
「富嶽三十六景」をまとめて見たり、通しで解説を読むのは初めてである。個別には見たり、聴いたりした作品はいくつもある。また見ていない、あるいは認識できていない作品もいくつかある。
今回解説を読むと、北斎は船に対する思い入れが強かったことがかかれている。確かに作品を見ると船は実に細かく、そして念入りに描かれている。江戸の水路・河を行き来する船から、海村・漁村など船にまつわる作品が多い。
今回取り上げる12「武陽佃嶌」、13「常州牛堀」、15「信州諏訪湖」、22「上総ノ海路」、23「登戸浦」、26「御厩川岸より両国橋夕陽見」、27「東海道江尻田子の浦略図」、28「相州江の嶌」、29「江戸日本橋」と9作品に船が描かれている。実に半分である。
22「上総ノ海路だは船が大きく描かれ、船の構造を知るための作品にすら見えてしまう。船に歴史を知る上には貴重な記録かも知れない。
窓枠効果、透視図法など新しい技法なども多用している。だが、富士山はいづれも小さく、誘導された視線の先にそっと描かれている。そしてこのことによって奥行きが増したり、遠近が強調されたりという効果を狙っている。18「駿州江尻」に至っては細い線で形がなぞられているばかりである。彩色も藍が多用されている。
藍のグラデーションだけで描かれた14「甲州石斑沢」は極めて有名な作品である。これも特徴的な波の形と白という配色が印象的である。さらに遠景の広大なすそ野をこれ見よがしに描いている。富士山は大きいが、どこか裾の方は陸地に溶け出すように茫洋と描かれている。山と空気の境目がない、相互に侵蝕し合っている。その大きな富士を背景にした網投げる漁師は富士や川の流れと対峙している。富士の圧倒的な量感にもたじろがずに網をひいている。この厳しさに惹かれる人も多い。私も惹かれた記憶がある。
後刷りでは岩に緑、漁師と子供の服が茶色になるらしいが、想像するとちょっと緊張感が無くなるような気がしてしまう。藍だけの彩色がもっともふさわしいと私も感じた。そしてその方が漁師の孤独感がより引き立つ。自然に対するにはこの孤独感と緊張感を抜きにしては成り立たない。
もっともこの後刷りと云えども北斎自身が関与して変えた可能性もあり、その場合の意図についてはもっと慎重に調べてから感想を述べなくてはいけないとは思う。あくまでも現時点での独断である、と記しておこう。