらないが、食べるまでになかなか踏ん切りがつかない。皮を剝くのが面倒なのである。しかし食べ始めると止まらなくなるのである。うまいのである。
 私は小さい頃、毬栗は地面に落ちてから割れるのだとばかり思っていた。ようやく最近は樹上で割れてから落ちると教えられた。毬の痛さはすごいものだと思う。到底直接手に取ることはできない。
 しかし毬から出て来たあの茶色の栗は、手によくなじむ。掌で転がしているとあのとんがりの刺激がなんとも言えずに心地よい。手に持っていると握ったり、手のひらで転がしたり、落ち着かないほどにもてあそびたくなる。
 慣れた栗は茹でるために湯の中に入れろ、といわれても馴染んでいるのでもったいない気がして手離せないのだ。不思議な質感を持つのが栗である。


現役時代の習性

2019年10月27日 19時17分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時過ぎから2時間15分ほどの散歩兼ウォーキングで1万5千歩ほど。割とゆったりと歩いたのは、住宅地の中にかすかに残る旧道や古い道路を探しながら歩いたため。小さな祠、元は水路と思われる路、寺、墓地などを見渡しながら歩いた。これは元道路管理者の仕事をしていたからこそわかる勘である。いつ頃の造成なのかなども見極めながら歩いてみた。
 1960年代の造成地もあるが、大規模な増勢ではないので、古い公図などに沿った地形や形が残っている。それなりに長い河川沿いでもあり、そこに流れ込む水路が微かな起伏を追っていくと浮かびあがってくる。なんとなく探検気分も味わった。下水道が整備されて水路敷と道路敷、青地なども判別しにくいのだが、40年近くその仕事に携わってきたので、人よりはいろいろと想像ができる。
 そして下水のマンホールや、道路の境界杭、道路の線形などがどうしても気になる。

 たまにはこのような楽しみをしたいものである。


案内をもらった「寺田しのぶ 仏鏡展」

2019年10月27日 11時49分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 知人より添付の案内を送ってもらった。



・寺田しのぶ「仏画だっていいじゃない 第3回 仏鏡画展」
・鎌倉芸術館ギャラリーⅢ(大船駅東口徒歩10分)
・2019年11月22日(金)~12月1日(日) 11時~19時
・入場料1000円(中学生以下無料)

 私も知らなかった方の個展である。ホームページ【⇒http://miru.co.jp/teradashinobu/】には第1回、第2回の個展の紹介に次のようなコンセプトが記載してあった。



 私も見に行ってみたいと思っている。感想はその時点で。