病院のあるコンビニで揃えている本は小説では文庫本ばかり。そしてほとんどが推理小説。最近の推理小説はまず間違いなく「○○殺人事件」という題名で、どうも私はその命名が気に入らない。センセーショナルに「殺人事件」としてしまって、「小説」としての力点がどこかに飛んでいってしまっているように思う。
シャーロックホームズのシリーズを書いたコナンドイルや、クリスティやなどの海外の推理小説などは「○○殺人事件」などという表題ではない。
人が死ぬことばかりであることには、変わりはないといえばないので、表題に関わらず私はあまりにも人が死ぬ場面で溢れかえっている推理小説自体があまり好きではない。人が死なない推理しょせうつというと、「若い人向けの推理小説になってしまう」というが、人が死なないと大人の推理小説にならないのかと逆に私は不思議な気持ちになる。
そんなこともあり、推理小説ではない文庫本を探したら、浅田次郎とこの泉鏡花の本がかろうじて2冊あった。
中学生の頃は確か岩波文庫で高野聖を読んだような気がする。確か「眉かくしの霊」と一緒だったような気がするが、今度書店で確かめてみようかと思う。今回角川文庫におさめられているのは5編、「高野聖」と「眉かくしの霊」が共通している。
私にはこの5編の中では「高野聖」は群を抜いて楽しめた作品であったと感じた。「夜行巡査」などの人物造形・設定などは私にはあまりに荒唐無稽であった。「義血侠血」なども歌川国芳のような凄惨で血がほとばしるような作品で、私の趣味ではなかった。しかし「高野聖」はこれらとは一線を画して、読む楽しみを味わうことができた。人と自然が、怪異を媒介として結びつけられる。自然描写に惹きつけられるし、一見能楽のような構造でもある。
いつものとおり早読みをしてしまったが、もう一度じっくりと筋を負いながら読みなおしをしてみたいと思わせる作品である。
「眉かくしの霊」は少しドタバタ敵というか、絵描きの妻と愛人がどうしてこんなことになるのか、話の展開に現代のわれわれからすればあまりに無理がある。
泉鏡花の他の作品は知らないが、この高野聖は出色なのかと思えた。